活津彦根神社
活津彦根神社(いくつひこねじんじゃ)滋賀県近江八幡市安土町下豊浦4272.■御祭神 活津日子根命(いくつひこねのみこと)神話での天照大神と須佐之男命との誓約で生まれた、 活津日子根命は天照大神の五男神の第四子の神。エンタシス風の脚を持つ、どっしりとした構えの鳥居。 この神社の社殿の屋根は「銅板葺き」ですが、その形状は歴史を感じさせます。。。鳥居をくぐる前から、この壮大な拝殿に目を奪われます。 御祭神は前述のように、天照大神の御子神。 ■アマテラスとスサノヲの誓約(うけい) 記紀神話において、アマテラスとスサノヲは天の安河を挟んで対峙。それぞれの持ち物から子を産むという場面。スサノヲの持ち物からは三柱の女神(宗像三女神)がそしてアマテラスの持ち物からは以下の五柱の男神が生まれた。正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)天之菩卑能命(あめのほひのみこと)天津日子根命(あまつひこねのみこと)活津日子根命(いくつひこねのみこと)熊野久須毘命(くまのくすびのみこと) 長男の正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は「天孫降臨」神話にも登場。母の天照大神はこの長男を天下りさせようと考えていた。しかし彼は天下りしようとするも、ビビッて引き返したりなんだかんだと言い逃れて、結局は息子のニニギノミコトを推挙。なので「天御子降臨」ではなく、「天孫降臨」となったわけです。東近江市の阿賀神社(太郎坊宮)などに勝運の神として祀られているが、実はちょっと残念な神様と言えるかも。天之菩卑能命は兄に代わって降臨するも、大国主命に寝返ってしまう。「天孫降臨」後は、大国主命を祀る宮殿(出雲大社)の神官を命ぜられ出雲国造及び土師氏らの祖神となったとされる。 三男以下の神についての事績は記紀神話には記述がありません。。。この神社に祀られる活津日子根命(いくつひこねのみこと)。 あの「ひこにゃん」の彦根市の名称は、この神に由来とする説もあるそうです。 でも「この神社。彦根市ちゃうやん」と、ツッコミたくなりますが 彦根市にも同神を祀る、彦根神社があるそうです。。本 殿。彦根市の由来なら、 兄神の天津日子根命(あまつひこねのみこと)もそう言えるかも。 この神は三重県桑名市の多度大社に祀られています。 多くの氏族の祖となったと言われています。 と言うわけで彦根市は活津日子根命が由来と言うことで。。。 。拝 殿。拝殿も本殿も現在は銅板葺きの屋根ですが、 拝殿の形状から元々は茅葺だったかも知れません。 だとしたら、伊勢神宮の正宮よりも見応えある社殿だったかも。。境内社・蛭子神社。それにしても滋賀県の神社はスゴイです。古都・奈良や京都の神社に勝るとも劣らない、由緒ある神社がたくさんあります。それほど有名でない神社でもこのレベル。活津日子根命を祀る神社は珍しいと思います。この辺りに、この活津日子根命を祖とする氏族がいたのかも知れません。。