城バカ日誌 ~東北城館魂 雑記帖~
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ちょっとだけよ~アンタも好きねぇ~ ・・・・・・・・・・・・・ それは加トちゃん(笑) などとくだらない冗談はさておき、、、 何とも奇妙なこのタイトル「カトウドの城」とは一体なんぞやといった所ですね。 今年の夏に県立図書館で資料収集に勤しんでいた折たまたま『「カトウド城」の所在地を推考する』という若松鉄四郎氏の論文を目にし、この「カトウド」なる響きが非常に気になっていた次第です。 その論文によると、安東愛季の没後に起きた湊合戦時に実季勢が湊城・脇本城を放棄して檜山城に籠城する作戦を選んだ際、その檜山城の支城「カトウドの城」を前哨基地とし、激戦が繰り広げられたという記述が『湊・檜山両家合戦覚書』において伝えられているとの事。 この「カトウドの城」の所在が明確ではない、という事で若松氏が伝承・地理的位置・候補とされる各諸館の構成など色々調べられた上、結論から言うと三種町の「館の上館」がカトウドの城に推定されると論じられております。 その「館の上館」と安東氏の拠点である三ヶ城の位置関係を記すとこのようになります。 こうして見ると八郎潟が邪魔しておりますが、確かに脇本城と檜山城の中継位置にありますし、船舶での移動・物流を考えても八郎潟から館の上館へ積み下ろしをして檜山城へ移動するには絶好の地です。さて、その館の上館(推定カトウドの城)にこの度足を運んで参りました。T山のモチベーション(士気で表記)の変遷も明記しました(特に意味はないです)鳳来院鵜川と大曲の中間地点に位置します。この裏手の台地上が館跡です。【士気75】 隣接している斎場と寺の墓地の間にケモノ道を発見、登ることに。それにしても良い気分ではないですね(笑)【士気(↓5)70】 ものの数分で登り切りますがいきなりの藪だらけ。見た感じ右側に迂回出来そうなので行ってみます。【士気(↓10)60】 迂回すると何故かここだけ藪がないエリアに。段々モチベーション下がりまくりで自分の影が写っても気にしない・・・そしてなぜか焼酎「大五郎」のボトルと風呂の汲み桶が・・・(笑)どうせなら秋田が誇る焼酎「そふと新光」であって欲しかったですね。(最近CMが気に入ってふんわり鏡月ばっかりのT山でした)【士気(↓5)55】 ここより縁部のみ藪がない状態が続きます。コンパスの動きが不安定だったこと、縄張り図を読み違えた事により、ここを北辺と思っておりましたが、後で東辺だったと解りました。【士気(↓5)50】 上記の誤りにより、ここを空堀と思っていたのですが画像見たとおりの笹薮・・・・明らかに違っているのは解るのですが、現状打開するにはもはやここを進むしかないと決断。【士気(↓15)35】こんな笹薮の海を漕ぎ出した瞬間、目の前をケモノが走り去る音!大きさからして大型犬クラス、速さから言ってタヌキではない。キツネにしては大きすぎ、カモシカにしては小さすぎる・・・ひょっとして、、、、クマ?あ・・・熊鈴持って来るの忘れた。【士気(↓20)15】笹薮の海を漕ぐ事数十メートル、辿り着いたのは目指していた空堀!『秋田県中世城館調査報告書』によると幅10メートル、長さ90メートル、深さ2メートルの規模。まさにこれです!!一気にテンション↑↑↑↑です。【士気(↑40)55】堀底に降りてみました。う~ん 良いですねー。元来土塁派の私ですが、ここ1~2年の間で空堀派に趣旨替しそうです(笑)ここでコンパスも方角をはっきり示すようになり、位置関係が掴めました。【士気(↑5)60】多少規模は縮小しますが、空堀は南側に伸びており確かに90メートルはありそうです。期待は高まります。【士気(↑10)70】空堀の向こう側です。こちらは耕作地として活用されておりました。便宜上、先ほどの藪だらけの郭を「東郭」こちらを「西郭」と呼ぶことにします。東郭は西郭の先にあり、休耕地となっているため藪だらけのようです。【士気(→0)70】西郭中央部です。縄張り図ではここで区切られており、縄張り図上で最初空堀かと思っていたのですがよくよく見ると空堀ではなく、段築もしくは土塁の標記のような・・・いずれにせよ現在、遺構は何も残っておらず畦道程度です。【士気(→0)70】縄張り図では西郭は東郭の3倍以上の面積であり、さらに西郭の西端にも空堀が存在しているとの事。その規模は幅10メートル、深さ4メートル、長さ50メートル!深さは先ほどの倍です。期待は高まります。【士気(↑5)75】あれ?この辺にある筈ですが・・・30分ほど探しましたが見当たりません。まさかそれほどの規模の空堀を見逃すとも思えず、、、結果的に埋められたのではと推測。ちょっとガッカリです。【士気↓10)65】館跡の西側です。現在は住宅地となっています。かつては「カトウド」と呼ばれており、館の上館がカトウドの城に推定される一因となっております。「カトウド千軒」とも称され、その繁栄が推測できますが今は・・・です。【士気→0)65】以上、カトウドの城を巡ってみました。この西側には嘉藤戸道(カトウドウドウと読む?)が存在し、脇本城 --- カトウドの城 --- 檜山城と続いていたそうです。そこまでは今回調べられませんでしたが、次回のお楽しみに取っておきましょう(笑)さて、これから積雪までどの位訪城堪能出来るでしょうか。
2014年11月09日
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金曜日の夜、21時過ぎに岩手からの帰宅途中秋田自動車道錦秋湖サービスエリアでちょいと仮眠をとったつもりが気づいたら0時半だったT山でございます(爆)ご無沙汰致しております。すっかり年報のような体を擁している当ブログですが皆様お見捨て無きようお願致します…さて、久しぶりの更新でこのタイトル、、、中世城館である黒川館に関してです。黒川館跡に、浦城が落城した後、紆余曲折を経て城主の子孫が移り住み後に豪農三浦氏の邸宅として機能しており、今日に至ります。現在、三浦氏は居住していないものの常時公開はされておらず、年何回かの公募される機会にしか見学できない、即ち「黒川館は応募しないと入れない」という事になっております。今まではTVや新聞等で「先日三浦館が公開され多数の見学者が…」などというニュースを見て「あーあ しまった。今年も見そびれた」と後悔しておりましたが、今回はたまたまネット検索していて公開日8月27日の1週間前に気づき、カミさんに応募を頼み(今回も報酬はお酒)、何とか滑り込みで参加致しました。ただし…金足の旧奈良家とセットでの見学となっておりました。当日、まずは午前中で旧奈良家の見学です。旧奈良家住宅偶然(?)写ってしまったリックドムカミさん画像はほとんど撮っておりません。ですが広大な敷居に数々の建造物、中々興味の持てる見学会でございました。そして午後、念願の三浦館、いや黒川館です。(参加者自主移動)黒川館 遠望実はこの日、天気予報では雨でしたが午前中は怪しい晴れ模様で、午後からはこのような素晴らしい天候に。普段は閉ざされているこの門、今回は開門して頂きました。おおっこれが普段非公開の黒川館(の一部)!ちなみに『秋田県の中世城館』においては1郭と称されております。ところでこの敷地内に勧請されている画像に写る稲荷神社ですが「これって中世時期は館神祀られていた跡だよね」と心の中で呟くワタシです(笑)そして見学開始早々、引きのショットを見せて頂くという事で一旦正門から出たところ…おおおおっこれが伝説の(ウソ)空堀かーっ『秋田県の中世城館』では空堀跡を利用した道路の存在が記してあります。しかしそれにしても、この見学会においてただの道路(に見えるであろう)を激撮するヘンタイは私のみです。そしてこのヘンタイ根性はこの後真骨頂を発揮します。主屋の南側に位置する「見下ろしの庭」です。「これって中世時期は帯郭か腰郭の跡だよね」と自分。そしてさらに、一行が蔵の内部で説明を受けている中、私一人離脱…北側へ移動します。まさにここからが「潜入」です(笑)郭跡キタ━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━!!!!!! これです。これが見たかったのです。切岸を直降すると…おっしゃっ!いかにも中世城館、しかも郭先端の様相です。この引きのショットなど最高でした。この1郭は、三浦氏が居住した四百年間で大分改変があったものと思われますが北側はあまり手つかずの様で、中世の趣が濃厚に感じられました。黒川館、いや三浦館の次回公開は10月頃とか…紅葉の時期だそうで。それはそれで良さげですね。最後にお茶請けとして提供された酒饅頭です。ちゃんと三浦氏の家紋「丸に三つ引両」です(笑)今回、三浦館の南側に位置する2郭や3郭はいつでも行けるだろうと端折らせて頂きました。中世城館跡も堪能させて頂きましたが、三浦氏、奈良氏の豪華木造建築も中々趣があるものでした。さて、今回はこんな感じで終了です。今年はちょっと早く来そうな秋に向け積雪前に何とか本格的に城館訪問したいものですね。
2014年09月07日
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先々週の話になりますが、久しぶりに一泊で遠征に行って参りました。どのくらい久しぶりかと言いますと、私も憶えていない位です(笑)取り敢えず当ブログで確認してみると…2011年9月に行った宮城県が最後でした。(厳密にはUPしていないのですが11月に置賜方面に向かっていました)確かに、、、昨年あたりから仕事が異常に忙しくなり、2012年は宿泊で動いた記憶がないのでその位かもしれません。さて、今回の遠征は「仙北小野寺氏の城館巡り」のnao様と「己鏡(おのれかがみ)」のびびんば様との同行です。結果的にですが、腰が重い私のケツをご両者に蹴飛ばして頂いた形になります(笑)ちなみにスケジュール、宿の手配等は全てnao様にお任せっきりでございました。ありがとうございます。【10月19日】この日は好天に恵まれました。■野尻館3名とも初訪問の平城です。訪城前に地形図見た限り、私は簡単にこなせるだろう、ましてやこの後控えている超大物山城二つの腹ごなし程度に考えておりましたがこれがどうしてまた、、、アプローチ箇所が見当たらず、やっと直登にて主郭跡と思しき箇所にたどり着きましたが遺構も見つからない。。。(汗)結果的に目指していた空堀は既に消滅ということで決着です。※消失したと思わしき空堀跡ここで思わず時間のロスです。■野辺沢城■楯岡城先ほど申し上げました超大物の山城です。こちらは私は昨年に制覇済でしたので、ご両者に対してガイド的な役割で…特に画像は残しておりません。この後、村山方面から庄内方面に移動して一泊(反省会付)です。【10月20日】昨日とはうって変わって朝から雨です。当初、小国城(山城)→尾浦城(公園化山城)→砂越城(平城)→平津館(平城)という予定でした。