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カテゴリ:滋賀県の神社
。 新羅善神堂は三井寺(園城寺)・北院の中心堂宇で三井寺の鎮守社のひとつ。
。 三井寺ですが、平安時代には単に「寺」と言えばこの三井寺のことだったとか。
それくらい格式の高い寺だったということですね。
一方、延暦寺は「比叡山」と「山号」で呼び称されていたそうです。
三井寺(園城寺)の開基は大友与多王で、大友氏の氏寺とされています。
大友与多王は大友皇子(弘文天皇)の御子です。
園城寺は天智天皇と弘文天皇(大友皇子)の菩提寺と言っていいと思います。
Wikipediaによればこの園城寺は
壬申の乱では大友皇子と敵対した天武天皇ではあるが、 朱鳥元年(686年)にはこの寺の建立を正式に許可し、 「園城寺」の寺号を与えたという。 「園城」という寺号は、大友与多王が自らの「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って 一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。
そして別名の「三井寺」については
天智・天武・持統3代の天皇の、産湯として使われた井戸があるので
どちらも、なんとなく「無理くり感」が否めません。
三井寺という名称はともかく、
「園城」は「ソノギ「と読めば、朝鮮語の「セェネギ(鉄の国の城)」 。
。 新羅善神堂の前には、かなり広いスペースがあります。 平安時代の武将・源頼義の三男、源義光はここで元服したことから
新羅三郎(しんらさぶろう)と呼ばれたそうです。
兄たちも同様に八幡太郎(長男・源義家)、
賀茂次郎(次男・源義綱)と元服した場所にちなんで呼ばれたそうです。
それぞれ石清水八幡宮、賀茂神社(京都・上賀茂・下鴨神社)のこと。 。
。 新羅善神堂の近くには(「近く」と言ってもかなり山道を歩きますが) 。
。 上の写真は新羅善神堂入口の鳥居。 。
。 新羅善神堂の鳥居は、この弘文天皇陵を見守るように立っています。 大化4年(642) 大友皇子生まれる(父・中大兄皇子=天智天皇) 斉明6年(660) 斉明天皇、百済救援の軍派遣を決める 斉明7年(661) 一月斉明天皇、中大兄皇子ら、九州へ出帆。七月天皇崩御 天智2年(663) 百済救援の官軍、唐・新羅連合軍に白村江で大敗 天智6年(667) 都を近江に遷す 天智7年(668) 中大兄皇子即位(天智天皇) 天智10年 十月大海人皇子、出家し吉野へ入る。十二月天皇崩御 天武1年(672) 大海人皇子挙兵、近江軍と開戦(壬申の乱)。近江軍に勝利 大友皇子自決。都を飛鳥浄御原に遷す 天武2年(673) 大海人皇子即位(天武天皇) 上記一覧で注目したいのは、太字の部分です。
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Last updated
2025.03.23 17:26:55
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