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人力屋奮戦記プロローグ1



激動の1年(1995年)
この記録を書き始めるにあたり、どの時点にまでさかのぼって回想すべきかまず判断に苦しんだが、サラリーマン時代最後の1年間に私自身および世の中で起きた様々な出来事を抜きにしては語ることはできない。それ以外にも幼少時以来の様々な体験もベースにはあるのだが、話を進めていく中で必要に応じてエピソードとして取り入れていくことにしたい。最近特に目には見えない何かの力の存在を感じるのだが、今思えばこの当時に始まる色々な出来事が私自身を一気に変革させていくことになる。
【大惨事発生】
1/17(火)早朝6時前、一本の電話の音で目が覚める。「神戸が大変なことになっとうよ!」京都の知人からだった。この時、私は長野県松本市在住で1/15(成人の日)をはさんだ3連休を使って関西方面(特に神戸)を旅し、前日深夜帰宅したばかりだった。松本でさえこの日早朝に揺れを感じた。そう、あの忘れもしない阪神・淡路大震災が発生したのだ。しかも、自分が神戸を後にするのと入れ違いで。私にとって第二の故郷“神戸”が壊滅状態となり、多数の生命が奪われた。続々と報道されるテレビ番組に写る光景はと
ても他人事とは思えず、止めども無く涙が流れる。だが、私の回りではそれまでと何ら変わらない日常生活があるのみである。

そして、前年6月に発生した松本サリン事件。95年3月に発生した地下鉄サリン事件がきっかけとなり、オウム真理教による犯罪と判明。自分の住まいからは離れた場所であった為、何ら被害は受けなかったが、何の罪もない人たちが多数殺された。しかも自分のすぐ身近な距離で。でも私の生活は何も変わらない。当時は事務職であった為、一ヶ月単位のルーティーンワークをこなすのみ。
もし、神戸で私が犠牲者となっていたら、もし、サリンの毒ガスで眠っている間に殺されていたとしたら、・・・
絶対に死んでも死にきれない!そう思った。一番の理由は仕事に不満があったからに他ならない。しかもその会社(某化粧品メーカーN社)の中にいる限り、自分がやりたいと思える仕事は見当たらないのだ。まさに生活の糧を得るためだけの、手段にしか過ぎなかった。

【友人との再会】
8月のお盆休みの時期に中学卒業20周年同窓会をやるという案内が郵送されてきた。信州から九州は大変遠いし費用もかかる。迷ったが、滅多にあることではないので思い切って参加することにした。当時仲のよかった小田昌広君(ずっと音信不通)が来ているというので彼の姿を捜し再会。名刺には株式会社 浜勝(現リンガーハット) 部長という肩書きがある。彼が開口一番「おまえ、仕事おもしろいんか?」私「いやあ、おもしろくない。」彼「おまえ、仕事おもしろくないんやったら、辞めた方がいいぞ。」頭を思いっきりハンマーで殴られたような心境だった。その日を境にまず会社を辞めないことには何も始まらないと思うようになった。
10/21(土)小田君が岐阜県恵那市の出張のついでに松本に寄ってくれることになり、私の部屋に荷物を運んだ後、食事をする為外に出た。廊下にたまたま紙屑が落ちていた。彼は無言でそれを拾うと自分のポケットに入れた。私「おまえ、今紙屑拾った?」彼「おお。」その後二人とも無言で車に乗り込んだ。彼は仕事の一環として「掃除に学ぶ会」にも参加しており、日常生活の中でもごく普通にそのことを実践していたのだ。
私は自分が恥ずかしかった。それまで色々なセミナーや研修を受けてきが、
頭ではわかっていても中々行動に結びついていないことも多かったからだ。彼は私に対してあれだけのことを言うだけの行動を実践している。こんな些細な出来事なのだが、心が思いっきり動かされた。(これは後日気がついたことだが、小田君の名刺の裏側には「はきものをそろえる」というタイトルの文字とイラストが描いてあり、何と上村禎彦さんの作品であった。おそろしい縁です。)
※上村禎彦さん・・・1999年から私の名刺デザインを依頼している、春日市在住のグラフィックデザイナー。
to be continued...



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