しかし、先述の通り朝から雨天でしたので小国城は諦め、■五十里ヶ原古戦場跡■尾浦城■藤島城(平城)■松山城大手門■砂越城と廻り、山形県最後の平津館へ。こちらは私も初めての訪問だったのでこの素晴らしい空掘跡を激撮していたところ、びびんば様より「今回の遠征で初めて(私が)スイッチ入った」と言われました。確かに野尻館を除いては私は何度も訪れていた城館ですのでホスト的な役割に徹しようとしていましたがやはりこのような遺構を初めて目にすると城館魂に火が付くようです。このあと秋田県入し、nao様に楢岡方面(旧神岡町地域)の城館をさくっと案内して頂き、今回は終了でした。さて今回の遠征にて、個人的に確認したかった事が三つあります。いずれも、ここ最近訪城から遠ざかっていた事に関係しております。1)直登、直降、藪コギ等、訪城の技術は落ちていないか2)城館に対するモチベーションが維持できているか3)愛機(EOS20D)が討死し、コンデジでも遠征に耐えられるか以上です。3)に関しては、そもそも山城にデジ一は不要だったかもしれません。中世山城においてはコンデジの方が便利です。懸念していた広角もあまり気になりませんでした。2)に関しては、平津館で言われましたように、、、そうですか。スイッチ入っておりましたか(笑)という事はまだまだモチベーションも落ちていないようです。最後、1)に関しては本格的ではないとはいえ今回の遠征を無難にこなせましたのでこちらも問題ないかと。ただ、初日最後の楯岡城で息切れしてしまい、体力の低下は歪めませんでした。精進せねば…ところで技術といえば同行したお二人、、、nao様平城とはいえ野尻館でポケットに手を入れたまま藪コギは凄い。。。まるで父さんが一服がてら裏の畑を見に行くが如くです(笑)もはや達人の域です。びびんば様あの夜の惨劇から早3年、大分上達されたようで…貴女も立派な訪城の変○の仲間入りですね…(笑)いずれにせよ、この度はありがとうございました。さて、年末に向けて、またそれ以外でも私は仕事関連でエラい山場を控えております。正直、討死するかもしれません(割とマジで…)それは後日報告させて頂きます。
2013年11月04日
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今年の夏、我が家に的盧がやって参りました。どの位「的盧」的かと言うと…我が家に来たその日に試し乗りで御所野あたりまで行ったところでエンジン停止…そのままロードサービスです(涙)クレーム処理で何とかなりましたが原因はオルタネーターに接続した配線を逆に付けていたとの事。さらに1ヶ月後には車検…(当初から判っていたことですが 爆)なんやかんやでもう2ヶ月になりますが、仕事が超忙しく、訪城もままならない中、あまり構ってあげる事もできずこれからあと1ヶ月半程でガレージに封印、春の雪解けまで待つことになります。1回くらいは県外に出してあげたいと思う今日この頃です。
2013年10月14日
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ここの所すっかりご無沙汰でした。忙しいというか…訪城も殆どできていない状態でネタも無く…など言い訳していても仕方ありませんね。そんな最中、合い間を見てネットでの資料漁りは続けて参りました。その結果、タイトルのごとく(?)偶然にもここ最近、小野寺氏関連の超貴重書を連続で入手致しました。小野寺武志氏著 「小野寺氏の源流と興亡史」この書籍、県立図書館で見つけて以来6~7年以上は探しておりました。昨年の事ですが、カミさんにこの書籍探索を任せてみました(報奨は酒)。そこで著者自宅(本のプロフィールにTELが書いてある)にまで問合わせてもらった結果、・著者は既に亡くなっている・自宅にも2冊程度しか残っていないため譲れない・年に1~2回程度、同様の問い合わせがあるとの事を著者の遺族の方が教えてくれたそうです。結構同じこと考える他人がいるものだと感心していたところ、「それどころではない」とばかりにカミさんを激怒させていた話があり、上記の話をカミさんに教えて頂いた遺族の方が「どうしても必要なため貸して欲しい」と頼んで来た人に一冊貸したところそのまま音信不通になってしまったとの事。確信的だったのか返すのが面倒になったのかは解りませんがそんな手段で入手した資料で何をするのか…気持ちが理解できない我ら夫婦でした。小野寺彦次郎氏著 「中世の小野寺氏 その伝承と歴史」こちらの書籍は一度ニアミスがあり、たまたまネットで見かけて発注したところ、僅差で売れてしまっていたという一件がありました。それにしてもこの分厚さ、凄いです。中身も充実しており、秋田以外の全国の小野寺氏について網羅されております。 我が書斎の小野寺氏コーナー既に入手済である、・小野寺盛衰記・稲庭小野寺氏の研究・続稲庭小野寺氏の研究らと共に並べてみました。比較的、他氏族に比べて手薄だった小野寺氏関連の書籍も何とか充実して参りました。とは言え、中々じっくり読む時間がなく、取り敢えずは必要になった時に必要な部分のみを調べるに留まりそうですがまあ楽しみは定年後に取っておくとしましょう(笑)ところで、この2冊で今回は中々の散財となりました。どの位かというと、秋田から大阪まで片道で飛行機乗れるくらいです(爆)今月は人生でも指折りの出費が控えているのですが…(汗)
2013年07月15日
先々週、カミさんがこのような物の応募用紙を貰ってきました。伊達政宗戦国歴史検定12月16日(日)実施郵便払込票での申込は本日までですが、ネットでの申込は来週までのようです。非常に時間がない時期ですが受けてみようかな…と思う今日この頃です(笑)
2012年11月25日
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毎晩夜なべに近い状況でしたが何とか今抱えている案件は軒並み終了させました。まだ気は抜けませんが、取り敢えずヤマを越える事はできました。そんな中…またもやこんなモノを見つけてしまいました。「争乱を生き抜いた戦国大名小野寺氏」ですとぉぉぉ!?先週は安東氏で今週は小野寺氏…全く秋田県生涯学習センターも粋な事をしてくれるものです。しかもこの小野寺氏の講演の後、午後には同じ場所で「激動の時代を生き抜いた秋田藩初代藩主佐竹義宣」が入っております!まさに一粒で二度美味しい…これも行かない手はありませんね。まったく…続くときは続くものです(笑)
2012年11月01日
最近、土日は今ぐらいの時間まで仕事を片しておりますが全然追いつきません。今回も本日(28日)中提出の案件が一つ(約50%終了)と月曜日提出の案件(未着手)が一つ…月曜日は終日県南に出なければならないので内勤できないし…どうしよう…(汗)そんな最中ですが、この講演会があるのをすっかり失念しておりました!何でヨリによってこんな時に…んだどもこいだば行がねばねっすな~今日の昼からだから取り敢えず寝ます(笑)
2012年10月27日
「何に使うのか?」と聞かれればそれまでですが…名刺を作ってみました。先日、浦城にてNPO法人の理事長と話した時や以前に某城館にて坊主に思い切り不審者扱いされた時、また将来に訪城先で警察に職質受けた時など…あれば便利だな~と常々考えていた所です。ですが、わざわざその為に印刷所に行くのも…と考えていましたが何とカミさんの職場に印刷業者が出入しているとの事。早速レイアウト案をJPGで作成し、発注する事に。費用は100枚で約3千円強、全然の想定範囲内です。今後訪城の際に持って行くことになりますが、一応会社の名刺入れにも数枚忍ばせております。ちなみに今の所、渡したのはカミさんと会社の同僚で合計2枚のみです(笑)こりゃあ100枚あれば数十年持つわ(爆)
2012年08月05日
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前回の予告で、「今度の土日晴れたら最上氏の城館へ行く」といった予告をしたのですが…実際、6月30日は晴天でした。その日の早朝までは山形県行く気満々でございました。しかし、山形へ行くつもりで4時頃起きたのですが悶々と何か違和感があります。それは私の中で何故か『南秋方面へ行け…』というカミ様(笑)のお告げ(?)が…実は最近の飯田川方面の城館を廻った際、浦城との関連がチラホラ出てきており、ちょっと気になっておりました。そしてこの日、何か無性に浦城へ行きたくなり…行って参りました浦城!約2年ぶり、3度目の訪問です。それにしても前回訪問時にもありました事務用オフィスチェアが良い味出しております(笑)昔(約5年前)と比べて大分整備が進み、登り易くなっております。即行現れる堀切。この角度の切れ込み具合い、何度見ても良いモノですね~ところで話は変わりますが、今回のこの浦城訪問の前半戦は“追撃戦”でした。……… 意味分かりませんよね。振り返ってみたところ。実は下の駐車場付近で出会った、近所に住んでいる方と思わしき“おじい”が登って来ております。拡大画像まるでフラッと庭に出たような軽装で手ブラで腕を後ろに組みゆっくりと、しかし着実に登っておられます。それなりにお年を召しておられるようですが、結構な健脚です。別に追いつかれてもどうという事はありませんが、「画像に写り込んでしまうため通過時間の調整」などといった時間ロスにも繋がる恐れがあるため、被らないように先を急ぎます。堀切を過ぎ、帯郭を抜けます。途中、アスレチックのような縄ばしごが設けられています。これでお子様連れでも安心(?)です。そして…画像撮影に熱中するうちにここ、屋敷跡でついに追い着かれました(笑)結局色々話をしたのですが、どうやら浦城跡の地権者の一人の方でした。小学生の頃(戦時中)から今現在までの浦城における状況など色々聞かせて頂きました。そして二人で主郭へ向かいます。やはり画像に入ってしまうのでややペースの調整は行わざるを得ませんでしたが…主郭跡前回訪問時にまだ建設し始める所であった『歴史学習館』が完成しておりました。そこでバシャバシャと画像を撮影していると好青年が登ってきて…歴史学習館に入れてもらいました。話を聞くと、この日6月30日と翌・7月1日は何と『浦城探訪まつり』なるものが開催されるとか。彼はその準備のために来られたようです。開始時間は10:00からとの事でしたが、時計を見ると9:50!下から続々と人々が登って参りました。そしてNPO法人『浦城の歴史を伝える会』の理事長とも軽く数十分、浦城から周辺地域の件で立話して参りました(笑)いや~全くの偶然でしたが良い機会でございました。ちなみにメインは翌日7月1日の方だったようですが流石に2日連続はキツ過ぎですね。以上、何かのお導きのようなモノで良い経験が出来た話でございました。※山形方面は来月に再チャレンジです。長谷堂城や畑谷城あたりは山城と言えど8月でも整備はバッチリでしょう。山形城の本丸石垣の復原進行具合も気になります!
