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今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

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2024.06.12
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カテゴリ:短歌

6月12日(水)

近藤芳美「土屋文明:土屋文明論」より

岩波書店近藤芳美集第七巻「土屋文明土屋文明論」よりの転載です。

『土屋文明序説』(七)より

しかもその同じ日に、暗い次の時代の影が重苦しく周囲に迫っていた。ファシズムと戦争である。それはマルキシズム増悪の時のあとに必ず来るものであった。満州事変がはじまったのは昭和六年であったが軍ファシズムはその前にひそかに不気味な動きを繰り返している。昭和七年には上海事変が生じ、満州国建国、五・一五事件などがつづく。二・二六事件があったのは昭和十一年である。

昭和八年のころ土屋文明は「小工場に酸素溶接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす」「横須賀に戦争機械化を見しよりもここに個人を思ふは陰惨にすぐ」等という、定型を破調と呼べるぎりぎりの限界までにひろげた佶屈な抒情作品を作り、時の話題となった。鋭角的な表現は冷厳、対象を突き離すかのように無表情であり、抒情と呼ぶ在来の概念を拒絶するかのようであったが、それぞれの中に、概念とは別に一つの詩の世界をおのずからに伝える。硬質な、金属光沢を思わせる新しい抒情の意味である。それはさらに「赤熱の鉄とりてローラーに送る作業リズムなく深き息づき聞こゆ」などと、これまでにかつて歌われたことのなかった巨大生産の世界に立ち対う作品となり、「降る雪を鋼条をもて守りたり清とを見むただ見てすぎむ吾等は」等という、切迫した息づきをこめた重苦しい時局詠に同時につづく。同じく非情とも言える新しい抒情の世界の開拓であり導入である。

そうしてそのような作品が、しだいに非常時と呼ばれていく戦争前夜の日に作りつづけれれる事実に注目する。例えば前掲の一首「降る雪を鋼条をもて守りたり」は昭和十一年に作られ、その年に生じた二・二六事件当日の嘱目をひそかに素材とする。一首の佶屈する声調は、すでにそれを明らかに口にすることの出来ない日に生きる、憤怒をこめた市民である一人の文明の鬱屈を、そのまま声として伝えるといえる。

他の作品も同様である。一見無感動の、硬質の抒情と呼ぶものの中に、わたしは歴史の一時期に生きる不安と予感の怯えの思いを聞かないわけにはいかぬ。

第二歌集『往還集』のあと『山谷集』『六月風』の各歌集がつづく、これら作品が歌われる日々である。

日本は破滅の戦争に一歩一歩むかい、狂信がしだいに国のすべてを覆おうとする。『六月風』は「世の中に用なき歌を玩び居りつつ今に言ふことやある」等自嘲の数首で終っているが、歌われている時期は昭和十二年、盧溝橋事件が生じ、新たに戦火が中国本土に拡大しようとする前夜でもある。

 

 (つづく)






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最終更新日  2024.06.12 07:40:34
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