岡山城&後楽園
1昨年だったか、九州の帰りに寄ったんですが改修工事中で入りませんでした^^今回が初めてです❣!宇喜田秀家が最初につくりその後、秀家が関ヶ原で敗れ、小早川秀秋が入りさらに、池田❔❓❓(恒興の子孫^^)が代々入っています。戦前は国宝でしたが残念ながら、戦災で焼失してしまいました・・・四角形じゃない、珍しいタイプの城です。他には、安土城。岡山城は、2階までが五角形3階4階が長方形5階6階が正方形で見る角度によって、かなり違った形に見えて面白いです。3代目城主の池田❔❓の妻が、前田家の豪姫(だったか❓❓)と結ばれ前田家は、安土城築城の大工を出しており岡山城築城の時にも、前田関係の大工が関わっていたのでは❓❓とボランティアガイドさんが説明してくださいました。今の入り口は、当時はすべて石垣❣❣左の白壁が塩蔵なんですが、ここから出入りしていたと。見えている正面の入り口は殿様専用。それ以外の家臣は横の入り口から出入りしたと。天守の正面が本丸御殿で、ここに殿様と側室が暮らしていたと。家臣の武士は、一団低いところで働いており女性が高いところで暮らしていたのは、珍しいそうです。また、本丸跡などは、戦前中学校になっていたと。これも、二の丸や三の丸にはけっこう学校が作らているんですが本丸跡ってのは、ほとんど無いそうです❣❣金のしゃちほこが8尾❣❣これまた、珍しい。普通は2尾だと。これは2代目城主の小早川秀秋が、秀吉の養子となっており非常に可愛がられており、許されたと。また金箔使いまくりの秀吉好みの絢爛豪華城だったと。秀秋は、秀頼誕生により、後継ぎ争いとなっては困ると小早川家の養子に出された。シャチは、口から水を吐き出し災いや火災から城を守るってことだったと。そして岡山城は、さらに桃が4つ飾られ桃は、中国で魔除けというか、守り神みたいな感じで岡山城にもあると。なんで、中国の思想を取り入れた❓❓と質問しましたがそれはわからないと。でも、今でも、中国から来た人が父親にお守り代わりに桃の枝をもたされて来た人もいると。旭川が自然の堀そして、海につながり輸送路となっていたと。川から、城まで61段の階段でつくられ、運び入れていたと。旭川の堀では、ボートをやっていた。これも中国人、パワー有ります❣❣寒さなどものともしない❣❣桃のボート^^後楽園からの岡山城岡山の知り合いから後楽園は・・・ってことでした^^でも彼女は栗林公園よりは良い❓❓みたいなこと、仰っておられましたが私は、栗林公園の勝ちだと^^でも、悪く無かったです❣!のんびり散歩するには最高です❣!何と言っても、入園料が安い。城と後楽園共通で650円^^烏帽子岩後楽園を作った殿様、けっこう良い感じなんですが能舞台を作り、自信が参勤交代で江戸へ行ってる間には民衆にも、能見物をさせていたと❣❣また、8代将軍吉宗より早く、目安箱を設置していたそうです。なので、大手の目安箱を設置していたところの橋は、目安橋。しかし❣❣^^この烏帽子岩。16個に切り分けて、運び再び組み上げたそうですがそれは、やり過ぎでは❓❓^^私は、ちょっと興ざめだなって気がしました。鶴舎があったので行ってみました。ケージの中のタンチョウは、写真を撮る気にならなかったですがなんと❣❣ケージの外に2羽、居ました❣❣何ででしょう❓❓さらに、うち1羽がこちらへやって来る❣❣どんどんやって来て彼が首を振れば、くちばしが当るかと心配し私は後ずさりしたくらいです^^間もなく、彼は戻っていきました^^餌でももらえると思ったのかな❓❓岡山は、ツルセンターもあるし、タンチョウとゆかり深いですね。後楽園のツルは、はじめ中国留学生が贈ってくれたことからスタートしたようです。この人、知らないですが^^いやあ、岡山城&後楽園、良かったです❣!