2012年07月08日
大館、飯田川と県内が続きましたが、県外にも目を向けております。昨年に続いて一関方面もまだ冷めておりませんし、一昨年の和賀氏もまだまだ廻り足りません。そんな中、隣県でありかつては同じ出羽国でもあった山形県における当サイトでの手薄さは以前より気になっておりました。そこでですが…やっとコレが役に立つ時が来ました。『山形県中世城館遺跡調査報告書』東北地方6県のうち、宮城県を除く5県で城館に関する報告書集がまとめられておりますがこの山形県は最も充実した物と思っております。ファイリングにしてこの量です!さらに集めた資料の数々。左下より逆時計回りに『最上四十八館の研究』山形県の中世城館におけるバイブルです。『野辺沢家と霧山城』意外な所で役に立ちました。『天童の城と館』市町村においてこのような資料が発行されているのは大変うれしいモノです。『中世出羽の領主と城館』『南出羽の城』いずれも高志書院の書籍です。比較的近年の研究成果が著されております。これらを片手に3週連続で繰り出した訳です。【5月19日(土)】■ 左沢城初っ端は左沢城です。なぜ左沢なのか…私にも良く解りませんが連休前からすっと「左沢城…」「左沢城…」となぜか頭の中でリフレインしておりました(笑)昼食は数年ぶりに「白鳥十郎そば本舗」の「辛みおろし肉中華(冷やし)」大盛を食し…■ 楯岡城秋田に転勤してくる前、ほんの駆け出しの頃に一度訪れております。その際はルートが発見できずに麓で退散しておりました。これで10年越しのリベンジとなります。それにしてもこの左沢城と楯岡城、いずれも物凄い規模の山城でした。所要時間は1城あたり2時間程度でしょうか。ずっと登山&藪コギです。先週までの馴らしの成果がここで出ました。この後ちょこっと墓所廻りも含めて、この日の合計は上記2城の成果です。帰宅後、カミさんにこの事を話すと「たったそれだけ!?」と呆れつつも「どれだけ(ものすごい規模の)山城廻ったのよ?」との事。最近コイツも解ってきたな~と思う今日この頃です(笑)【5月27日(日)】■ 野辺沢城延沢城と言う方が通りが良いですが…こちらも先週の楯岡城と同様、10年前に訪城し、その際に頂部の主郭まで登りましたが遺構の確認はまだまだ稚拙だったもので、ずっと再訪しようと考えておりました。それにしてもこの城は濃かったです。2時間半以上堪能させて頂きました。相変わらず凄い藪&クマバチの大群に迎えられましたが(笑)そして今回、野辺沢城と同じ位重要視していたのが…野辺沢氏三代の墓所です。野辺沢城下にある龍護寺に満延・光昌父子の墓所が存在しているのはある程度知られておりますが、それがどの墓石なのかは案内が何もないため何度か訪問しましたが判別できませんでした。恐らく私の他にも諦めた諸兄も多いのでは…そこで上記の『野辺沢家と霧山城』の出番です。ヤフオクで数千円(安いか高いかの判断はお任せします)したこの書籍、三代に渡る野辺沢氏の墓石の画像が載っているのです。おかげで宿願が果たせました。そして昼食は…南方に足を延ばしてやはり「辛みおろし肉中華(冷やし)」大盛 (爆)この後どうしようか麺をすすりながら考え、せっかく2週連続で河北町へ訪れたのですから白鳥十郎長久公へ敬意を表し、白鳥城を訪問です。■ 白鳥館上記の数々の山城に比べれば規模はそれ程大きくありませんがそれでもたっぷり1時間は要しました。【6月2日(土)】■ 天童城一応整備された山城なのですがその規模が物凄い事と言ったら…所要時間3時間半。近世城郭を除けば今までで最長かもしれません。あまりの時間の要し方でこの日は昼食の時間を取れませんでした。流石に3週連続アレなのもナニかなと考えておりましたが…17時頃、昼食兼夕食で「辛みおろし肉中華(冷やし)」大盛です(爆)結局3週連続になってしまいました。店の人もきっと呆れているでしょう。3週連続で週末好天に恵まれましたが、その後は昨日今日も含めた3週連続天候不順で出撃不能です(笑)来週晴れたら…やはり最上氏の城館へ出撃しようかと。そして昼食はやはりアレでしょう…(笑)
2012年06月10日
先だって大館方面に関して記しましたが、実は並行して訪れていた場所があります。それは旧飯田川町方面です。なぜここで飯田川なのか(潟上市にお住まいの方スミマセン)それは大館方面の城館を調べるのに大館市史を参考にしておりましたが、たまたま県立図書館で手に取った飯田川町史の記述が中々良いモノだったのです。『秋田県中世城館報告書集』と大分被る個所もありますが、秋田市からほど近いという事もあり、軽い気持ちで訪れてみました。【4月22日(日)】この日は午後に車でカミさんを職場に迎えに行かなければならないため半日のみの稼働時間です。位置的にも近場しか廻れないため丁度良かったです。■ 小玉館当初、徒歩で登っておりましたが実は車道が整備されており、直下まで車で行けました(涙)■ 築掛館藪しか写りません(笑)ちなみに「築掛」とはつくりかけの意味とか■ 築館これだけ井川町の城館です。いずれにせよこの日はあまり天候が宜しくなく、次回にリベンジです。【4月28日(土)】この日は珍しくカミさんと休みが被ったため、久しぶりに二人で機動です。これが功を奏しました。■ 鬼王館所要時間30分~1時間程度と勝手に解釈し、飲料水を持たずにカメラと軍手と縄張図のみ持って挑みました。結果、段築というか腰郭というか…段を登ってもまた段が現れるというバーミリオン会戦状態に陥り結果的に2時間余りを要して山の反対側に出てしまう事に(苦笑)疲労困憊かつのどカラカラ状態でしたが、幸いにもカミさんが車で 昼寝 待機していたので、電話一本で迎えに来てもらう事が出来ました。■ 鷲尾館上記の鬼王館にも匹敵する規模の山城です。今回はちゃんと飲料水も用意し、万全の態勢で臨みます。最北端に位置する空堀。なぜかここで空堀の向こう側より人の声が…ちなみに向こう側は先だって訪れた築掛館なのですが、とても普通の人が訪れるような場所ではありません(藪だらけ)山菜採りか、私と同じ山城変態マニアか怪奇現象か…真相は不明です(笑)■ 小玉館先だってのリベンジです。青空の下訪れると雰囲気が大分違います。ちなみに路傍に青い花(スミレだっけか)が咲いており、狂喜乱舞してそれを摘むリック・ドムカミさん。いや、地上なのでドム・トローペンか(爆)それにしても意外な形で飯田川の旧道周辺の城館を調べる事になりましたが八郎潟周辺という事もあり、浦城との関連が出てくる出てくる。一度腰を据えて浦城を再訪したいものです。
大分前の事になりますが4月から連休にかけて、大館方面を集中的に廻ってみました。従来、個人的に大館方面はあまり土地勘ありませんでしたが昨年1年間、結構仕事で訪れる機会が多かったので色々頭の中でルートを構築していた事と、何より数年前からある方より色々情報提供して頂いているという事もあり数年越しの悲願達成です。しかし今年は例年を遥かに上回る邪魔モノが…(詳細は後述)【4月14日(土)AM】■ 八木橋城初っ端から私好みの城です。平地にポツンと存在する小さな丘陵上に位置する単郭の城館…こりゃあ幸先良いです。■ 笹館ここの土塁は土塁好みの私としては思わずニヤけてしまう大物ぶりです。ただ往時の遺構かどうかは不明なのです(笑)■ 真館惚れぼれしてしまう土橋です。当然、空堀も素晴らしいです。■ 谷地内館完全に遺構は消失しておりますが、このような城館を記録する事が当サイトの最も重要な趣旨の一つと考えております。午前中はこんな感じで比較的小規模の城館で小手調べです。午後はかなりの大物が控えております。と言うのもこの日構築したルート的な事もありますが、昨年1年間、震災や仕事の都合上ほとんど本格的な山城を訪問する事が無かった私としては果たして技術的(直登や藪コギ)にも感覚的(遺構の発見や判別)にもまだまだ訪城家(笑)として通じるものなのか、試金石というかリハビリというか…うまく表現できませんが要は体が鈍っていないかの確認をこの日しようと考えておりました。そして…【4月14日(土)PM】■ 十狐城奥に倒木が見えます…そして画像左側に白いモノ…これがこの度、私の行く道先々を邪魔するのです…至る所で倒木の数々。4月上旬の爆弾低気圧の影響です。奥に見えるのが十狐城1郭です。画像中央やや右手に標柱が建っておりますが、あれが登口です。この倒木群を越えて行かなければなりません。まるで平均台感覚です。倒木が「俺の屍を越えて行け」と言っている気がします(笑)倒木を乗り越え、掻き分けて到達した1郭。位置的に主郭と思われます。一見普通に見えますが、実は残雪がすごい事になっております。角度を変えたりしゃがむなどして画像に雪が入らないように撮影するのに工夫を要しました。ちなみにファインダー外は残雪一色です。蛇足ですがこの画像左側には普通に登れる入口がまた別にありました(涙)さて、この位の障害は序の口です。次の城は…■ 中野城この画像右側は一面雪です。最大に工夫してもこの程度しか除外できず、再訪を近い退散です。■ 十二所城地面がうっすら白く見えますが、これは積もった雪です。厚さ10~20cm程度です。これが一歩踏み出す毎に「ズブッ」「ザクッ」と靴がのめり込みます。いくらハイカットの登山靴とは言え、しばらく歩けば雪や水がしみ込んで参ります。そして踏みしめて歩くようになるため、歩行速度が遅くなる上にこの上もない体力消耗へ…この画像は郭外の「A台」と称される箇所なのですが、横断して郭へ至るのに数百mほど歩きます。数十分~1時間程度は要した気がします。やっと郭へ到達です。晴れ渡る青空ですがやはり残雪が…伏せに近い角度でファインダーに雪が入らないように工夫してもこの程度です。これは再訪せざるを得ませんね。かなり先の事になると思いますが(笑)<参考>A台と郭間の空堀。※注:1~2月ではありません。4月です。【4月29日(日)】2週間程経過し、もう良い加減雪も残っていないだろうとリベンジです。■ 中野城見て下さい!この素晴らしい空堀の数々を!無名の、と言ったら失礼ですが、それほど名の知れていない城館でまだ県内にこれほど素晴らしい空堀を要する山城があったとは驚愕です。これを見てT山は「土塁派」から「空堀派」へ転向しようかと思った程です(笑)■ 餌釣館何か前回訪れた真館に似た雰囲気を持った城館です。ちなみにこの高台のすぐ下によく仕事で訪れていたのですが(笑)■ 高館一般的には地名を取って「松木高館」と呼ばれております。この地方にしては珍しく浅利氏ではなく秋田氏の支配下の城館です。ちなみに最も比高差の激しい山城でもあります。■ 花岡城大館工業高校の敷地となっており、遺構はあまり残っていない様な話を聞いておりましたがところがどうして、空堀に利用されていたと思われる浸食谷が素晴らしく残っております。■ 女目館位置的に花岡城の一部という事も考えられますが、この「たんこぶ」のような独立丘陵が私個人的にはお気に入りです。この他にもこの後、数軒訪れましたが天候が怪しくなってきた事と、体力もかなり消耗してしまったため今回は紹介及びUPは控えます。いずれ再訪しようと考えているので。それにしてもこの2回の訪城で感じましたが技術的にも感覚的にも何とか今まで通りにやれそうです。それどころかモチベーションもかなり高まって参りました。今後、仕事が楽になることはほぼありませんが時間と体力の調整で何とか更新していきたいと考えております。
