カテゴリ:短歌
5月19日(日) 近藤芳美『短歌と人生」語録』 作歌机辺私記(84年6月) 「怒り」の切実(1) 飯田に講演に出掛けたとき、「未来」会員のひとから、たとえば「短歌研究」新人賞などでわたしの推す作品が、なぜ「朝日歌壇」の場合と異質なのかを質問された。「朝日歌壇」でわたしが採る歌が多く生活の歌、ないしはときとして「社会詠」などと呼ばれる者であるのに対して、そうした新人賞の場合、それらとは違い心の内面だけをうたおうとする、いわゆる心象作品であることが多い。なぜなら、そのような作品ばかりが集ってくるからだよ、と答えておいたが、彼はなお不審そうな顔をしていた。事実、生活歌 などという種類のものはほとんどなく、あっても一様に平凡な生活報告の域をでない歌ばかりである。ついでに記せば質問者は農民であり、「未来」でも今は少数となった農村生活詠、労働詠の作者であった。 同じ現象は、何らかの程度に今日の短歌の世界一般にもひろがっているのではなかろうか。すなわち、生活の歌、生活者の歌の衰退ということである。たとえばわたしなど、ときとしていくつかの労働組合の機関紙か何かの選歌を依頼される場合もあるが、そこでうたわれなければならないはずの生活詠ないし社会詠の無気力が著しい。少なくともかっての…敗戦の後の時代のような文学エネルギーはそこには今見られ ないと言える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.19 07:17:07
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