勤皇平和主義十七条憲法は摂政・聖徳太子の制定と伝えられるが、寺方の古い記録では、聖徳大王と呼ばれる偉い方が居たそうだから、史実は不明だが、内容としては、何でもよく話し合うこと、そのうえで決定が下ったら恭しく従うこと、と書いてある。 和をもって貴しと為す、とはそういうことだ。 古来、民主集中制(?)を尊んできた国といえる。 この中心に置かれたのはいうまでもなく、大王(おおきみ)すなわち天皇。 最終決定権を有する以上、議論には積極的に関わらない立場を取り、議論を促すように配慮する。 昭和末期、昭和天皇の戦争責任に言及する市長に右翼テロが及んだとき、言論の自由は守られるべき、と、当時の浩宮殿下からアピールしたのは伝統的原則的な方針を貫いているに過ぎない。 さて、天下が乱れたとき、最終決定者としての天皇の価値を再認識しようとするのは尊皇だが、 大東亜戦争末期、徹底抗戦と降伏とで閣議が割れたとき、昭和天皇はポ宣言受諾を採られた。ご聖断という。 これでも不服とする一部軍人が決起し宮中にも押し入ったというから、正気の沙汰ではない。 終戦の詔勅には降伏する理由が縷々説明されているが、情勢不利、というだけの理由ではなかった。 戦争を続ければ日本が滅亡するだろう、というだけでもない。 原子爆弾が使われるようになった以上、いかなる戦争も人類文明破壊に到る、と喝破しているのだ。 だから、この戦争は聖戦である、正義の戦争である、やむにやまれぬ自衛の戦争であるということをさておいて、すすんで戦争はやめる、という結論だ。 いうまでもなく、この終戦詔書は占領下で書かれたものではない。 大東亜戦争を継続しない立場と、戦争放棄とを切り離すことは、その後の占領・駐留から派生する、図に乗った外国からの期待といえる。 詔書の精神を実現しようと勉めることは、勤皇といえる。 ジャンル別一覧
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