このブログも半放置状態で早半年、皆様大変ご無沙汰致しております。そろそろ「東北城館魂」閉鎖説とかT山死亡説とか出てくる頃かと存じます(笑)さて、早いもので震災のあの日から本日で丁度一年。振り返ってみると昨年度は当サイト(というか私自身?)においてかつてない存続危機状態を迎えておりました。3~4月は被害の混乱の中、社内の物流応援などで身動きがとれず、そして夏以降は私個人の能力のキャパシティを超えた仕事により訪城やサイトメンテが全く滞っている状況でした。そして、多忙多忙と言って参りましたが、今後も全くもって状況は好転しそうにありません。それどころか4月以降、私の取り巻く環境がさらに厳しい状況になりそうなどという未確認情報が…。ですが…かと言ってこのままで終わらせるつもりも毛頭ありません。今後もサイトは継続して参ります。今までより確実にペースは落ちるでしょうが、雪融けを待って、また訪城を再開したいと考えております。現在も数日に数行(爆)のペースでメンテしております。資料収集にも余念はありません。山城が私を呼んでいるのです(笑)おまけ我が家より見える本日の太平山最近かなり気温が緩んで雪解けが進んだと思った途端コレです。恐らく始動開始は3月末から4月初旬といったところですか…。
2012年02月26日
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ここ最近、とある理由で2ヶ月程放置状態でした。と言うのは…仕事で8月より岩手県エリアの担当を仰せつかりました(汗)今まで岩手県を廻っていた担当者が退職し、補充がないという事で、日本で最も大きな県・岩手県を青森県と秋田県でフォローすると相成ったのです。その結果、青森県側からは八戸市の担当者が岩手県北と三陸沿岸全域を廻り、そして秋田市からカバーする私のエリアは、、、(以下、城で表現)盛岡市から 花巻市と旧東和町にかけてと北上市から… 一関市旧東山町から旧大東町にかけてなど…以上、膨大な地域が追加されました。現在担当しているエリアにプラスオンですので正直、毎日がパニクっている状況です。まず内勤作業が片付けても片付けても終わらない…外回りのついでに訪城などもっての外です(涙)今までの流れは土日に訪城し、平日の夜に仕事から帰宅後にHPとブログメンテという形でしたが、このため、平日が全く機能していない状態です。かと言って、土日の訪城も天候のタイミングなどが重なり、こちらもままならぬ状況です。という事で…せめてこの夏はさほど労力を要しない墓所のみでも廻ろうかと画策致しました。【7月16日】仙北小野寺氏の城館巡りのnao様と秋田県南の墓所廻りを決行、戸部正直公の墓所やかつてから私の念願であった八口内貞冬公の墓所を廻り…ついにこの日のメイン、菅六郎内記の墓所へ。内記の墓所は事前情報に乏しく、恐らく半日程度の探索は覚悟しておりましたがこの日のnao様は神が降臨したらしく、サクサクっと発見に相成りました(笑)【8月13日】お盆です。たまたま県立図書館で秋田市史を調べていたところ、カミさんの実家の菩提寺である某寺に上記の一部景綱公の墓石の写真を発見、盆のカミさん一家の墓参りの際に撮影です。【9月24日】他人の墓所ばかり廻って自分の所をスルーはないだろう、と言うことで今年度初めてというか震災以来初めての・・・宮城県へ!早朝6時より親父の墓参りを兼ねて…宮城県の墓所巡りのプチ遠征です。寛文事件の烈士・伊東重孝公墓所和賀忠親公主従墓所 支倉常長公とソテロの墓所伊達政宗公の母堂・保春院の墓所など1日のみでしたが、天候にも恵まれ充実した遠征でございました。その他、仙台城・高水寺城・佐沼城なども廻ってきたのですがこれは次回更新時に…(更新できるのか!?)
2011年10月02日
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今月で本サイトである「東北城館魂」開設より6年となりましたがこの度、URLを変更する事に相成りました。と言うのも現在使用しているサーバが来年5月で廃止になるもので…新URLはhttp://joukan.sakura.ne.jp/です。ブックマークに登録している方やリンクして頂いている方はお手数をお掛け致しますが、登録変更の程宜しくお願い致します。今までは年間6,000円(月500円)の料金で300MBの容量しか無く、現在約180MBまで使用していたため、このペースで行けばあと4~5年でパンクする計算のため何とかしないとと考えておりましたが、今回は良い機会でもありました。今度は同じ料金で10GBの容量です。このペースで行けばあと数百年はもつ計算です(笑)今後とも当サイトを宜しくお願い致します。
2011年07月10日
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当サイトの「古戦場」コーナーにおいて使用している人取橋合戦の画像がKKベストセラーズ「歴史人」のサイトに使用されました。実際見てみるとあまりに小さくて笑ってしまうのですが…(笑)それにしても墓所や古戦場の画像は他メディアにおいて使用されることはあるのですが肝心の城館が中々表に出てきませんね。ラーメンが不味くてサイドメニューが旨いラーメン店みたいな…複雑な気分です…(笑)
2011年06月26日
今年に入り、訪城できたのはたった一日というT山の訪城ライフ(笑)の中では異常事態の昨今、先週の更新にて「御廟所」の件数が100を越えることができました。一方、城館の方は2月にやっと300を越えた程度です…城館と比べて編集が楽というのもあり、比較的気軽に更新しておりました。記念すべき100件目は西国に葬られたあるお方にしたかったのですが諸々の事情によりそれも適わず、この度は近隣の中でも念願だった留守政景の墓所にしました。と言っても一斉更新なので厳密にはどれが100件目とか言えないのですが…(笑)
先月、厚生労働省より「市販の風邪薬の成分から覚醒剤を作ろうとしたヤツがいるから気をつけろ」的な通達が出ておりました。頭が良いのか、そこまでして欲しいのか…私は文系ですので詳しい事は良く判りませんが亀の甲羅の棒ッコちょこっと弄くって出来る世界とは聞いておりますが…(もはや書いてる時点で意味不明)まったくそれとは関係ありませんが、偶然この度、私も手に入れてしまいました。それは…ヒロポン…!?…の空箱!(笑)得意先の薬局が廃業するのに伴い、廃棄の相談など受けている時に空箱のみ頂いて参りました。中のアンプルも全部残っておりましたがソレを頂いてくると手が後ろに回る位では済まないので当然、箱だけ頂いて参りました。箱はカビと埃でバッチいモノですが中のアンプルは今にでも使えるのではないかと思える位綺麗でした(←危険な考え!)かつては薬局で普通に購入する事が出来たとは聞いておりますがまさか21世紀のこのご時世に拝見する機会があるとは思ってもみませんでした。添付文書。適應症病苦(宿酔、乗物酔、山岳病等)の治癒、輕減、豫防…(一部抜粋、原文ママ)ずいぶん簡単な症状で使っていたのですね…それはそうと、私はかつて「麻薬の運び屋」(合法)だった事があります。ジュラルミンのケースに鍵をかけ、このようなモノを週に1~2回、10箱~20箱運ぶのです。これがある日、ピタッと注文が来なくなると「あぁ 亡くなったんだな」と物悲しい気分になったものです。
2011年06月01日
先日の金曜日の午後、「今日位は仕事早く終わらせられるかな~」などと考え、カミさんにどこか行きたい所あるかとメールで聞いたところ、「駅前の〇〇居酒屋行きたい」との返答。〇〇居酒屋とは…戦国居酒屋 雪国の乱です。私も前から興味はあったのですが何だかいかにもって感じで敬遠しておりました。ですが渡りに船カミさんが行きたいというのであればしょうがないですね(笑)意外にも仕事が手こずり、会社を出たのは8時過ぎ(汗)家まで約30分かかります。秋田駅前から徒歩約1分、そう新しくないビルの3階にソレはございます。階段を登ると所かしこに怪しい文言が書かれておりました。(内容は失念)エレベーターはエラくボロいらしく非常に遅いそうなのでここは階段を使用して風情を楽しみましょう。そして意外に質素な入口を開けますと甲冑がお出迎え(笑)私も最近、諸事情(?)により甲冑を作っておりますので構造に興味心身です。そして頼んだメヌーの数々。「秋田の年貢」米俵風の形をしたライスコロッケです。たしかあきたこまち使用だった気がします。私が箸でつまんでいるのはポップライス?のようです。「真田の将 幸村」これは真田信繁公の兜を摸しているようですね。赤いのはマグロとサーモンの刺身、中にはサラダが丸めて詰まっております。脇立の鹿角は大根でした。カミさんが「前の黄色いの(六文銭の前立)がないっ」と憤慨しておりましたが良く見ると黄色いドレッシングで描かれております。三文銭になっちゃっておりますが…(笑)「シシャモ焼き討ち 影武者カペリン」この店で焼き物は「焼き討ち」と称されます。「影武者カペリン」という名称は、現在シシャモと称されている魚の殆どがカペリンという代用魚である事を表しております。深いですね~(爆)「佐竹の秘宝」比内地鶏の卵巣の煮込みです。呑みながら摘むには最高の品です。ただ、秘宝っちゃ秘宝ですが…どうせならホーデンの方が秘宝っぽいですね(笑)喰ったこと無いですが…「赤兎馬 ロック」いつの間にか三国志に…?(笑)まぁそういう銘柄だから仕方無いか…この日、カミさんはビール1杯+焼酎ロックを5~6杯をあおり、私は車があるのでウーロン茶です。全体的に若干割高感があり、キワモノといったイメージがありますが味は中々宜しゅうございました。今回はネタになりそうな物を選んでみましたが次があれば別の物も注文してみたいですね。おまけ待っている間ヒマだったのでおしぼりでつくったパン〇ラ。T山は呑まないとコレです(笑)
