龍水御朱印帳

2009/01/31(土)16:02

畝傍ををし

万葉散歩(5)

畝傍山 高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉第一巻 0013 香具山は 畝火雄々しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき 中大兄皇子 「香久山は 畝傍山が雄々しいと言って 耳成山と争ったそうだ神代でもそうなのだから 今でも妻を争うのです」 大和三山の中で最もどっしりとした山 畝傍山。明日香の甘樫丘から眺める畝傍山が最も麗しいと思っています。遠くに見える二上山の姿が、畝傍を投影したように見えるからです。ちなみに古代史ファン、古典ファンは「にじょうざん」ではなく今でも「ふたかみやま」と呼びます。   橿原神宮 初代天皇の神武天皇が即位した地として伝えられる畝傍には、神武天皇を祀る橿原神宮や神武天皇陵があります。現在の神武天皇陵は広大な陵地で、およそ100mの墳丘部を持つ立派なものですがこれは文久(江戸時代)の修陵以降、「整備」されたもの。4年前に出版された「文久山陵図」を見ると、荒廃していた頃の神武陵は、田圃の中にある小さな塚でした。イメージとしては下の画像のような感じです。   伝・小墾田宮跡(明日香村) 「文久山陵図」は、大阪ですと府立図書館で閲覧することが出来ます。書店で購入することもできますが、35,000円ほどします。古代史ファンには非常に貴重で興味深い本です。   天香久山 耳成山  今回の万葉歌は、大和三山を詠った中大兄皇子(なかのおおえのみこ)のちの天智天皇の歌。額田王を巡る中大兄(天智)と大海人(天武)のことを想像します。ところで、冒頭の原文を見るとちょっと疑問に思うことがあります。   天香久山神社 最初の「高山波」を、「香久山は」と読んでいいのでしょうか。大和三山の中で唯一「天」の字を冠する天香久山は天照大神がお隠れになったという「天岩戸」がある山が地上に降りて来たものだという伝承があります。しかし画像でもおわかりだと思いますが、最も山らしくない山で 「高山」 と表記するにはふさわしくない姿です。中大兄皇子のこの歌の「高山」は果たして本当に天香久山のことなのでしょうか。もう少し万葉集についてはお勉強する必要があるようです。 万葉散歩No.2  . 

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