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2008.01.25
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カテゴリ:彩の国 石仏閑話
 御嶽山は全国各地にあり、総称して「国御嶽(くにみたけ)」と呼ばれる。いずれも修験が関与した高く大きな山で、かつては、それぞれに蔵王権現が祀られた。これを御嶽信仰という。

 この御嶽信仰のなかでも、木曽・御岳(おんたけ)信仰は独特の歩みをみせた。江戸中後期に、尾張の覚明(かくめい)行者、次いで秩父の普寛(ふかん)行者が、登拝の旧習を無視して強行登山。以来、急速に普及して、明治時代には教派神道「御岳教」となる。

 写真は、川越市岸町・熊野神社境内の御岳塚頂上にある石碑。八海山と三笠山は、御岳山と峰続きの山で、御前山(おまえやま)ともいわれる。

 江戸時代には、それらの山の祭神または霊を、御嶽山蔵王権現、八海山大頭羅(だいずら)神王、三笠山とう利天(りてん)(「とう」はりっしんべんに刀)と称した。大頭羅神王は、般若経を護持する十六善神という夜叉神の一。 利天は、神々が住む天界の一。これらを御嶽三座神と呼ぶ。いずれも、その権現として天狗が想定された。

 神仏分離によって、御岳信仰は神社として登録される。そこで、これらの仏名を廃して、御嶽山は国常立(くにのとこたち)命、三笠山は豊斟主(とよくむぬ)命、八海山は国狭槌(くにのさづち)命と替えた。前二神は神代七代(かみよななよ)の一、二代。国狭槌命は山の神・大山祇神の子だ。

 他に、各山名に「大神」をつけたり、神社名をつけたりと、御嶽碑はややこしい。日本酒の銘柄が並んでいる、と誤解する呑み助もいる。 御嶽山は全国各地にあり、総称して「国御嶽」と呼ばれる。いずれも修験が関与した高く大きな山で、かつては、それぞれに蔵王権現が祀られた。これを御嶽信仰という。

 この御嶽信仰のなかでも、木曽・御岳信仰は独特の歩みをみせた。江戸中後期に、尾張の覚明行者、次いで秩父の普寛行者が、登拝の旧習を無視して強行登山。以来、急速に普及して、明治時代には教派神道「御岳教」となる。




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最終更新日  2008.02.15 09:17:04
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