2011年05月29日
今年のGWも本日で終わりですね。皆様、良い訪城生活送れましたでしょうか(笑)私は例年、暦どおりの休みなので、今年は3連休が2回、土日が1回といったところでした。例年であれば多少忙しくとも何とか時間をやり繰りして、2日位は訪城に充てておりましたが今年は震災による社会情勢とそれによる会社の多忙さにより、諦めざるを得ない…というところまで思い詰めましたが、それではこの城館魂が廃ると考え、行って参りました。岩手県一関市へ。初回の3連休は天候不順のため諦めましたが、次の3連休は良い天気予報です。例のごとく、着替えと資料を持って何処かテキトーに一泊しつつという計画で出発です。何と今回は珍しくカミさんも起動しました(笑)初日の3日(火)は一日中晴天の予報でしたが晴れてきたのは昼過ぎ。しかも4日(水)は雨の予報に変わっておりました。そこで急遽日帰りに変更、廻れるだけ廻って参りました。結果…薄衣城上折壁城結果、この2ヶ城くらいでしょうか。更新に耐えられそうな画像が撮影できたのは。それにしても一関市、というか葛西氏ですか。凄すぎます。この遺構は。何度見ても惚れ惚れするモノばかりです。しかも、今回メインとすべきもう2ヶ城は未訪問のままです。僅かな範囲内にこれだけ垂涎ものの城館があるのは感動ですね。これは次回訪問時まで楽しみは取って置けという天からの啓示でしょう(笑)今度休みで晴れそうな時は何が何でも行こうと考えております。
2011年05月08日
先月末、一週間ぶっ通しで物流センターへの応援行って参りました。その後も毎週一度は仕事のスケジュールを調整してはっきり行ってこの世の地獄でした。と言っても被災環境が、ではありません。業務内容です。何と言うか…とにかく体力が削られるのです。同じように営業から応援にまわされた誰かが言っておりました。「横縞のシャツ着ていたら囚人だ」と(笑)例えば…まず、商品の入庫ですが、SSカッターと呼ばれるこの道具で…このように…ベルトコンベアーで流れてくる段ボールを延々と丸一日カッティングです。10秒で1箱と考え、1日ぶっ通せば2,000~3,000箱位でしょうか。また…このような電子カート曳いて商品をピッキングしながら丸一日倉庫内を廻ります。万歩計持参の方によればその歩数は一日2万歩を越えるとか…とにかく毎日の疲労度が有屋峠踏破並み(笑)です。このような作業を毎日こなしている物流の方々には頭が下がる思いです。そんな最中、こちら秋田支店も4月より移転と相成りました。従来は秋田市内の西端にありましたが、今回より北端へ移動です。通勤は昨年開通した横山金足線を通るのですが…そこで早速発見した標柱「飯岡館跡」かつて公園化された部分は訪れておりました。しかしその時は探せど探せど標柱が見つけられませんでした。今回、横金が前線開通した事と雪解け直後のために数年を経て発見です。移転前の休日にカミさんと通勤路確認に行った際に撮影のみの実施です。攻城は…今度天気の良い時に訪れようかと。
2011年04月17日
ついにというか、やっとというか、明日より1週間、花巻の物流センターへ行けという応援要請が参りました。様に、「今まで2つあったセンターが1つになってパンクしそうだから手伝え」ということです。ちなみに今週は青森より応援が行っており、来週は我々秋田と八戸から行く、というように輪番制のようです。週末、先に行ったメンバーに様子を伺ってみると、「食事は大分良くなってきた(ホテルのレストランで定食が出せるようになったらしい)」「カップラーメンは持って行った方が良い」「酒も持って行った方が良い」「水は手に入るから大丈夫」という、やはり被災県といった状況の様で、いかに秋田が恵まれているという事が分かります。ちなみに、やはりあちらではガソリンもまだまだ不足しているようですが、すでに秋田のGSでは並んでいる車すらありません。待たずに満タン入れられるのです。この時ばかりは陸の孤島アキタが天国のようです。という訳で、明日4時発なので酒かっ喰らって寝ます(笑)
2011年03月27日
この度の東北地方太平洋地震により被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。この度の地震において、私の周りでは特に被害等はございませんでした。仙台の実家には中々連絡が付きませんでしたがようやく数日前に親戚から連絡が付いた旨を受け、どうやら無事が確認できたようです。それにしても、太平洋側の被害に比べ、こちら日本海側の被害が少ない事。水道・ガスは問題なく、停電も数日後には復旧して頂きました。未だガソリン、食品、日用品の一部が品薄ですが、ここは被災地の方々の苦労を思えば何とも無い事です。3月11日14時26分、私は仕事で青森県におりました。弘前市内で信号待ちの際「風すげーな 車揺れる」程度に思っていたのですが、まさかこんな大惨事になっているとは…16時過ぎ、やっと仕事を終えて停電の最中やっとの事で秋田市内に戻れたのは20時をまわってからでした。その後、明るみに出る被害の数々。まず、当社の支社(宮城県岩沼市)が津波で全壊。同時に物流センターも全部流されました。もう一方残った岩手県花巻市のセンターも停電で稼動せず、こちらが復旧したのが週末でした。当社に限らず他社も同様のようで、センターが稼動してもその後、どこの企業もメーカーからの入荷は全く望めない状況です。よって今しばらく東北地方において、店頭での一部商品の品薄が続きます…復旧に向けて全力を尽くしておりますのでご了承下さい…さて、訪城に関してですが天候の方としては時期的に申し分なくなって参りましたがガソリンの供給状態と被災状況を鑑みて動こうと思っております。専ら出羽国方面になりそうですね。
2011年03月20日
先日より、我家のキッチンの窓辺にこのようなモノが置かれております。ウチのカミさんが某コンビ二で昼食のパンやおにぎりをコツコツ買ってシールを貯めて貰ったそうです。ちなみにカミさんの趣味はバリバリの硬派で、ファンシーなモノには全く興味を示しませんがこのミッヘーさん(笑)だけは別だそうです。私は最近までこれはサン〇オだと思っておりましたが、カミさんに「世界的デザイナーのナントカカントカがデザインしたミッフィーとサン〇オを一緒にするな」と叱られました。良く判りませんが。さて、これが置かれて数週間、T山のイタズラ心がムラムラと湧いてきて…カミさんが出勤している間、こんな事になっちゃいました。さて…いつ気付く事やら…
2011年02月12日
すっかりご無沙汰致しております。遅ればせながら明けましておめでとうございますでございます(笑)ちょっと年末年始あたりから周辺で揉めておりまして…少々モチベーションが下がっております。当ブログの他、本サイトの方も多少更新が鈍るかもしれません。まぁ春ぐらいまでには何とか蹴り付けようと思いますのでそれまでご辛抱下さい。さて、気を取り直して久しぶりに日中僅かに青空が見られた27日の秋田県、この日の訪問先はすっかりご無沙汰の横手市です。今週初め、横手市の積雪量は140cmを超えたと聞いておりましたがこの日訪れた得意先の話ではもう160cmに達したとの事。前日にも全国ニュースで横手市の除雪が取り上げられておりました。そして横手市といえば、、、横手城ですよね。ハイ 期待は裏切りませんよ。車一台が辛うじて通れる位に除雪された道を登り…現れた雪に埋もれた説明板。横手市では説明板も雪囲いするのですね(笑)おおっすっかりご無沙汰の横手城模擬天守と巨大雪見大福(?)です。標柱もすっかり埋もれております。やはり今年は積雪多いと実感致します。数年前に訪れた際、かまくらにはまだ穴が開いておりませんでしたが今回は一つだけ開いておりました。中に入ってみると丁度天井が私の頭と同じ位です。結構大きいものですね。考えてみれば横手のかまくらに入るのはこれが初めてでした。この後、二ノ丸に登ります。こんな事もあろうかと用意していたSORELの防寒靴。以前より欲しかったのですが、値段が高く中々手が出ませんでした。しかし今回、昨年のキノコ騒動における論功行賞により、義母よりT山の恩賞として与えられました。スーツにロングトレンチコートと防寒靴という奇妙なスタイルで二ノ丸へアプローチかけます(笑)ちなみにこの足跡は私ではありません。この豪雪にも拘らず縦断するツワモノがいるようで。そして目に入るものは…こ、コレは…トイレ?すっかり埋もれております。そして模擬天守。瓦が見えない…そして本丸への道。こちらは全くアプローチ不可能です。帰り道もヒヤヒヤものです。対向車が来たらどうすることも出来ないのですから。さて、唐突ですが明日明後日は横浜出張でございます。色々責務がありまして200年前なら直訴は打首獄門ですが、現代のT山は果たして…
2011年01月28日
暮も差掛かった30日、本来は29日に仕事納めだった我社ですが、私のみこの日も出社でございました。どうしてもこの日で無いと出力しないデータがあり、それを加工して年内に提出しなければならない資料があったもので…年末の卸町。各企業休みに入って閑散としております。それにしても訪城日和です。最も山城は雪に覆われておりますが(笑)本来であればエクセル加工して資料を作成、メールで送信と30分あれば余裕でクリアの作業でしたが、突如得意先の不幸が舞い込みたまたま会社を開けていた私は各方面への連絡手配などで結局午前中を潰す事に…まぁ、おかげ様で何とか仕事は30日中に終了する事が出来たのは幸いでした。何だかんだで夕方カミさんを迎えに行って帰宅すると素晴らしいものが届いておりました。こ・これは…年越し蕎麦と、カニであります。左に写した缶コーヒーは大きさ比較のためです(笑)宮城県が誇る某ファミレスの店長を務める高校時代の友人が毎年送ってくれるのです。Hよ、今年もありがとう!彼は私に劣らす、と言うかはるか上を行くマニア(?)でもあります。世界史の授業では教師よりも早く教科書や図説のページを開いているという特技を持っていた彼なら今でも何も見ずに中国歴代王朝を諳んじることが出来るでしょう。当時、私は中世ヨーロッパ、彼は中国史に傾倒しており、私は彼を「平成の冒頓単于」などと呼んだりしておりました(笑)ちなみに当時の教師は、卒業後10年近く経って訪れた私に際し、「君ら二人より優秀な生徒はたくさん入ったが、君らを越えるようなマニアと言える生徒はまだ居ない」と言われました(爆)最も私はいつの間にかこうして日本史、というより郷土史にシフトしてしまいましたが…さて今年も残す所あと半日、コレが最後の更新となります。来年もさらなるマニアックな道を求めて行く覚悟でございます。皆様、良いお年を!
