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今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

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2019.12.18
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カテゴリ:日記

鳥精進・酒精進の奇習について 後藤瑞義

伊豆の河津町(旧上河津村、下河津村)に昔から伝わる、
12月18日から23日まで鶏肉、卵、酒を断つ風習があ
ります。私自身上河津村に生まれましたので、この風習を
子供の時はもちろん、故郷を離れた今でも守っております。
多分私以外の出身者も同様に守っているのではないかと想
像しています。そのくらい、親たちの真剣度が強かったよ
うに記憶しています。旅行者にも、旅館であっても酒を配
達しなかったと祖母から聞いた記憶があります。その謂れ
は、次のようなことでした。

「昔、河津の郷に杉桙別命(すぎほこわけのみこと)という武勇
に優れた男神がいました。ある日のこと、命(みこと)が酒に酔い
野原の石にもたれ眠っていると、そこに野火が起こりあっという間
に周りを囲まれてしまったのでした。そこに無数の小鳥が飛んでき
て河津川から水を運び火を消し、命は難を逃れたということです。
この出来事があってから、杉桙別命は、酒を慎み村人にも一層慕
われる事となった。」という話で、そのため、正月前の六日間(12
月18日から23日まで)、鳥肉、卵、酒を断つ風習が始まったよう
です。

だいぶ以前のことになりますが、法事で実家に帰ったとき、親戚
の古老とこの奇習(われわれは、「とめます」と云っています)の話
になりました。古老は、「河津郷は山が多く、米があまり採れない貧
しい里だったので、そうでもしなければ正月を迎えられなかったの
だ」と説明してくれました。確かに真相はそのようなことなのでしょう。

河津は、河津三郎の治めた里、相撲の「河津掛け」にその名が残
っています。その河津三郎の子で、父の仇討ちで有名な曽我兄弟
もおります。家康の側室お万の方(紀州徳川家の祖、頼宣、水戸徳
川家の祖、頼房の母)は、河津の里で育ちました。それから遡りまし
て、伊豆の踊子の舞台(湯ケ野:わたしはここで生まれました)にも
なりました。最近は、なんといいましても、「河津桜」でしょう。貧しい里
といわれていた河津郷、しかし不思議と助けられていることを発見し
ました。これも奇習を守っているお陰なのでしょうか。







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最終更新日  2019.12.18 09:35:34
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