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カテゴリ:よもやまばなし
チコちゃんネタ。
なぜジンギスカンは北海道名物? おまけに鍋を付けたから 北海道に羊が増えた理由は1918年の第一次世界大戦中。 軍の防寒着を作るために、国が綿羊の100万頭増殖計画を打ち出しました。 しかし、その後に安い化学繊維や輸入羊毛が増加した事で北海道の綿羊の需要が激減。 そこで余った羊の有効利用として考えられたのが羊の食用利用。 しかし、ジンギスカンは、クセがあり、特にその臭みが敬遠されて当初はなかなか普及しませんでした その状況を変えたのが「美味しいタレの開発」。 そのタレを販売する際に鍋を付けて提供するというキャンペーンを実施。 この企画が大成功して、ジンギスカンは北海道民のソウルフードに。 そのきっかけを作ったは? 北海道内の食品会社、ベル食品株式会社。 社長、福山浩司さんが解説。 先代の工場長の試行錯誤のおかげで誕生したベルのタレ。 販売当初は鳴かず飛ばずの状況。 精肉屋さんに鍋をプレゼントするというアイデアを考え出したのが爆発的ヒットのきっかけ。 NHK たぶんこうだったんじゃないか劇場 「にくぞら ~北海道ジンギスカン物語~」 1947年の札幌。 戦後の食糧難の中で安くて美味しいモノを作りたいという思いから、北海道大学時代の同級生たちが札幌に集って食品会社を設立。 商品開発を担当したのが工場長の中本泰夫さん(鶴見辰吾) 以前に手掛けたのは清涼飲料水のラムネ。 当時貴重品だった砂糖の代わりにズルチンという人工甘味料を使用したラムネを開発。 真冬の北海道では売れないという事を想定せず失敗。 その次は、家庭用ラーメンスープ。 しかし、生麺を売っている商店が少ないという事を想定しておらずにこれも失敗。 そんな時、中本泰夫さんはある夫婦の会話をきっかけにジンギスカンのタレの開発を思いつきます。 安い羊肉を、おいしく食べるタレがあれば、きっと売れるはず。 当時は羊肉の臭いを消すために醤油ににんにくやしょうがを入れてました。 それでもやはり気になるのはその臭み。 中本泰夫(鶴見辰吾)さん「ホントに臭いな。」 妻「これが美味しく食べられたら家計も楽になるんだけどねぇ。旦那がもっと稼いでくれたら。」 中本さん「今、何て言った?」 妻「旦那がもっと稼いでくれたら?」 中本さん「いや。その前のヤツ。」 妻「これがもっと美味しく食べられたら?」 中本さん「そうか!この安い羊肉を美味しく食べられるジンギスカンのタレを作ったらきっと売れるんじゃないか?」 こうして羊の臭みを消すタレ作りに没頭。 様々な材料を試した中で「玉ねぎ」の相性が良い事を発見。 そして遂にジンギスカンのタレが完成。 大量に製造して精肉店に卸して万々歳。かと思いきや在庫だらけで全く売れず。 「羊は臭い」という先入観がある消費者からは、受け入れられませんでした。 しかし、精肉店との会合であるヒントが 一般的には普及していなかったジンギスカン鍋。 当時、一般家庭では羊肉は金網で焼くのが普通。 この金網調理では臭みの元となる脂が落ち切る前に焦げてしまいます。 分厚い鉄のジンギスカン鍋では遠赤外線効果で適度な焼き色と旨味を引き出します。 また、臭い脂はドーム形の斜面を伝って落ちる。 ここに目を付けた中本泰夫さんはある賭けに。 タレをケースで買ってくれる精肉店にジンギスカン鍋をプレゼント。 精肉店には肉とタレを買ってくれたお客さんにそのジンギスカン鍋を貸出してもらうというキャンペーン。 その名も「ジンギスカン鍋引き換え作戦」 当時配ったジンギスカン鍋はなけなしの事業資金から何とか捻出して製作したも。 社名入りのジンギスカン鍋は計1000個用意されました。 このキャンペーンでしたが結果は大成功。 ジンギスカン鍋を貸してくれるという噂は瞬く間に広がってタレと羊肉が飛ぶように。 そして同じぐらいのタイミングで1956年に滝川の羊肉専門店が花見でジンギスカン鍋を貸し出しを開始。 札幌と滝川を中心としてジンギスカン人気は広がって行きました。 その後、ジンギスカン鍋の普及も手伝ってジンギスカンは北海道民のソウルフードに。 今では花見、給食や海水浴でもジンギスカンというほどすっかり定着。 番組の映像など、詳しくは下記をどうぞ。 なぜジンギスカンは北海道名物?→おまけに鍋を付けたから。開発したタレを売るために鍋を貸し出し、札幌・滝川から一気に普及! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/09/16 05:34:50 AM
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