ジョンリーフッカー

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2020.12.12
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地下鉄サリン事件。あれから25年以上がたった。読後感じた事は終末論。最近頻繁している横浜の異臭騒ぎ。まさか、元オウム信者の仕業ではないな?
穿った事を感じてしまった。
金正男はvxガスで殺られた。知らなかったのでビックリ。
サリンは土谷が全て精製した。中川も遠藤も作れなかった。作ったサリンを国会議事堂にヘリコプターで散布する事を考えていたと言うから、ウ~ン。手塚治虫のムウ、村上龍のコインロッカーベイビーズの発想とおんなじ。時は経過しても、発想は飛んでいる!



サリン事件死刑囚中川智正との対話[アンソニー・トゥー]






最終更新日  2020.12.12 09:38:05
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2020.01.10
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寂しいのに嬉しい、楽しいのに切ない、幸福なのに虚しい。
矛盾の言葉を逆絶的に炸裂させる饒舌な文体。詩のような小説、散文詩のような、淫らさ。Fと言う作家の面倒臭さ。
風呂は、風呂に入るまでが面倒くさい。
何処までもイエスの後にノーが続く。
手の表と裏。






最終更新日  2020.01.10 21:24:40
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2020.01.08
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何が燃えるゴミなのか、そうでないのか、よくわかった。ありそうでなかったゴミ清掃員の話し。漫画になっているのであっという間に読めました。(≧▽≦)






最終更新日  2020.01.08 20:16:56
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フランス人の女性が、書いた関東の銭湯。
どれも行ってみたい。リニューアルしている銭湯も多く、魅力的です。






最終更新日  2020.01.08 07:23:23
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2019.10.16
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映画でも作品になったが、「少年A」を題材にしたかの様な作品。
小説家は人間の根本と向かい合う時、殺人を題材にして取り組む。
人間以外の動物は食うためだけに犯す行為なのだが、悪魔に最も近い人間は
正義、悪意、選ばれた等の理由で一線を越えてしまう。






構成が緻密で読みすすめていくうちに、驚きが脳内を活性化させていく。






最終更新日  2019.10.16 08:57:22
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2016.07.16
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図書館でリサイクルに出ていたので、持ち帰り読んでみた。
惹かれたのは勿論タイトル。
川上健一の小説を読むのは初めて。


1部は雨鱒と川の中で心平が語るシーン。
以下私のつぶやき。

東北の自然が一杯の川っていいなあ。ヤマメもウグイも一杯いて。毎日魚を採ることが楽しい日々。心平の書く絵は自然の色に溢れているんだろうなあ。何か一つの事に夢中になれる少年の日々。小学校は本当に昆虫が好きだった。親父に連れられて行った川でのカジカ・鮎釣り。あの感触は今でも私の手の中に残っている。




2部は成長した小百合を囲んで揺れ動く男たちの心情が描かれている。
初恋に揺れる男心がうまく描かれている。
・・が現実はこううまくいかない気がする。

物語として、母親の死に不自然さは残る。

まあいろいろストーリーの不自然さを言い出せばきりがない。

メルヘンとして読むなら、とても余韻の残る・・・素敵な小説だ。






最終更新日  2016.07.16 19:33:24
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2016.03.07
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朝の、連続ドラマ。「朝が来た」。その番組を見たら一日の楽しみが終わってしまうかのようで寂しい。
その番組で福沢諭吉が出てくる。
で、まあ「学問のすすめ」読んでみたわけだ。
おおー、やっぱいいこと言っている。




「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教じつごきょう』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々しもじもの者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本もとを尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺ことわざにいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人げにんとなるなり。
 学問とは、ただむずかしき字を知り、解げし難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦よろこばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴とうとむべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟ひっきょうその学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
 されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬たとえば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言もんごん、帳合いの仕方、算盤そろばんの稽古、天秤てんびんの取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土ふうど道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。
 これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。
 学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生まれつきは、繋つながれず縛られず、一人前いちにんまえの男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限ぶんげんを知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界さかいは、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。譬たとえば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽ふけり放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども、けっして然しからず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。






最終更新日  2016.03.07 18:52:38
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2016.02.26
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キザでケチな田島。でも女にはまめ。かつぎ屋で普段は汚いけど押し入れの中にはピカピカに光る靴が・・大食漢で怪力でお金にシビアなキヌ子。田島は画家の女と別れるため、キヌ子と一緒に部屋に行く。そこには永く満洲で軍隊生活をして、小さい時からの乱暴者で、大男の兄がいた。さてこの続きはどうなるのか。想像するだけでも、楽しい。田島は兄に怪しからんと言って投げられるのか・・キヌ子が投げちゃうのか。なんかこんな話、手塚治虫の漫画にもあったな。絶食すると絶世の美女に変身してしまう女。30年振りに読んだけど、やっぱ太宰治「グッド バイ」面白い。最近ゲスな話題があったが「グッド バイ」にもあったので記載しておくね。




