1987年4月1日
1987年1月、BUCK-TICKはインディーズ最初で最後のアルバム「HURRY UP MODE」のレコーディングを開始します。最初で最後と表現したのはB-Tの目標がインディーズではなくメジャーでの活躍としていたから。レコーディングは約2週間行われ、あっちゃんの家で寝泊りしてスタジオでレコーディングという日々でした。曲は全部で13曲。殆どライブでやっていた曲ばかりです。
1.PROLOGUE(今井寿)
2.PLASTIC SYNDROME2(今井寿/櫻井敦司)
3.HURRY UP MODE(今井寿)
4.TELEPHONE MURDER(今井寿)
5.FLY HIGH(今井寿)
6.ONE NIGHT BALLET(今井寿)
7.MOON LIGHT(櫻井敦司/今井寿)
8.FOR DANGEROUS KIDS(今井寿)
9.ROMANESQUE(今井寿)
10.SECRET REACTION(今井寿)
11.STAY GOLD(今井寿)
*CDのみ
VACUUM DREAM(今井寿)
NO NO BOY(今井寿)
このアルバムはのちに1990年にビクターからリミックスバージョンでリリースされますが、今もこのアルバムはヤフオクなどで特にCDは高額で売り出されているほどプレミアが付いています。
アルバムタイトルである3とあっちゃん初の作詞曲である7、のちにミニアルバムのタイトルとなる9の3曲は今でも好んで聴いています。4の歌詞に80年代であることを実感します。ダイアル回せば~ですからね。殆どはあっちゃんがまだドラマー時代に出来ていた曲ですね。
実はインディーでは初のCDでの発売でもあります。そしてCDのみにVACUUM DREAMとNO NO BOYの2曲が収録されています。プレミアが付いているのはそのせいでもあります。
初期は今井が殆ど作詞作曲を手掛けていました。あっちゃんはヴォーカルを始めて間もない時期だったし。
87年4月1日にこのアルバムはリリースされました。と同時に記念ライブを豊島公会堂で行われることになりました。インディーズでホール規模の会場でライブを行うのは無謀と言われていました、誰もが失敗すると見ていました。そこで「BUCK-TICK現象 4月1日 豊島公会堂」と書かれたステッカーを渋谷、原宿を中心に貼りまくっていきました。時は1987年、インターネットなど存在していなかったのでこのような手段を用いていました。
そして当日、約800人も動員しライブは大成功しました。そしてこのライブで目を付けた各レコード会社がB-Tと契約を結びたいと話を持ち掛けてきました。
結成から3年、BUCK-TICKはメジャーデビューへの道が開けてきました。