2010年12月31日
突然ですが、私タイトルの如く魔道を進んでおります。何かと申しますと…「週刊安土城をつくる」こんなの作っちゃっております。そう、魔道とは「デア〇商法」です。全110号×1,490円… まぁ創刊号は例によってアレですが総額ではPC一台買えちゃいますね。まさに魔道。今年の夏訪れた安土城天守台ここに…こんなのが乗る予定です。ですが進行状況は遅々として進んでおらず、まずは最上階完成の後、一階の途中、20号台で中断しております。何も飽きた訳ではなく、単純にサイト更新ですら遅れるくらい仕事が忙しくなった事と一冊一冊塗装するよりも、ある程度まとめた方が効率良く、かつ塗料も経済的に済むということに気付いたからです。現に、90号台において地下階は塗装なしなので、速攻組み立てております。(左側中央部が未完成なのはパーツ不良品のため棚上中)そして先日、石垣パーツ(いわゆる土台)が届きました。これに、地下階を組み込んでこの様になり、断層を楽しめます(笑)さて、残り十数冊を残すのみとなり、恐らく2月中ぐらいに終了、長かった魔道も終了と思っておりましたが…この度、デア〇HP巡回中に大変なモノを発見してしまいました。それは…「週刊戦国甲冑をつくる」こ、これは…黒漆塗五枚胴具足ではありませんか!?全55号×1,990円… まぁ例によって創刊号はまたアレですが。総額約11万円とはまさに冥府魔道(しつこい)さて、気になる中身ですが中々リアルです。ちなみに現物はこちら仙台市博物館HPよりそして、城館マニアかつ甲冑フリークであり、伊達政宗を崇拝するこのT山が最も気にする部分、それは…弧月の前立です。本来は右側が短く、左側が長くなっております。これは利き腕の右手で刀を使う際に邪魔にならないように、との配慮なのですが最近のゲームやら五月人形やらでコレを再現する時、左右対称な事が多い事多い事。「目ン玉どごに付いてんのやゴラァ」と図面引いたヤツの胸倉引っ掴んで往復ビンタしたくなる今日この頃です。 失礼致しました。この作品は中々現物に忠実そうです。恐らく来月、また新たな魔道に踏み込んでいるであろう私が見えます(笑)ちなみに…私はこんなのにも手を出してしまっております。カミさんの白い目が厳しい今日この頃です。
2010年12月23日
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以前、当ブログにて私の会社の先輩の脱糞行為により田沢湖のクニマスが全滅した可能性(そんな可能性は大ウソ)に関して書いた事がありますが、何と先日、そのクニマスが山梨県の西湖で発見されたとの事。コレは年末に嬉しいニュースです。ですが、普通の人は喜ぶであろうこの一報、このT山が真っ先に思った事は…「喰ってみてぇ」今年の夏訪れた長浜城下で食した「ビワマスの洗い定食」大変美味しゅうございました(笑)
2010年12月16日
昨日朝、珍しくカミさんの方が先に起きたのですが「外真っ白だよ~」との事。「ま~たまた ウソだべ~」と私。本当でした。ついにこの日がやって参りました。北国に住んでいれば避けられないイベント積雪。恐らく今回はすぐに解けるでしょうが、山に残った雪は一部は残るでしょう。もはや春を待つのみです。それにしても、今年は積雪遅かったですね。いつもならもう一ヶ月くらい早く、この位積もって消えての繰返しを数度経て、今頃ドカッと本格的な積雪を迎えているのですが…ちなみに2週間前の同じ場所からのビュー。奥に見えるのは太平山です。まさに城日和だったのですが愛機が入院中…(涙)
2010年12月13日
12月に入り昨日、本サイト「東北城館魂」のアクセス数が50,000を突破しました。サイト開設より5年半で50,000、前回40,000突破が今年2月ですので、何とか1ヶ月に1,000カウント出来た計算です。まだまだです。せめて1日100カウントは行きたいところですが…これだけは今後の私の頑張り次第ですね。これからも、ググってみれば当サイトしか検索されない、というようなマニアックな城館中心に更新に励みたいと思う所存であります。今後とも宜しくお願い致します。
2010年12月05日
先日、当ブログにて「三連休で遠征」など記述しましたが、結論から申し上げますと…何処へも行きませんでした。初日、あまり天候も良くなかった事に加え、何より愛機の復帰がずれた事が最大の要因です。戻ってきたのは休み明けと相成りました。結果的にやった事は…書斎で資料整理です(笑)しかもまだ終わらない…
2010年12月02日
今月に入り、予想に反して思うように訪城に時間が取れません。月初は2日間の県内遠征へ行く事が出来ましたが(その結果はまた後日…)先週、今週と土日も仕事が…さらに愛機EOSが入院中です。ですが悲観材料ばかりでもありません。強制的に代休を取る事になり、結果的に26~28日の三連休が発生しました。愛機も1週間で退院予定との事ですので、天候さえ良ければ久方ぶりの隣県遠征へいけるかもしれません。25日以降で、さらに12月を控え軍資金の方も何とかなりそうですし…あとは晴れるのを祈るのみですね。
2010年11月21日
前回、カミさんを「リックドム」と評した事について…先日ですが下記のメールが参りました。ヤヴェ…バレてる…(汗)帰宅後、ガンダムを知らないカミさんより「リックドムってどういうヤツよ!!?」と詰問を受け、早速申し開き説明する私。こんなヤツです。「宇宙専用だから山岳戦には向かない」「ジオンの名機」などテキトーな事を言って誤魔化しましたが、結果的に「あなたの事だからもっと酷い形しているのかと思った」との事。最初ジ・Oという手もあったのですがやめておいて良かった 余談ですがカミさんの名誉のために…もちろん生まれ持ってのリックドムであった訳ではありません。口癖のように「私だって若いときはウエスト54cmだった」とか言っております。すなわち、もともとはギャン体型だったのです。一応昔の写真を見せてもらって、その事実は確認しております。ですが、私はリックドム以降のカミさんしか知りません。ある意味、現代人が坂本竜馬の写真を見て坂本竜馬を想像するように、織田信長の肖像画を見て織田信長をイメージするように、今の私は二次元でイメージを掴む事しかできません。おお…歴史上の人物と一緒だ…さらに余談ですが、歴史上の人物と言えば初めてカミさんを見たときに思った事。「おおっ こんな所に山口多聞がおる…!」そっくりでした。
2010年11月16日
遡ること1日、前日の19日18:30過ぎ、たまたま内勤で会社にいた私がそろそろ帰り支度をと思っていたところにカミさんより「義母が倒れた」との一報。これは一大事という事で、即行カミさんの実家に向かいます。実家の居間で横たわる義母。何でも足に激痛が走り、2度ほど病院に行ったが「何ともない」と帰されたとの事。とても尋常ではない様子なので、カミさんが救急車を呼んだのですが救急隊員も首を捻るばかり。「こんな症例見たことが無い」何とか某病院救急外来へ向かったのですが、担当医も「良く判らないが、痛がり方が尋常じゃないのでこのまま入院」とのテキトーな(失礼)返答。たまたま空いていた病室(特別室:差額21,000円/日)に入れてもらうも、痛みで泣き叫ぶ声が廊下まで響きます。元々我慢強い義母がここまで痛がるとは… 想像を絶します。あまりの痛ましさにいたたまれず、1階ロビーに逃げる私。24時過ぎ位でしょうか。ロビーの私の所へカミさんがやって来ました。「実家行く!キノコかもしれないだって」との事。実家の冷蔵庫にはフリーザーバッグで冷凍されたキノコの煮付が出るわ出るわ。全部で4パック!これを裏山(八田館跡)で取って食べたようです。早速病院に持って行くと、インターネットでプリントアウトした資料(しかもwikipedia)と照会する先生方。「あーやっぱりコレか」そのキノコの名前は…ドクササコ秋田市衛生保健課より特徴としては・食べた数日後に手足が腫れあがり、焼けた鉄を押し当てられるような激痛が生じる。(約1ヶ月間)・毒により死亡する事は無いが、この長期に渡る激痛に耐え切れず、自殺や体力消耗による衰弱死と思われる症例も存在する。((((;゜Д゜))) ガクガクブルブルそして先生のさらに一言。「煮てない生の現物は無いですか?」全部調理してしまっているため、当然ありません。じゃあ誰かが裏の山まで採りに行くのか…誰が…?・義父→病気のため無理・義祖母→高齢のためもっと無理・ピーさん→犬のため当然無理・カミさん→リックドム体型のため山岳戦は不利俺しかいねべしゃ…そこで前述の早朝訪城と相成りました。結果的に、調理済のヤツと私の採取したキノコ群を鑑定してもらった結果、調理済はほとんどドクササコ、私の採取したモノの中にも1個、混じっていたとの事。当然、秋田県内版の新聞にも載りました。TVニュースでも出たようです。仕事中、ラジオの県内ニュースでも聞きました。ドクササコによる症例は秋田県初との事です。教訓キノコはお店で買いましょう。
2010年10月24日
10月20日(水)早朝、とある城館へ行って参りました。秋田市 八田館かつて一部氏の館であったとされるが詳細は不明。カミさんの実家すぐ裏手の山林に位置するのですが、この日は日の出と供にアタック開始です。「これなんか帯郭っぽいなぁ」「この凹部は空堀の役割を果たしているのでは…」「こっち方面は(本城と思われる)太平城側だよな」など考えながら目指すは…キノコです。喰えるか喰えないかは判りません。とにかく目に付いたキノコを摘んでは袋に入れます。そして1時間程してでしょうか。ある程度成果が上がった時点で時間は7時をまわり、スーツへ着替えて会社へ向かうのです。一体私は何をしているのでしょうか?続く…
今回、本サイト「御廟所」コーナーで各武将らの墓所の溜まりに溜まった分、一気にUP致しました。これを期に、当ブログで「なぜ秋田県にこの方のお墓がランキング」を発表しようかと。※なお、このランキングは私の独断と偏見により決めさせて頂きました。ご不満、苦情はご勘弁下さいませ(笑)第三位:本多上野介正純秋田県横手市これは「なぜ」と言っても、最期を秋田で終えた方なので、当然と言えば当然なのですがあの有名な幕閣がこの地で没したの知らない方が結構居られるのでランク入させてみました。第二位:真田左衛門佐信繁秋田県大館市現代では「幸村」と呼んだ方が通りが良いですね。この方は日本各地に墓所がありますが、大館市の墓所が面白いのは、大坂の陣で討死せず日本各地を流れて、この地で没したという説がある事です。現に大館市内には子孫の方がまだ居られるとか。(現在は真田家とは違う姓ですが)第一位:石田治部少輔三成秋田県秋田市今回最も荒唐無稽な説ですが、石田三成の物といわれる墓所が秋田市にあります。三成が六条河原で斬首されたのは間違いないでしょうし、秋田に墓があるのはありえないのはわかりますが佐竹義宣が三成と友好関係があった事を考慮すると面白いかもしれません。番外:ヴィクトル・スタルヒン秋田県横手市元巨人軍300勝投手。この方はロシア人ですが、ロシア革命により日本へ亡命、死後は妻の実家である秋田県横手市雄物川町の崇念寺に葬られました。あの沼館柵のすぐ近くです。ちなみに、その崇念寺近くの某食堂では「スタルヒン焼きそば」なるものが供されております。焼きそばの上にソーセージと五角形の目玉焼きが乗っており、五角形の白身がホームベース、黄身がボール、ソーセージがバットを表しているとか。ある意味、横手焼きそばの変形みたいな物でしょうか(笑)一度食してみたいものです。
