てんたま一丁!
『天使のたまご』押井守監督の古の作品ですが、今日、初めて見ましたよ。感想は『解らんわ~』感情は『好きっ』という感じ。ズバっとした答えが出ない。人生そのものですな。絵的な状況としては駝鳥の卵の抱卵をする美少女と状況を見守る青年といった絵が全般。薮睨み・メランコリック・ゴシック・退廃的な世界は静寂に包まれています。作った監督自身が通しで観たら途中で寝るとおっしゃってるというこの作品。自分でも寝ちゃうようなモン作らないでください!(血涙) じゃあなぜ作ったしとツッコミたいです!当時からどなた様からもそう思われたおかげで監督が2年干されたというデスアニメですが何か?むしろ天野さんのキャラクターを具現化するためのインスタレーションかよという位に纏まっています。スッキリしないダークさが捨てて置けない空気をかもして私の後ろ髪を引くので、こういうの結構好きです。ついつい考察したくなる後味がいいですね。***とりあえずキリスト教モチーフである事はすぐわかりました。冒頭に雨に打たれて浮き上がる建造物はどう見てもノアの箱舟。よくわからないのは最初に浮遊してくる雲丹のようなシルエットの宇宙船のようなもの。明らかに人間界とは違う高次元のもののようですが、人をハッピーにするかと言えばそうも見えずどちらかと言えば墓場に近いような巨大モニュメント。教会にも見えます。あれは神の家なのでしょうか?近づくと表面は聖衣を着た祈るような姿の像でびっしりと埋め尽くされています。五百羅漢もびっくりです。見た瞬間にファイナルファンタジー10の祈り子でしたっけ?あれを思い出しました。*廃墟の一角で少女が目を覚まします。彼女は小玉西瓜くらいの卵をいつも大事に抱えており、暖めて孵す気マンマンなようです。そんな彼女の目の前に青年が現れます。マントを羽織り、十字に柄の伸びた剣のような銃のような武器を担いでいますが殺気は無い様子。青年は彼女を見守るように遠巻きに佇んでいます。少女はいぶかしみながらも、唯一現れた話し相手であろう彼に警戒感と興味を持ち、距離は置くものの逃げずにやがて存在を受け入れるようになっていきます。廃墟には時折影だけの魚が浮かび上がり、不思議と魚の影と共にどこからとも無く人々が現れて大きな銛で捕らえようとしています。鯨レベルのシーラカンスの影が映りこむ建物。その影めがけて銛を投げる人々。一様に色が無く、軍服のようなものを着た姿は争いと退廃。一見して生命とも平和ともかけ離れている姿はそこだけ切り取れば反戦映画のような有様で、“銛を打ち込むだけでは平穏は得られないが、人間はそれを支配欲を持ってして追い続け、結果永劫に得られないのだ”という絶望フラグの銛が観ているワテクシの脳髄にブサブサ刺さっております。潮のように鬱の血飛沫あがっとるわ。しかし彼らもまた形骸化した概念でしかなかったようで役目が済めば石のモニュメントのように佇んだまま町中にじわじわとあふれ始めた水に呑まれていきます。少しずつ少女と青年の距離は縮まります。正確に言うなら少女の距離が縮まったという感じ。「悪い人ではないらしい。むしろ頼れそう。」という感じで距離を縮め、おびえた時はすがるほど懐きます。ようやく中盤も過ぎ、螺旋階段の建物の中に入った少女と青年は言葉を積極的に言葉を交わします。セフィロトの樹のようなレリーフ、恐竜の化石ような進化を思わせる残骸。