000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【お気に入りブログ登録】 【ログイン】

福岡・博多 人力車出張サービスで思い出イベント       あなたの夢を運びます!博多人力屋

闘いの日々6



【絶望と代替案】
1999年10月19日で博多座前から姿を消し、観光営業は撤収したものの、翌11月は従来から継続している七五三記念撮影や結婚式送迎(当時実績9件)、イベント出張等であっという間に過ぎていった。しかし、その後に迫っている長い冬の閑散期のことを考えると、これから先どうやって飯を食べて行こうかと、気が気でなかった。この頃の私には博多で開業したことに対する後悔の念が芽生えつつあった。約四年の間、自分の理想を追いかけてきたものの、本業一本で自活できるだけの市場は開拓できず、目先すぐに事態が好転するとはとても思えなかった。今さらながら、他の同業者と同様に観光地での営業展開がないことには今後の見通しは立ち難いのでは、という考えに至った。一つの解決策として、既に観光人力車の存在する場所に移住し、その場所で既存の同業者と共存共栄し、これまでわずかながら開拓した博多の市場は別のスタッフに任せるという選択肢もありかな、ということに思い至った。そして改めて日本全国の人力車マップを分析した結果、まだ可能性を秘めた人力車空白地帯の候補として、「鎌倉」という土地が急浮上した。覚悟を決めた私は12月3日(金)朝10時5分、福岡空港発の飛行機に飛び乗り、一路鎌倉を目指した。

【いざ、鎌倉】
当時の鎌倉では有風亭の青木登さんとおっしゃる方がバイトを含めた4~5名のグループで観光人力車を営んでおり、他の業者はこの時点でまだ参入してなかった。既存業者の存在する、まだ開拓の余地のある観光地で、個人事業者として新たに開業するというのが私の構想。まずは鶴岡八幡宮前で待機している一目でそれとわかる風貌の男性に恐る恐る近づき、自己紹介したところ、近くのカフェで話を聞いてもらえることになった。
話し始めた当初、青木さんは一旦は私の希望を受け入れ、快く迎えてくださるように思われた。しかし博多拠点での仕事で、4年の間に年間婚礼件数が50件になった旨を話した頃から雲行きがおかしくなった。せっかくゼロから創り出した市場を放棄するのはもったいないとか、もし鎌倉を拠点にやるなら自分のところの最下位の弟子(大学生バイトよりも下の位置)から始めてもらわなければいけない、といった話まで飛び出してきた。切羽詰まった状況の私は先方の条件を全て飲んでもいいと返答したが、それ以降の青木さんは私の申し出をかたくなに固辞された。結局交渉は決裂し、かすかな望みを持って飛び込んだ鎌倉拠点構想はもろくも崩れた。目の前の扉を全て遮断され、八方ふさがりの心境で福岡へ舞い戻り、表面上は例年と変わらず、慌ただしく年末年始の日々を過ごした。この頃の私は長い間通してきたロンゲをばっさりと切り、普通の髪形に戻した。本来全くくせのないストレートヘアがいつの間にか天然パーマのようなくせ毛に変化していた。長期間にわたる強い精神的ストレスがその原因であろうことは容易に想像することができた。

to be continued・・・




Copyright (c) 1997-2018 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.