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闘いの日々7



【引きこもり生活からの脱却】
年が明けて2000年の幕明け。自分を取り巻く状況は何ら変わることなく、わかっているのは目先の現金残高が底をつき始めたこと。精神的には引きこもり状態にあり、誰にも会いたくない心境であったが、そんな悠長なことを言ってられないほど事態は緊迫していた。何でもいいからバイトでもしないと、当面の生活費にも困ると思った私は、コンビニで買ったアルバイト情報誌で、適当な仕事を探すことに。ちょうど冬の厳寒期であり、時給800円で灯油の配達員を募集している米穀店があった。場所は博多区美野島なので、近所の人と顔を合わすことなくこっそりできると思い、すぐに電話したあと面接に。が、美野島の商店街内にある平屋の個人商店の手前まで来て、足が止まった。
「一体自分はこんなところで何をやっているのだろう。大学まで出て知名度のある会社に入社し、そこを飛び出してまで追いかけてきた自分の夢は何だったんだ。」
過去の経歴や自分のプライドからすれば、この期に及んでとてもできる仕事ではない。一瞬、振り返ってそのまま帰ろうかとも考えた。が、
「何を今更ちゅうちょしているんだ。とやかく言っても目先のお金がない状態は解消できないだろ。さっさと店に飛び込め!」
もう一人の自分の声が私の背中を後押しし、ようやく店内に入ることができた。自分よりも年下の経営者の息子さんに履歴書を渡して面談後、即翌日からの勤務が決定。やはり、二足のわらじ状態でバイトしていたミュージシャンのFさんの下で仕事を教わり、午後から夜にかけてスーパーカブで灯油の配達をする毎日が始まった。

【灯油配達で商人(あきんど)修行】
この時の勤務先は、個人商店ながら酒屋を含めた3店舗を経営していたので、灯油以外の食料品やお酒の配達もあり、主として重いものを運べないお年寄りや小さな子供さんのいる家庭がターゲットであった。最初は生活の糧にといやいや始めたバイトであったが、一軒一軒の現金集金やご用聞きみたいなこと、配達の合間にチラシのポスティングをやったりと、零細個人商店の原点とでもいうべき仕事をする中で、商売人としての修行を改めて体験させられているような気がしてきた。将来のことはとりあえず封印して、目先の仕事に一所懸命取り組んでいるうちに、一人で任せてもらえる仕事が結構楽しくなった。季節は春になり、次第に灯油配達の需要が少なくなった頃、一緒に働いていたバイトのFさんが突然辞めることになった。Fさんのやっていた仕事を自分が肩代わりすることで、とりあえず首がつながった訳だが、このままの状態が続けば米穀店の一従業員になり下がってしまう可能性もある。当時プライベートで知り合った女性からも自分の仕事の不安定さを強く非難され、転職を前提とした活動を始めることに。ただ、面接に出向いた会社からはことごとく断られる。その後、6月末に米穀店を辞める直前、初めて買った転職情報誌Be-ingの中で、思いがけない情報に出合うことになる。

【派遣営業社員という選択肢】
Be-ingで目が留まったのは「営業職の派遣社員募集」という記事。世の中に派遣社員という働き方があることは知っていたが、それまでは女性の事務職というイメージで捉えていた。実はこの年、法律による規制が緩和されて、営業職の派遣が解禁されたのだ。記事を読みながら、営業職は過去6年の実務経験があり、月~金の平日勤務の派遣社員なら自分の本業と兼務できると思い登録を決断。早速掲載されていたA社に出向き、即10日間ほどの短期仕事にありつけたまではよかったが、後が続かない。真夏の7・8月は本業も閑散期でほとんど仕事がなく、困った末に宅配便下請けのお中元配達の仕事を見つけ、約一ヶ月従事。この仕事は傍で見ている以上にハードで、早朝から深夜まで勤務しても出来高制であり、へたをすると日当が3000円程度にしかならず、自分にとって過去最悪の地獄絵巻のような毎日であった。

その後、再び派遣会社より紹介された「怪しい加盟店勧誘の仕事」を3ヶ月程した後、大手通信会社の長期仕事の話が舞い込んできた。ちょうど通信会社によるマイライン登録制度が開始される時期で、営業経験のある派遣スタッフはにわかに引っ張りだこの状態になった。私がタイミングよくありつけたN社とは破格の時給で契約することができ、平日のみの定時勤務で月額何と約30万円の報酬!それまでのどん底生活に一旦ピリオドを打つことができた。

to be continued・・・



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