カテゴリ:短歌
4月29日(月) 近藤芳美「土屋文明」より(54) 岩波書店近藤芳美集第七巻「土屋文明…鑑賞篇」よりの転載です。 『六月風』より(2) 赤熱(しゃくねつ)の鉄とりてローラーに送る作業リズムなく深き息づき聞ゆ (昭和十一年) 製鉄所の溶鉱炉の前の作業の情景なのであろう。炉からとけ流れ出る赤熱の鉄をとってはローラーに送る作業が、まるでリズムのないように重々としてつづけられる。その作業の中に、深い息づきが聞えくるようである。黙々と働く裸体の男らに溶鉄の光がてりつけ、それは息づまるような労働の雰囲気である。そうした世界の中から土屋文明は自分の感動を歌おうとする。「走り来る丸鋼の赤く焼けし残像がまたよみがへるごとし今宵も」「引きずり出す鉄板の見る見る黒く冷えゆくをたたき折りぬ」などの作が同時に作られている。このような生産の世界…とりわけて近代重工業の世界を歌にした歌人は文明が最初であった。 しかし、彼がそれよりはるかに数多く歌う農業生産の世界の場合と比較して、一つだけ大きな相違がある事も感じられる。ここではほとんど人間が歌われていないという事である。彼は巨大な、非情な世界を前に息を呑んで立っているだけである。 大陸主義民族主義みな語調よかりき呆然として昨夜(きぞ)は聞きたり (昭和十一年) 一人男が来て、昂然と時代を論じて行った。大陸主義とか民族主義とか、すべて語調のよい、いさぎよい言葉ばかりである。しかし其のことばの奥にある、何というむなしい思想なのであろう。それを気押されるような思いで、昨夜自分は呆然と聞いてしまっていた。そういう意味であろう。あるいはこの解釈を、作者がどこかによばれて時局講演か何かを聞かされたという風にしてとって見てもよい。自嘲をまじえたひそかな一人の忿怒が呟きのように語られている。四十六歳の大学教師土屋文明の作品である。「交りはいよいよ狭くなり来りこもりて怒る家人のまへに」の一首がすぐ前にある。 この年に二・二六事件があり右翼青年将校の一群がクーデターを企てた。クーデターは失敗したが日本は一途ファシズムへの道をあゆみつづけた。空虚な呼号のみに覆われた狂気の日が来ていたのである。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.29 07:13:22
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