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2016/11/13(日)17:06

サンジェルマン

ソルボンヌ大学訪問のため レンタカーで あたふたと走り抜けたので 少しばかり悔いが残ります。 サンジェルマン大通り( ブールバール・サンジェルマン)はパリ セーヌ川左岸にある大通りの名称。 東はサン・ルイ島の先端に架かるシュリー橋から起こり 弧を描くように西行し パリ5,6,7区を通ってコンコルド橋(右岸のコンコルド広場に渡る橋)で終わる大通りです。ほぼ中間のところで 南北に走るサンミシェル大通りと交叉。 この通りは 通りの名の由来となったサンジェルマン・デ・プレ地区やフォーブール・サンジェルマン地区(邸宅が多く、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」に描かれた)を通ります。 サンジェルマン大通りの名は 中世(6世紀)から残るサンジェルマン・デ・プレ寺院(レンヌ通りが突き当たる場所に建つ)に由来。 通りの周辺は フォーブール・サンジェルマン(サンジェルマン・デ・プレ寺院の郊外の意、寺院の西側に拓けた)です。 17世紀には サンジェルマン地区は貴族の邸宅(hôtels particuliers)が集まる場所でした。 19世紀になってもその状態は続いていましたが その頃には古くからの貴族街として セーヌ川右岸の新興ブルジョアジー地区であるサン・トノレ大通り(ブールヴァール・サン・トノレ)やシャンゼリゼ通りと対比されたのです(例えば オノレ・ド・バルザックの小説に描かれている)。 1930年代以降 ここは夜の繁華街やカフェ、学生街(この通りはカルチエ・ラタンを通る)になっていきました。 ドゥー・マゴやカフェ・ド・フロールをはじめとする多くのカフェが集まり サンジェルマン地区は「実存主義のメッカ」 になったのです(ジャン=ポール・サルトルやシモーヌ・ド・ボーヴォワールも 由りがあります)。 二次大戦後サンジェルマン大通りは パリの知的・文化的地域となり 哲学者や作家、音楽家たちが通りに居並ぶナイトクラブやブラッスリーに溢れていたそうです。 現在のサンジェルマン大通りは ジョルジオ・アルマーニからソニア・リキエルまでの店舗が並ぶ最高級商店街。 しかし知的・政治的な会合や夜会も 相変わらず無名のカフェで盛んに行われているようです。 近くにはヨーロッパ有数の政治学教育機関であるパリ政治学院(略称"Science-Po")があります。 [カルチエ・ラタン] カルチエ・ラタン(Quartier latin)は、セーヌ川左岸、5区と6区にまたがる区域で ソルボンヌ大学をはじめ大学が集中しており 昔から学生街として有名。 カルチエは「地区」、ラタンとは「ラテン語」のことであり、「ラテン語を話す(=教養のある)学生が集まる地区」という意味が語源。 (オ-・シャンゼ) 町を歩く心軽く 誰かに会えるこの道で 素敵なあなたに声をかけて こんにちは 僕と行きましょう オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ いつも何か素敵なことが あなたを待つよ オー・シャンゼリゼ あなたをつれて遊びに行こう みんなが集まる あのクラブ ギターを弾いて 朝まで歌う 楽しく騒いで恋をする 昨日までは知らない同士 今日から二人 恋人さ 道を行けば世界は揺れる 愛するあなたとわたしのため

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