観空

2014/02/11(火)15:04

会議室

不思議(285)

会議室の中。 数えきれない程の多くの人達が自らの考えを主張しあい、時に騙し合い、時に共同戦線をはり自らの主張を議会のテーマにしようとする。 あるモノは過去の統計を集め、素晴らしいプレゼンテーションを用意し、またある者は外部から「専門家」を呼び寄せ未来を予測し、またある者は価値がありそうなサンプルを持参し、如何にソレが素晴らく、価値があるかを力説する。 理論性も何もなく、感情的にただ大声で怒鳴りまくり、他者を圧倒して場を支配しようとするモノもいる。 ありとあらゆる手段が正当であり、夫々の思惑を_どうにか_聴いてもらい、あわよくば実行させようとする。 それが私達の意識です。 そこに_一貫性_はありません。 私達の「我」、つまり今の人格・性格というのは_ただ会議室の主導権を得る事に特化した_モノ達の集まり、でしかありません。 「真の自ら」もこの会議室に居ます。 「真の自ら」はこの会議室で一切発言しません。  「発言」し、「意見を交わし」、「交渉」するのは常にその場を取り仕切り、何らかの利益を得ようとするモノ達です。 「真の自ら」はこの会議室での唯一の実行者です。 何を実行するかの決定権は常に「真の自ら」にしかありません。 でも実行者でありながら、発言は一切しません。 聞き慣れた大声/見慣れたプレゼンテーションを_ただ惰性で受け入れ_それだけが真実かのように、選択権すら放棄して自動的に実行しているに過ぎません。 だから、私達は聞き慣れた「会議室の発言者」を「自分」と勘違いしているのです。 真の実行者である事を放棄して、ただプレゼンが上手な、あるいは一番声が大きなモノに主導権を与え、自動的に存在しているだけ。 瞑想というのは、この五月蝿い会議室の実情を淡々と傍観する事で、 _いったい何が起こっているのか_を実感する為の手法なのです。 もし実行者が傍観を_意図的に行う事_で実行者たる自らを「知る」事ができれば。。。_ただ大声を上げているモノ_や_ただプレゼンが綺麗なモノ_に惑わされる事も無くなるのです。

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