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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
第26話「悲しむ前に」
義時「私のやるべきことは、すべて終わりました。長い間、ありがとうございました。 私はこれで、鎌倉を離れます。 私は頼朝様のために、この身を捧げて参りました。頼朝様が亡くなった今、ここにいる意味はありません。 頼朝様に憂いなく旅立っていただくことが、私の最後の仕事と思っておりました。 私は伊豆へ帰ります。米の勘定をしながら、ゆっくりと過ごします。 これからの鎌倉に私は要らぬ男です」 政子「頼家を助けてやってちょうだい。あなた、卑怯よ!わたくしにすべて押し付けて、自分だけ逃げるなんて。あなたに言われて腹を括ったんですから、少しは責任を持ちなさい! これまで頼朝様を支えてきたように、これからはわたくしを支えてください。お願い」 政子は義時に小さな観音像を手渡す。 それは「臨終出家」の際、三善康信が頼朝の髻(もとどり)を切ると出てきたもの。 頼朝は幼い頃、乳母・比企尼に小さな観音像をもらい、髻に入れていたもの。 比企尼には「観音様は捨て申した。挙兵の時、源氏の棟梁として甘く見られてはならぬと」と告げていた。 義時「姉上…」 政子「鎌倉を見捨てないで。頼朝様を。頼家を」 💛この時に頼朝の後家・政子と義時の日本の政治支配が始まったのかもしれない。 これは卑弥呼とその弟の古代日本の政治体制に似ている。 その後も推古天皇と聖徳太子の飛鳥文化、 持統天皇と藤原不比等による大宝律令など 優れた政治文化体制確立の時に類似の現象が起こっている。 日本という国は、大きな時代の転換点をむかえるとき、天照ラス大御神の伝統がよみがえるのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年07月04日 18時43分58秒
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