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福岡・博多 人力車出張サービスで思い出イベント       あなたの夢を運びます!博多人力屋

闘いの日々2



【不発の正月イベント】
平成9年の大晦日、正月イベントに備えて福岡ドームに搬入を完了した後、そのままスタッフと共にカウントダウン・イベントに参加。翌日の元旦から4日間にわたるイベントがスタートしたが、またまたの不発企画。原因は色々とあったが、いくつかピックアップすると
・フリーマーケットや飲食屋台、催し物のステージの片隅に「九州のお正月」を連想させるコーナー設定という具合で、イメージがちぐはぐ。
・大人数の人前で人力車に乗車するのは恥ずかしすぎる。
・そもそもドーム内の雰囲気に人力車は合わない。
4日間、実際に人力車を走らせる需要はあまりなく、せいぜい記念撮影程度で正月早々スタッフ一同が辛酸を舐める結果となった。この年の正月に差し出した年賀状は人力屋メンバー4名で撮影した最初で最後の写真入りで、気合を入れていたのにも関わらず、とんだ年明けになってしまった。

【湯布院常駐計画】
相変わらず肉体労働をしながら何とかリベンジをすべく、そのチャンスを伺う。やはり常駐できる観光営業拠点の必要性を痛感した私は次なるターゲットとして大分県の有名観光地・湯布院をリサーチすることに。九州内で年間通じての集客が期待できる唯一の場所であり、地形や町全体の和の雰囲気等が条件に適合すると思われたからだ。2月初旬にスタッフ4名で出向き、第一回目の視察。この時のメンバーには小串氏の他、西田氏(肉体労働で知り合った某テント会社のバイト社員)と本郷氏(宮城教育大学休学後、人生に失望して来福。その後フリーター時代に偶然知り合い、一緒に屋台のバイトに入るもわずか2週間で挫折。ひょんなことから生きる術としてのパチンコにはまり、パチプロに転向した超変わり者)がいた。2月末に奈良で行われた人力車保障会サミットには4名で乗り込み、湯布院での展開に関して諸先輩方の意見・アドバイスに耳を傾ける。4名で気合十分に出向いたこの時の会合は非常に充実した内容で、スタッフ全員のモチベーションを高める結果にもつながった。翌3月には3台目となる人力車を増車し、婚礼や祝い事に応用のきくよう「寿号」と命名。程なく、2件目の婚礼人力車提携先となる三井アーバンホテル様と契約を交わす。

この年初めて二日間のみ観光営業で出向かせていただいた日田のひなまつりの際、日田観光協会会長と面談。湯布院常駐計画のことを切り出すと先方の会長とも懇意にしているので、自分からも紹介してくれる旨の話があった。この言葉は本当に心強くありがたく感じられた。D市の時には周到な計画もなく、半ば強引なやり方で失敗したため今回は慎重に事を運ぶ必要がある。自分の思いの丈をびっしりと便箋に書き連ねて湯布院観光旅館組合長にまず面談を請う。しかし今回もまたこの面談すら叶わなかった。最終的に6月15日に開催される理事会で決議するということだが、自分たちには意見を述べる場さえも設けてもらえなかった。結果は一枚のハガキが来て「満場一致で不許可となりました」と。言葉の使い方も知らないこのハガキを受け取り、逆に何だかスッキリした気分になった。

私が元々創業した博多拠点の仕事も少しずつではあるが増えてきて、湯布院との2拠点になるとスタッフや住まいといった、解決すべき根本的な問題が山積みであった。何よりも自分自身が湯布院に常駐するということは、当然住居も構えなくてはならない。

先方の方とは会えないものの5月26日に一泊二日で湯布院に出向き、夜食事をした後、中心部を散策してみた。もう辺りは真っ暗で街灯の灯りさえない場所もある。自分がこの場所に住むことを想像すると何だか急激に憂鬱な気分になった。私が会社を辞める時に思い描いたのは「自分の好きな場所に住んで好きな仕事をする」ことだったのに、何か違う方向に向かっているとこの時初めて気付いた。湯布院の常駐不許可の決定はこの時の自分にとっては寧ろ歓迎すべき返答であった。この件で気持ちの踏ん切りがつき、昨年から話のあった居酒屋開業計画の一スタッフとして180度違う方向に舵を切ることになった。

【居酒屋開業】
とは言ってもあくまでもMさんというオーナーの下での雇われ店長。しかも全くゼロの段階から店舗の立上げ、メニュー作り、調理技術習得とやるべきことは目白押し。この時の立上げメンバーは私(元化粧品会社リーマン)、小串氏(元メイクアップアーティスト)、それに料理長として元商社マンのK氏という飲食業とは全く無縁の素人3人組。K氏は脱サラ後、Mさんの下で商社的な仕事をしていたが、急遽居酒屋要員となり、トンカツ屋とほっかほっか亭で短期間バイト修行したのみ。和風居酒屋の主力商品は当初はトンカツの予定が一転、手造り豆腐に変更。主たるレシピは製造元である西新の川上商店さんから提供してもらうことに。豆腐屋二代目の川上さんは私と同い年で人柄もよく、毎日手造りしている豆腐が非常に美味しかったのでこの店舗は成り立ったと今でも思っている。わずか一週間の準備とトレーニングで開店日の7月12日(日)を迎え、晴れてキャパ30名弱の「京風居酒屋・厨(くりや)」誕生となった。

【想像を絶する激務】
居酒屋ではあるが、少しでも売上げを確保する目的で日曜日以外はランチタイムも営業。朝10時までに出勤して清掃&ランチの仕込み。11時半~14時のランチの片付けを15時頃終了して少しだけ休憩タイム。ほどなく夜の仕込みや買出しに出掛け17時半~24時まで居酒屋営業。片付けと翌日の食材並びに酒類の発注、売上げ集計が完了するのが午前2時前後。自宅へ戻って3時頃就寝し9時には起床というのがほぼ毎日の流れ。結局寝ている時以外はほとんど仕事している状態の16時間労働。まあ他の飲食店でも似たようなものであろうが、想像以上の激務だ。これに加えて私の場合は週末中心に人力屋の仕事が当然ある。私は屋台の時のしんどさを知っているので、それに比べれば少々体がきつくても耐えることができた。何よりもオーナーは別にして、店内はスタッフ3名だけでの運営で風通しがよかった。初組合せとなる飲食素人3人組は意外にも意気の合った連携プレーが自然体でできていた。

居酒屋オーナーとは毎日、連絡ノートを使って前日のできごとや改良・改善すべき点を報告し、それに対するフィードバックもタイムリーに行ってもらえた。ただ、いかんせん店舗の立地が警固本通りという夜はほとんど人通りない場所で、しかもマンションの2Fというより不利な条件を抱えていた為集客の厳しさに即直面。結局、自分を含めたスタッフの友人・知人等に告知したり、近隣へのあいさつ回り、公民館に出入りする方へのビラ配りを空き時間にやったりといった営業活動にも奔走。少しずつ常連のお客様も増えてきたが、最終的に自分の手元に残る給与は時給換算すると300円位のもの。売上げ・利益が上がればその分還元する約束になってはいたが、与えられた条件下での売上げアップがそう簡単にできるほど現実は甘くなかった。
to be continued・・・




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