6月9日(日)山桝忠恕先生のイギリス滞在記
「東も東西も西」師弟友情通信――(下)(7)
同文舘発行(昭和41年)山桝忠恕著「東も東西も西」より
(注)わたしは、39年40年に山桝ゼミに在籍しました。
「なんとなく 申し聞かせて おきたくて」(7)
だらしがないと言えば、手紙係のFくんにしても同様です。「手紙着きました」という応答だけでは、どの手紙が、いつ着いたのか、さっぱり判らないではありませんか。わたしは、投函のさいに、その日時、差出局ないしポストの場所、手紙のフォーム、書き出しの五、六字などを手帳に必ずメモしておりますの。そして、何日の何時に、どこで投函した手紙が、いつ日本の、どの局区内に届いたか、また日本のどの局区内から何日の何時にお差出しになった手紙が、このロンドンの宿に何日の何時に着いたかを、消印で判定したりFくんに照会したりして、所要日収や郵便局の勤惰ぶり、更には投函する曜日のいかんによる所要日収のバラツキ加減、ロンドン~東京間の飛行機の就航状況とエアメイルの届き具合との相関関係など、実にさまざまな調査を実証的・統計的に纏め上げようとしているのです。この折角の国際的な調査に対して、Fくんが、いとも冷淡にして非協力的なのは、日英両国の郵政事業の改善に寄与しようとしているわたしとしては、甚だ遺憾であると申さねばなりません。
(つづく)