「ピアノが聞えるね。」
 彼は、いよいよキザになる。眼を細めて、遠くのラジオに耳を傾ける。
「あなたにも音楽がわかるの? 音痴みたいな顔をしているけど。」
「ばか、僕の音楽通を知らんな、君は。名曲ならば、一日一ぱいでも聞いていたい。」
「あの曲は、何?」
「ショパン。」
 でたらめ。
「へえ? 私は越後獅子(えちごじし)かと思った。」
 音痴同志のトンチンカンな会話。どうも、気持が浮き立たぬので、田島は、すばやく話頭を転ずる。
「君も、しかし、いままで誰かと恋愛した事は、あるだろうね。」
「ばからしい。あなたみたいな淫乱(いんらん)じゃありませんよ。」
「言葉をつつしんだら、どうだい。ゲスなやつだ。」
 急に不快になって、さらにウイスキイをがぶりと飲む。こりゃ、もう駄目(だめ)かも知れない。しかし、ここで敗退しては、色男としての名誉にかかわる。どうしても、ねばって成功しなければならぬ。
「恋愛と淫乱とは、根本的にちがいますよ。君は、なんにも知らんらしいね。教えてあげましょうかね。」
 自分で言って、自分でそのいやらしい口調に寒気を覚えた。これは、いかん。少し時刻が早いけど、もう酔いつぶれた振りをして寝てしまおう。
「ああ、酔った。すきっぱらに飲んだので、ひどく酔った。ちょっとここへ寝かせてもらおうか。」
「だめよ!」
 鴉声が蛮声に変った。
「ばかにしないで! 見えすいていますよ。泊りたかったら、五十万、いや百万円お出し。」
 すべて、失敗である。
「何も、君、そんなに怒る事は無いじゃないか。酔ったから、ここへ、ちょっと、……」
「だめ、だめ、お帰り。」
 キヌ子は立って、ドアを開け放す。
 田島は窮して、最もぶざまで拙劣な手段、立っていきなりキヌ子に抱きつこうとした。
 グワンと、こぶしで頬(ほお)を殴(なぐ)られ、田島は、ぎゃっという甚(はなは)だ奇怪な悲鳴を挙げた。その瞬間、田島は、十貫を楽々とかつぐキヌ子のあの怪力を思い出し、慄然(りつぜん)として、
「ゆるしてくれえ。どろぼう!」
 とわけのわからぬ事を叫んで、はだしで廊下に飛び出した。
 キヌ子は落ちついて、ドアをしめる。
 しばらくして、ドアの外で、
「あのう、僕の靴を、すまないけど。……それから、ひものようなものがありましたら、お願いします。眼鏡のツルがこわれましたから。」
 色男としての歴史に於いて、かつて無かった大屈辱にはらわたの煮えくりかえるのを覚えつつ、彼はキヌ子から恵まれた赤いテープで、眼鏡をつくろい、その赤いテープを両耳にかけ、
「ありがとう!」
 ヤケみたいにわめいて、階段を降り、途中、階段を踏みはずして、また、ぎゃっと言った。






最終更新日  2016.02.26 17:58:50
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2016.02.12
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猫がブームだそうである。実際イオンにあるペットショップに行ったら、いつの間にか、犬に代わって、猫が半分のスペースをしめていた。ま、そんなワケで猫文学「吾輩は猫である」の話をしよう。
読み進めていると、我欲についての考察について記述している文章があった。唸る。漱石の文学は哲学を感じる時がある。



「ぴん助やきしゃごが何を云ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。どうせ下らんのだから。中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんのじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔むかしの日本人の方がよほどえらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分だいぶ流行はやるが、あれは大だいなる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話しだ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境さかいにいけるものじゃない。向むこうに檜ひのきがあるだろう。あれが目障めざわりになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪しゃくに触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人の遣やり口くちはみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭ほうていへ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまで焦あせったって片付く事があるものか。寡人政治かじんせいじがいかんから、代議政体だいぎせいたいにする。代議政体がいかんから、また何かにしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道トンネルを堀る。交通が面倒だと云って鉄道を布しく。それで永久満足が出来るものじゃない。さればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大おおいに違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下もとに発達しているのだ。親子の関係が面白くないと云って欧洲人のようにこの関係を改良して落ちつきをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かす事が出来んものとして、その関係の下もとに安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物を観みるのもその通り。――山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家ぜんけでも儒家じゅかでもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日らくじつを回めぐらす事も、加茂川を逆さかに流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚ぐな事を云ったらこの馬鹿野郎とすましておれば仔細しさいなかろう。何でも昔しの坊主は人に斬きり付けられた時電光影裏でんこうえいりに春風しゅんぷうを斬るとか、何とか洒落しゃれた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。僕なんか、そんなむずかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤まっているようだ。現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢たぜいに無勢ぶぜいの問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になる。衆を恃たのむ小供に恐れ入らなければならんと云う事になる。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしようと云うのがそもそも君の不平の種さ。どうだい分ったかい」
 主人は分ったとも、分らないとも言わずに聞いていた。珍客が帰ったあとで書斎へ這入はいって書物も読まずに何か考えていた。






最終更新日  2016.02.12 17:41:48
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2016.01.25
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ストーカーとか誘拐とかヘビーな内容だったけど、テーマは愛だ。素直になった柴崎、手塚ペアは大事に思い合えるようになって良かった。映画と違って、本は向き合って読むので体力がいる。しかしその分、想像力の翼が格段に広がる。作家は書くことによって、読み手に必ずテーマを伝えようとする。その思いは伝わったよ。







最終更新日  2016.01.25 20:07:13
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