2010年10月11日
先週の土曜日、好天に恵まれた中岩手県盛岡市に行って参りました。今度の3連休もこの位晴れてくれれば良いのですが(まだ行く所決まっておりませんが)盛岡城石垣さすが東北三大石垣の一つに数えられるだけあります。普段土塁ばかり見ている私にとって非常に新鮮です。そして我武者羅に撮影しているとフレンドリーに話しかけてくるおっちゃんが…NPO法人で城内の樹木をチェックしている方との事。「ほーら この木なんかもう切らなきゃダメだねー」うわ…台風でも来たら一発で吹っ飛びそうです。そして石垣のポイントを教えて頂きました。城内で唯一、算木積で三角形の石が使われている部分だそうです。4~5回訪れておりますが、全然気付きもしませんでした。と、盛岡城、非常に堪能させて頂いたのですが、今回の主目的は訪城ではありません。昭和46年刊『二戸郡 九戸郡古城館祉考』これを入手するためです。思い起こせば5年前、九戸城を訪れた際に立寄った、二戸市の歴史民俗資料館の館長(らしき人)が得意気に見せてくれたのがこの本でした。「その本売ってけれっ!」詰寄る私ですが、館長(らしき人)は冗談と思ったようで構わずマシンガントークを続けます。本当に話の止まらない方でした。以来、ずっとネットや古書店を探しまくっておりました。以前に『仙台領内古城・館』も数年越しで入手した事を書きましたが、この本はそれ以上に難関でした。何せ情報が少ない。岩手県立図書館はおろか、国会図書館にも置いていないようで…果たして市場に流通しているのかどうかも怪しい状況でした。そして今回、盛岡市の某古書店に在庫があるという情報を仕入れ、今回の入手に至りました。その費用、新幹線の規定料金で秋田から東京に行ける位です。後にカミさんにその事をカミングアウトしたところ、ため息の嵐でした(苦笑)そんな中、目次を眺めていると…えろす!エロス?妄想は夢は拡がります(笑)
2010年10月07日
さて、長い前フリはさて置き、本題に入りましょう。事は7月初旬、山形県金山町「遊学の森」へ有屋峠の新説ルートの問合せをした事に始まります。「直近で踏破するイベントはいつ頃か」との問いに、「先月行ったばかりで当分予定ないが、個別でガイドは出来る」との事。これは是非7月の3連休に、と考えたのですが、「7月は天候が厳しいので、9月にしてはどうか」とのご提案を頂きました。そこで新説ルートは9月に延期し、7月は単独で定説ルートに行って来た次第です。そして、ついに9月18日、その時がやって参りました!03:00自宅を出発、03:30に秋田南IC集合。ここで2名と合流し、途中秋田県湯沢市雄勝でさらに1名と合流し、金山へ向かいます。山形県金山町 シェーネスハイム金山06:00集合ここが出発地点となります。今回の参加者・T山・「仙北小野寺氏の城館巡り」のnao様・「己鏡」のびびんば様・nao様のご友人M氏さらにガイドとして・「遊学の森 木もれび館」の三上氏・「有屋峠街道探索会」の笹原氏以上全員で6名となりました。集合場所より徒歩約10分、ついに新説ルート登山口にやって参りました。ここより笹原氏を筆頭、三上氏を殿(しんがり)に合計9時間の苦行が始まります(笑)約1時間で「カゴタテバ」と呼ばれる比較的広めの場所に辿り着きます。ここではその名の通り、籠を立てて休憩した場所と言われております。それにしてもアレです。城館だったら大土塁です(笑)カゴタテバより間もなく行くと開ける眺望。雲海の中に鳥海山が見えます。新聞にも載っていましたが、「街道幅3mほと?の道か?長く連続して残り、馬か?歩くための大きなカーフ?も随所に存在する」とは正にこの事でしょう。それにしても、この登山道を秋田県側まで三上氏が整備されたそうです。脱帽モノですね。鉤掛森頂部三上氏が設置した標柱が何者かに破壊されております。心無いことをするヤツもいるものです…巨大なブナの木とナラの木が並んでそびえ立っております。手前がナラで奥がブナ…だったはず…時折見つかる落書。「昭和六年旧六月四日 有屋ノ住人 小沼今朝松」とあります。この方は所在が判明しており、有屋から秋田県の薄久内へ婿入し、その後北海道に渡って近年まで生存していたとか。ちなみに明治44年生まれとの事で、生きていれば99歳、私の祖父の1コ下です(笑)現在ではあまり木を傷つける行為は行われませんが、今なら差し詰めスプレー缶で「夜露死苦」といったところでしょうか。それにしてもnao様の「『天正〇年 最上義光』とかあったら面白い」との話に爆笑。大概、通路はピンクのリボンを木に結び付けておりますが、この様な通行止め標識も設けております。山歴の深い笹原氏も時折道を間違うくらい、非常に分かりづらい部分も多々ありました。秋田県側のみに数ヶ所見られる石組。これも籠を置く際に使用されたモノと推測されるとか。秋田県薄久内地区より約10分程の場所に祀られていた山神様跡。現在は薄久内の集落に移転しているとの事。ここまで来ればあと僅かです。15:00過ぎ、何とか薄久内地区へ到着。スタッフの方2名が冷たい水を用意して下さっておりました。ありがたい事です。到着地点。この藪の中から帰還して参りました。こうして見ると絶対分かりませんね。薄久内集落に移された山神様。ここで無事帰途できた事を感謝して拝みつつ、再び山形県側へ車で向かいます。集合場所であるシェーネスハイム金山へ戻り解散、温泉のチケットを頂きましたので、前回同様汗を流して帰途に着きました。今後、本サイトでも「続・有屋峠探訪」を作成したいと思いますが、かなり今回の記事と内容かぶる物かと思われます(笑)
2010年09月20日
突然ですが、私は高校生時代ワンゲラー(?)でございました(笑)とあるきっかけで最近山に憑り付かれておりますが、当時はそれ程(というか全く)その魅力を理解しておりませんでした。私の高校には山岳部と我々と2つの部活があり、我々の部の顧問は第一期生徒会長で部創始者というバリバリの超硬派の方でした。ある日、当時は男子校であった我が高校の学園祭の時、我々部員一同は抜け出して隣の女子高(通称〇女)の学園祭に侵入参加する事に致しました。仙台市内でも有数の悪名高き我が高校は、毎年その女子高と同じ日に学園祭を実施していたのですが我々のような悪い虫が寄り付いて迷惑掛けないようにとの配慮だったのでしょう(笑)顧問の目を盗み、当時2年生で部長であった私は1~2年生部員を引き連れ〇女へ走ること十数分。「交流」の名の元、山岳部のブースへ向かいます。我々:俺ら〇〇高のワンゲル部なんですよ~〇女:え~そうなんですか~ じゃあ次の大会とか参加するんですか~?我々:(へ?大会?んなモンあんの?) いや~俺らはちょっと…〇女:この間の大会のときに天気図作成で手こずって…我々:天気図作るんスか!?・・・・・・・・レヴェルが違いすぎました。母校に戻り、待っていた3年生が言った言葉。「確かにアッチの方が競技としての技術は上だけどよ~ 俺らの場合は一週間全食ジャガイモとニンジンだけのカレーで過ごすとか 一週間雨降られてテントの中で延々軍人将棋して時間を潰すとか 八丈島で台風の中、薪に火を起こすとか 常人では到底無理な修行を積んでいるだろ」と言われ、ある意味開眼致しました(笑)ちなみに南国で薪に火を起こそうとして暴風雨に見舞われた時はこんな扇子状の椰子の木チックな木の枯葉に火を付けると良く燃えます。私の二コ上で「火炊きの〇〇」と謳われた先輩が発見し、以後伝統(伝説にも)になった手法です。(画像は八丈島観光協会HPより)T山のクソの役にもたたない豆知識より(笑)前フリ長くなりましたがこの後、山に関しての本編へ続きます。
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ついに秋冬モノの製品入替シーズンがやって参りました。9月に入り、T山はほぼ1日置き、4:00出発の県外日帰りツアーが入る季節になりました(当然仕事)10月半ばまでコレが続きます。当分遠征とHP更新はお預けになりそうです(涙)そんな最中、せめて昼食時間削っても新規の訪城をしてしまうのは悲しいサガでございます(笑)七戸城大手門跡八戸~野辺地方面を通る際に立ち寄ってみました。高畑城標柱弘前~平川市(旧平賀町)方面に行く途中に立ち寄りました。こうしてみると「余裕あるじゃない」と言われそうですが、あまりの平日の過密スケジュールを見兼ねて、仙台の支社の担当者より、今月末土日の大阪本社出張を免除して頂いた程です。大坂城と真田丸寄ろうかと考えていた身では少し残念な気もしますが…そ・し・て…今週土曜はまたもや大イベントが待ち受けております。7月の地獄が再来、とならなければ良いのですが…(笑)天候が良いよう祈るのみです。
2010年09月15日
もう半月も前になりますが…8月お盆のまっ最中、「仙北小野寺氏の城館巡り」のnao様と滋賀県遠征へ行って参りました。思い起こせば8月初日の由利本荘市方面の訪城の際、「遠征行くならどこ?」というnao様の問いに何気なく答えた「姫路城か彦根城」の私の回答が全ての始まりでした(笑)あいにく、姫路城は改修によってこのザマなので、とんとん拍子で彦根城へターゲットが絞られました。土日祝日のETC1,000円を利用するため、13日(金)の夕方に秋田を発し、14日~15日で1泊、16日(月)未明に秋田へ戻るという1泊4日の強行軍です。当初、14日早朝4時には滋賀県入りし、5時には安土城へ辿り着き、T山初の東北圏外遠征第一歩となるはずでしたが…閉まってやんの。9時開門。しかも…金取る…?意気消沈するも、nao様の提案により彦根市内中心部に戻り、佐和山城を攻略することに。佐和山城ここでは頂部に辿り着いた後、反対側に降りた結果外周をぐるりと廻るハメに…その結果、怪しげな建造物群に遭遇。これは…金閣寺?その他彦根城を模したと思わしき天守風の建物も。後に調べてみると「佐和山美術館」という個人所有のモノのようです。それにしてもアレを思い出します。日本全国同じような事を考える人々はいるもんだ(笑)彦根城8時30に駐車場オープンとの事。丁度10分過ぎ位に到着するも、駐車場はほぼ満車状態。その人気の大半は…ひこにゃん彼のようです。このクソ暑い中、過密スケジュールを押して頑張っておられました。しかも愛嬌たっぷりです。nao様の「ひこにゃん見なくては彦根城に来た事にはならない」との一言、納得です。安土城午後に至り、今度こそリベンジへ。それにしてもこの石垣群を見ているとポンペイ遺跡を思い出します。井伊直政公銅像翌日朝、無理を言ってnao様に彦根駅前へ立ち寄ってもらい撮影。これも長年の宿願でございました。観音寺城実は昨日最後に訪城したのですが、時間外という事で有料道路料金所のおっちゃんに帰されておりました。この日は十分に遺構を堪能したつもり、でしたが見逃した所が多い事が後に判明。いつか再訪という事で…長浜城小谷城へ行く途中に立ち寄りました。今回唯一の模擬建造物です。それにしてもこの青空が恨めしい…小谷城今回最後に立ち寄った城です。最後にふさわしい超大物山城でした。特にこの大堀切は圧巻です。この後、帰途に着いたのは17時過ぎでしょうか。秋田着は26時近くでした。大物山城を2ヶ城もこなした後、片道800km余りの殆どを運転してのけたnao様のパワー、脱帽でございました。
