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2007.12.24
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カテゴリ:彩の国 石仏閑話
 写真は、さいたま市中央区赤山通りの霧敷川のほとりに建つ石碑。享保十一年(1726)に建立されたものだ。

 石橋さんが、ここで投身自殺したわけでも、人柱になった供養というわけでもない。石造の橋が完成し、末永く堅牢・安泰であること願い、併せて通行安全などを祈念するものだ。

 橋供養とは、架橋工事が完了して、その橋の上で行う供養の儀式だ。この供養という言葉は、抽象的で幅広い概念の仏教語なので、理解しにくい。仏法僧などに供物を捧げることだけではなく、尊び敬いながら奉仕することや、精神的な崇敬の態度まで供養という。極端にいえば、ただ礼拝するだけでも、その行為は供養ともいえる。

 供養というと、死者の冥福や成仏を願うことと思われやすい。それは追善供養との混同や、追善を省略した語法が多用されるからだ。供養という言葉自体には本来、死者に関わる意味は含まれない。

 庚申供養塔や月待ち供養塔などの石碑や、開眼供養、経供養などは、いうまでもなく死者とは何の関係もない。石橋供養塔も同じことだ。

 供養塔には必ず、願いを託すべき主尊がある。庚申塔の青面金剛や、月待ち塔の如意輪観音などが代表的だ。石橋供養塔には地蔵を彫り込むものがあるので、主尊は大地を司る地蔵なのかも知れない。



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最終更新日  2008.02.15 09:18:09
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