高天原
高天彦神社 数年前に金剛山に登ったとき、このブログに次のようなことを書きました。 霊峰が発する生まれたばかりの新鮮な酸素と塵も埃もない清浄な空気。 景色も空も、木々の緑も、そして舞い散る枯葉さえも目に鮮やかで標高1,000mを越えるこの場所は文字通り 「地上とは違う場所」 だと感じました。 (中略) 古くは「高天山(たかまやま)」と呼ばれていた金剛山。 天照大神の天(あま)族は、 実は海人(あま)族だったのではないかと考えています。 天皇家の歴史書を編纂するにあたり、 神話の中でここの「高天原」という名称を拝借したのではないかと思いました。 何もかもが清浄な気を放ち、全てが鮮やかに輝いていて明らかに 「地上ではない場所」 だと感じたのです。 金剛山の山頂付近から大和盆地を見下ろしたとき私は「ここが高天原だ」と直感的に確信を持ったのでした。ただし話がややこしいのですが、天照大神が治めていた高天原ではありません。 当時のブログにも書いたように、記紀神話の天つ神は海洋族であって その出自は対馬海流沿いの島々であったと想像しています。 大国主命が造った葦原中国を譲り受け、以来この国を統治してきたのは天照大神の子孫である天皇家であるという「歴史」を既成事実にするために記紀と神話は他の地域であった出来事や、他の氏族の伝承を大和の権力者にとって都合よくミックスして作られたものだと考えています。 天皇家の歴史を否定しているわけではありません。 天皇家は世界に誇れる長い歴史を持つ、国家元首だと思っています。ただし、記紀に書かれているほどには古くないということ。 古代史を真面目に考えたならば、 初代神武天皇の即位が紀元前7世紀だなどと、本気で信じる人はいないと思いますから。 さて、その「高天山」とも呼ばれた金剛山の東麓に高天彦神社が鎮座しています。 鎮座地:奈良県御所市高天 御祭神は現在は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)ですが古くは高天彦神だったとも言われています。ひっそりとした小さな神社ですが、延喜式では名神大社という高い社格が与えられています。 葛城氏は近くを本拠地とした鴨氏とむすび大和朝廷に先行する「葛城王朝」を展開したとされています。 御所市という名前の由来も気になるところです。Wikipediaによれば、南葛城郡御所町が秋津村を編入 掖上村を編入、などといった沿革が書かれてありました。 日本書紀に、神武即位後 次のような記述があります。 夏四月朔日、天皇(神武)の御巡幸があった。腋上のほほ間の丘に上られ国の形を望見していわれるに「なんと素晴らしい国を得たことだ。狭い国ではあるけれど蜻蛉(あきつ)がトナメ(交尾)しているように山々が連なっている」これによって初めて秋津島の名ができた。 現在も御所市には掖上、秋津、本間(≒ほほま)などの地名が残っています。 高天彦神社が鎮座するのは金剛山の東麓と言っても、かなり高い場所です。 神社から少し降りたところでもこの眺望。 地上を見下ろす、神々の坐す場所といった感じがします。 神社の正面に、数十メートルという短いものですが なんとも言えない参道があります。この参道を歩くためだけでも、この神社を訪れる価値があります。 上の写真は麓側から、下の写真は神社側から見た参道です。そこを抜けるとタイムスリップか異次元に誘われるような錯覚を覚えます。 緑の濃い季節には、さらに神秘さが増します。 普段は誰もいない神社ですが、御朱印は少し下にある高鴨神社社務所でいただけます。 .