2010年09月05日
世間ではお盆休みの真っ只中、私は今日まで出社です。しかし会社も殆どの人が休みのため、今日は余裕こいて定時ギリギリ出社しようとする「せやみこぎ」T山です(笑)7月月末と8月月初の仕事上のドタバタと有屋峠探訪の余波でアップアップだった最中、本サイトもようやく開設5年を迎えることができました。考えてみるとこの飽きっぽい私がよく続けられたものだと我ながら感心しております。さて、別に5年目を狙った訳ではないのですが、先月は宿願の有屋峠攻略を果たし、さらに今週末は当サイト、というか私の訪城ライフ始まって以来の大イベントが控えております。さらに再来週には仕事で青森・大阪出張が控えているなど、ますますもって身体を大事にせねばと思う今日この頃です。皆様今後とも宜しくお願い致します。
2010年08月12日
先週の日曜日、「仙北小野寺氏の城館巡り」のnao様と由利本荘市方面の城館を廻って参りました。当初は旧矢島町・鳥海町方面を訪問しましたが、若干、事前調査不足のため消化不良気味に…根城館 二重堀画像では藪がエラい事になっておりますが肉眼では予想より大分良好に遺構が確認できました。しかも今まで土塁と思っていたのですが、実際降りてみると大きめの石がゴロゴロ。これは…ひょっとして石塁? 新荘館 標柱私が最も行きたかった矢島満安の居館です。主郭跡は耕地化されておりますが、藪がすごいので簡単に撤収…荒倉館 遠望ここから望むどこら辺が荒倉館なのか…これもいずれ調査が宿題ということですね。この訪城の際、nao様より「秋田県生涯学習センター」で戦国期の秋田県内の豪族に関して講演が催されているとの事。ネットで調べると次の講演は7日(土)です。という訳で早速行って参りました。この日のテーマは由利十二頭。何とタイムリーな事でしょうか。今回が6回目で最終回ですが、その前は安東氏や小野寺氏の回もあったとか。いや~非常に残念です。この講演、非常に参考になりました。当サイトでも至急訂正しなければならない箇所が多々発生です。特に私は講師の方より指摘を受けた「奥羽永慶軍記」を参考にしているのでかなりの作業が差し迫っております。ところで、大宝寺義興さん…アンダ生きでらったのすが…(笑)
2010年08月08日
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やっとですが、先々週訪問した有屋峠リポートを更新致しました。古戦場の訪問が目的であり、訪城ではありませんでしたがある意味、今後の訪城(特に山城)に対する認識が変わった機会でもあります。ここを乗り越えられればどんな山城も行ける事でしょう。ちょっと悪乗りした感がありますが基ネタが分かった方はコチラまで。全部正解した方に粗品をプレゼント致します(笑)山城訪問に重宝すると思われるモノです。↑どうせ来ないだろうと思ってタカを括っているT山です。
2010年07月29日
今回、数年越しで新コーナー「古戦場」を開設することが出来ました。思い起こせば、城館を廻っている際の「副産物」として妙に「墓所」と「古戦場」の画像が増えていくので、これはコーナーとして設けるべきだと考えたのはかなり早い段階でした。「墓所」の方はすぐにイメージが湧いたので、すぐにコーナーとして設けることが出来ましたが「古戦場」の方はかなりの下調べが必要であり、なおかつイメージがうまく纏まらなかった故にここまで伸び伸びになってしまいました。今後も更新を心がけて行きたいところですが、やはりメインは「城館」ですのですぐに放置状態になってしまうと思います。先に謝っておきますスミマセン(笑)また、かなり放置状態となっている「武鑑」ですが、こちらはずっと人物事典的なものを狙っております。コチラもイメージが出来上がり、尚且つ手がまわる様になるまでお待ち下さい。画像は当サイトで「城館FILE」以外で両脇を支えるコンセプトである「古戦場」「御廟所」を代表して…有屋峠古戦場と鮭延秀綱公墓所です。
2010年07月25日
先週の土曜日、ちょっと所要があり、仙台市一番町まで行って参りました。用事は午後一番程度で終わりましたが予報を大幅に裏切るこの晴天の中、やるべきことは…ただ一つ!城館廻りでしょう。片手には…何故か「仙台市史特別編7 城館」が…これは仙台市内を廻れとのお告げですね。小岳館 土塁跡現在は整地されて畑となっております。福沢館 土塁跡上記の小岳館跡すぐ裏に位置しております。八乙女館今回もっとも遺構が充実している城館です。これは是非冬に再訪したいものです。白石城八乙女館に並ぶ今回のお気に入りです。両城館とも堀切が素晴らしいものを擁しております。特に白石城には墓所もあるので一度で二度オイシイ館です。朴沢館興禅寺の敷地で見づらいが、素晴らしい土塁が残ります。吉岡城ここまで来ると最早仙台市内ではありません。しかも近世陣屋に当たるでしょうか。それでも近くの墓所廻り出来たのは嬉しい誤算です。このように、帰宅のため北上しつつ、泉区の城館を廻りながら帰りました。藪も本格的に生い茂り、軽装(スーツにワイシャツ・革靴)の身では難儀しましたがそれでも中々充実した訪城でした。そして帰りは国道108号線を経由、来週土曜日に訪問すべくアノ場所を視察して参りました。時は既に18:30頃、薄暗い中ではそれ程意味が無かったように思われますが、本番時は反対側よりチャレンジ、という事でこれはあくまで偵察でございます(笑)さて、準備は万全です。最近スポーツショップによって山装備見てニヤニヤしているT山の今日この頃であります(笑)魅せられて…山明日・明後日と青森出張(肉体労働系)を控え、金曜日にどれだけ回復を試みるかが一つ。ちょっと荒れそうな天気予報が大ハズレすることが二つ。以上の二点が決行のポイントです。もし天気大荒れでしたらもちろん諦めますし、バリ晴れでしたら泊りがけで城館廻りへ変更してGO!です(笑)
2010年07月13日
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7月に入り、1年の半分が早くも過ぎました。そんな中、6月末をもって私がいつも利用している御所野の某書店が閉店致しました。そこそこの広さで書籍量も秋田市内では多い方であり、しかも県南から仕事帰りに寄るに良い位置に存在していたため大変重宝しておりました。これからは近くの某SC内の書店か駅前まで行かなくてはならないかもしれません。これも時代の流れでしょうか…そしてこの書店で最後に買った書籍。『廃城をゆく』当サイトと相互リンクして頂いている「城逢人」の一紋龍・史進様が画像提供と原稿を執筆されております。正直、今までこの様な城館関連のMOOKは買ってから後悔する事が多いのですが、この本は一味違いますよ~石垣や土塁、堀切好きの方は必見です。マニア心を非常にくすぐられる内容です。そしてもう一冊…先日の訪城の際、nao様との何気ない会話で実は私の中である野望が沸々と湧いて参りました。今後、偶然にも昨日閉店したその書店の隣に行く事になりそうです。とりあえず、明日の賞与の使い道が急遽変更に…
2010年07月01日
先週土曜日、「仙北小野寺氏の城館巡り」のnao様と秋田市北部から南秋方面にかけての城館を廻って参りました。正直、私はこちら方面は2年ぶりとなるのですが、今回最も期待していたのは八郎潟町の浦城です。当ブログでも何度か紹介させて頂いておりますが、「浦城の歴史を伝える会」の皆様により非常に整備されている山城です。私が最後に訪れたのは07年3月ですが、その時もロープや梯子が設置され、大変登り易かった記憶があります。その後も伝え聞いた所によると、さらに整備が進んでいるとの事。これは楽しみです。おおっ 以前にはなかった駐車場が設けられております。さらには新たな登城口「武者返しの坂」が。正確にはこの道は以前よりあった道ですが、今回新しく作った駐車場よりここを経て直接登れるようになっております。そして何故か置かれている事務用チェア(笑)今回登ったのは、以前訪問時には無かった西側の道です。進んだ先には「首人」と称される大規模な薬研堀が。こりゃ凄い…そして物見櫓帯郭気合入っております。この整備具合。行く先々に柵が、物見櫓が。そして何より嬉しいのが下草が刈られ、木が伐採されている事に尽きます。例えば…07年の武者溜今回一目瞭然ですね。近日中、画像の差替えを行おうと思います。さらに嬉しい事に、10月までには本丸に館を建てるとの事。これは絶対また行きますよ!
2010年06月28日
などとおどろおどろしいタイトル付けてみましたが、(笑)を付けるとあっと言う間に恐ろしく無くなる実例を示してみました(笑)以前に男鹿方面(正式には旧天王町)の怪異譚を記載しましたが今回は訪城にまつわる恐怖体験を書こうかと思います。場所はやはり男鹿市、染川城です。さて、ここにその染川城の同じ場所を写した2枚の画像があるのですが、よーく目を凝らして見てみて下さい。何かが写っておりませんか。2006年8月2010年4月何か見えましたか?と言っても顔とか手とかオーブが写っている訳ではありません。お社が写っております。このお社、実際はただのお稲荷なのですが、近寄って覗いた瞬間…正直引きました。ビビりました。ゾッとしました。ある細工がされているのです。たまたま近くに車を停めていたので、待機しているカミさんに「ちょっと見て来て」と懇願。訝しがる中、恐る恐る覗きに行くカミさん。そして戻って来て一言。「なんかこの辺(背筋)ゾワゾワっとする」以降のやり取り。俺:「何アレ?秋田ってああいう風習あるの?」嫁:「ある訳ないでしょ」俺:「なんか意味あるの?っていうかアレ誰?」嫁:「っていうかアレ喪服じゃない?」俺:「いや…んだべか…」再び確認しに行く勇気は二人にはありませんでした。さて、ここでタイトルの真意です。直接ここで書いても文章ではあまり恐ろしくありません。気になる方、勇気ある方は実際に見に行ってみて下さい。今年4月の訪城時にチラっと見ましたが変化ありませんでしたから…あと、画像撮影しようかと思いましたが憚られるモノなので、ここではUP出来ません。っていうかアレを撮る気には到底なれないのです…
2010年06月23日