2019/06/01(土)21:36
鏡作坐天照御魂神社
鏡作坐天照御魂神社
(かがみづくりにいますあまてるみたまじんじゃ)
奈良県磯城郡田原本町八尾816
■御祭神 天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)
石凝姥命(いしこりどめのみこと)
天糠戸命(あまのぬかとのみこと)
新屋坐天照御魂神社に続き、天照御魂神社シリーズ第4段。
御祭神の石凝姥命と天糠戸命は、八咫鏡(やたのかがみ)を作った神とその父。
八咫鏡は伊勢神宮の内宮に祀られている御神体。
崇神天皇6年。
宮中に祀っていた天照大神と倭大国魂神の勢いを畏れ、
天皇は宮外の別々の場所に祀ることにした。
古事記にはない記述ですが、日本書紀にはこのような記事があります。
その後、伊勢に鎮座するまで約60年。
天照大神が巡幸された地は「元伊勢」と呼ばれています。
余談ですが、この記述はちょっと不可解です。
「天照大神と倭大国魂神の勢いを畏れ」たのであれば、
どちらか片方を宮外に出せばいいと思うのですが、
両方とも遷したことには意味があるのだと思います。
「宮中」とは崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)のこと。
三輪山の麓にあったとされ、
その伝承地には現在、志貴御県坐神社(しきのみあがたにます)があります。
崇神天皇は大物主大神を畏れたのでしょうか。
崇神天皇紀には他にも大物主大神の祟りを畏れ
その子孫に祀らせたという記述があります。
※参考 大直禰子神社
拝 殿
話がそれてしまいましたが、そんなわけで八咫鏡は天皇の宮の外へ。
社伝によれば宮中を出た八咫鏡の代りに
内侍所に安置する神鏡を鏡作部に命じて鋳造させ、
それを天照大神の御魂としたとのこと。
天皇に献上するその鏡を作る際に試鋳した鏡が当社の神宝であり
天照御魂神と讃えて御神体としたとのことです。
本 殿
「試作品」が宮中に納められた天照大神の御魂と同じでは畏れ多いということなのか、
この神社の御祭神は天照御魂神とされたのでしょうか。
つまり天照御魂神も太陽信仰の神ということなのでしょう。
この鏡は三角縁神獣鏡という鏡で、
とある古墳から出土した三角縁神獣鏡の同笵鏡という指摘もあります。
同笵鏡とは、同じ鋳型から作られた鏡のことです。
社伝の通りであれば、三角縁神獣鏡は国産の鏡ということになります。
(三角縁神獣鏡は、邪馬壹国畿内説を唱える論者の多くが
卑弥呼が魏から下賜された鏡だと主張しています)
境内にある鏡池。
鏡の秘伝を授かる池として、鏡作部たちがここに集まったと伝えられています。
鏡職人がこの池で鏡を洗い清めていたのだそうです。
現在でも鏡作神社は、鏡業界や硝子業界からの信奉が篤いそうです。
この「鏡石」は江戸時代に鏡池から出土したものだそうです。
鏡作成の仕上げに使われたものだと伝えられています。
この付近には、銅鏡の製作を業としていた鏡作部が住んでいたのです。
鏡作坐若宮神社
つまり「鏡作坐」とは、「鏡職人が居住していた地に鎮座する」
そういう意味なのでしょう。
この神社の近くには唐子鍵遺跡があります。
この楼閣が本当にこの遺跡にあったかどうかはは別として、
この遺跡からは銅鐸の鋳型などが出土しています。
この地には、古くは弥生時代から銅製品の技術者が住んでいたのですね。
➡「龍水御朱印帳掲載寺社索引」
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