じじい50の日記

じじい50の日記

サヨク用語の基礎知識

【ベトナム戦争/70年安保期】

◆アジ演説…
「アジ」は英語のアジテーションの略。畳みかけ繰り返し語尾強調が特徴。
結婚披露宴で仲人が「学園紛争」に触れたところ、友人代表の和装の女性がマイクを握って「われわれの斗いを貶めるな、大学解体の斗争だった」と反論したという逸話がある。

◆トラメガ…
拡声器、トランジスタ・メガホンの略。アジ演説に必要。
衝突するとコードをちぎられる。

◆メット、赤ヘル、黒ヘル…
工事用のPE製保安帽にペンキを塗って「全学連」などと書いたヘルメット。黄色は代々木系、緑は構造改革派、黒はアナーキスト、赤はブンド系、青は解放派、白は革共同系の2セクト。
ブンド、青解、中核が隊列を組むとフランス国旗に見え、ブンドを革マルが包囲すると日本国旗に見える。

◆ゲバ…
闘争、ドイツ語のゲバルトの略。転じて実力行使。「内ゲバ」は、仲間割れの喧嘩。背後から公安がけしかけて同士討ちを狙う。

◆総括…
活動を振り返ること。転じて、敗北の責任を追及すること。さらに転じて、「連合赤軍」という山岳ゲリラ風政治カルトでは「肉体的総括」という、死の修行ないし刑罰に到った。

◆自己批判…
敗北の責任を認め、みずからの思想のブルジョア性、観念論であることを認識し告白し悔い改めること。

◆パンダ…
サヨクは中国との国交樹立を主張し、パンダはその象徴になった。ニクソン大統領が不意に訪中し、北京放送は「ニクソン先生」と呼んだ。中ソ対立から派生した事件だったようだ。田中角栄首相誕生の伏線になった。

◆ハリ麻酔…
中共の文化大革命のとき登場した東洋医術。「イスクラ」という親ソ派の薬局は、親中派に転向して、漢方薬専門になった。

◆日夜商店…
文革期には、共働き、3交代勤務の労働集約型工業振興策(工業は大慶に学べ)が取られて、兼業主婦が買い物をするために深夜営業するスーパー・マーケットが必要になった。

◆ゴルフ…
ブルジョワの娯楽。中国では党員のゴルフや麻雀などの遊興を禁じ、幹部は毎月「5.7幹部学校」に参加し、労働(農作業など)をすることになっていた。
西側先進国では法人税の交際費課税の対象。

◆上尾暴動…
JR(当時は国鉄)のサヨク労働組合がスト権を要求してノロノロ運転したところ、首都圏の朝の通勤客が怒って暴徒と化した。通勤客とは、ただのサラリーマン・OLすなわち民間企業の労働者であり、労働意欲(?)が極めて高く、戦闘的(?)だった。

【55年体制/60年安保期】

◆スプートニク…
ソ連の人工衛星。日本の首都の上空を横切り、夕方には肉眼で見ることができた。米国は危機感を募らせ、算数教育が盛んになった。

◆ポリオ・ワクチン…
ソ連から日本の医師たちに供与され、小児麻痺の流行が収まった、らしい。当時1万円だったと記憶する。

◆アジト…
活動拠点、アジテーション・ポイント。転じて、秘密結社の基地、隠れ家。

◆シンパ…
英語のシンパサイザーの略。革命党派に加盟しないのに応援する。小市民的知識人に多い。求道者のようなもの。

◆カンパ…
募金。ロシア語で大衆という意味のカンパニアの略。

◆ヨールカ…
ロシア語で樅の木。ロシア皇帝はクリスマスを輸入して樅の木祭りと称したが、これを屋号にした親ソ派のおにぎり屋があった。
クリスマス・ソングの「樅の木」は替え歌になって「赤旗」という革命歌となっている。これは脱会者を卑怯者と罵る歌。

◆民主少年団…
共産党の下部組織は有名な民主青年同盟。昔は、小学生が入る団体があった。党員2世の教育機関で、独特の敬礼を覚える。

◆北京留学…
文革が始まるまで党員2世の多くが北京大学に留学していた。70年安保期、2世が北京に居たために文革開始とともに毛沢東支持に回った党員も居る。


【戦前】

◆同志結婚…
戦前の共産党は秘密結社で、結婚も幹部の指導によって相手を決めた。
新劇女優の沢村貞子さんの回顧談。

◆祖国・ソ同盟…
ソビエト連邦のことを「労働者階級の祖国」と呼んだ。亡命した岡田嘉子さんはスターリン体制下でスパイに仕立て上げられて、農村で売春させられていた時期もある。

◆解放運動無名戦士の碑…
無産運動に殉じた人達のお墓が東京青山墓地にあるが、戦後、全国各地に同様の記念碑が建てられた。
これらとは別に、共産党本部専従者のために、20世紀の終わりに「革命戦士之墓」が建てられた。犠牲者を葬送するときは「同志は斃れぬ」の歌が定番。

◆スタハノフ運動…
1930年代のソ連で自発的に労働生産性を向上する運動が起きた。
労働者は賃金によってしか操縦できない、という前世紀までの常識に挑戦したもので、米国の経営学に大きな影響を与え、条件付けなどの心理学の発達を促した。
日本では、QCサークルなどのサービス残業や過労死という形で定着した。

【明治期/日露戦争】

◆非戦…
戦争は悪であるという主張。キリスト教系の人道主義、無政府主義の間から沸き起こった。トルストイと呼応する運動であり、日本では「平民社」や与謝野晶子が大勢に抗して声を上げた。

◆国権論…
国会開設直後、富国強兵を目指す政府(薩長藩閥)・官党と、民力休養を主張する民党が議会で対立。しかし輿論は国権伸張が不可欠の前提だ、という方向へ傾き、たばこ税などを財源にして日清戦争へ。
首尾よく台湾などを得た。

ロシアの南下はアジアの権益を守りたい英国人にとって脅威であり、ユダヤ人も帝政打倒を悲願としていた。もちろん日本人にとっても大いなる脅威。
しかし、国力の差は歴然。勝ち目はなかった。が、
輿論は待ち切れなかった。

攘夷論を過熱させて幕府打倒に突き進んだ幕末の歴史から、2匹目のどじょうを狙う野党と新聞記者。追い込まれて開戦へ。

奇跡的に負けを回避し、引き分け。そうとは知らず、怒った愚かな群集は暴徒と化す。
しかし、
帝政ロシアの権威は傷付き、アドミラル・トーゴーの名はアジア人に希望と誇りを与え、周辺諸民族は帝国に対する反抗を激化させる。国内では左翼の叛乱が起き、その後のロシア革命、「労働者・農民の祖国」誕生などへの地均しになった、らしい。

ロシア正教と同盟を組んだスターリンをロシアの救世主と仰ぐ軍人達は、この日露戦争を国恥と感じ、リベンジに血道を上げた。

▼20世紀が民族解放、革命、独裁、世界戦争と大量殺戮兵器の世紀となったのは、もとはといえば新興弱小国・日本の善戦からはじまったのではないだろうか。

【前史】

◆鬼門…
江戸時代のお公家さんたちは迷信深く、方位占いを信じていたので、うしとら(丑寅)の方角、つまり東北へ行く外出・旅行を忌み、遠回りしていた。
明治天皇はこれらの迷信を無視し、開明君主として振舞った。大正期にできた明治神宮のおみくじに大吉や凶というような占いが書かれていないのは、その啓蒙的な思想を継承している。

◆公論…
万機公論に決すべし、とは5か条のご誓文。公論とは世論であり多数意見ということだが、当時は普通選挙法がなく、普通選挙法ができたときには、先に「治安維持法」もできて、結局、「枢密院」という革命評議会の独裁と軍部の独走を許した。

◆天賦人権…
天が与えた基本的な人権。しかし、実用の学(科学知識)によって理論武装し、迷信を排した知識人だけが人権を享受できる、と喝破したのは功利主義者の福沢諭吉先生。

◆海国兵談・・・
国防は幕府の専権事項であったが、アヘン戦争で清国が英国に負けたり、北辺にロシア船が出没するので、広く世人に警鐘を鳴らす学者・林子平が登場。当然ながら、人心を惑わすものとして禁書となった。
当時は基本的に「民のごときは知らしむべからず、依らしむべし」という愚民政策。


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