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毎日大変生活

授かった命(後編)

(流産6回の後)


胞状奇胎の可能性が大で、これ以上、お腹に置いておくわけにはいかない。

この日、心音が聞こえなければ、そのまま、手術になる。

自分の力ではどうしようもない。

泣いても、祈っても、何をしても、任せるよりしようがない。

病室で、眠れぬ夜を過ごし、診察の呼び出し。


院長は超音波をお腹にあてる。

雑音の中でとらえるのは、私の心音ばかり。


いつもより長く、注意深くあらゆる角度で超音波があてられる。

院長の手が止まると、私も耳を澄ます。

また、私の心音。。






何も考えてなかった。
音だけ聞いていた。
院長も、看護婦さんも、私も、音だけ聞いていた。



「ん?」院長の手が長く止まる。
注意深く、音を追っていく。

「これだ!」院長の声。

「赤ちゃん、生きていますよ!!」

看護婦さんたちの、
「よかったですね!よかったですね!」
の声。

私の耳にも、自分の心音ではない音が聞こえる。
私の心音よりもっと速く打っている。


涙が出てきた。


「生きててくれて、ありがとう。生きててくれてありがとう」



もっと、先に、院長がマニュアルどおりに判断をしていたなら、
この命はなかった。


それから、私は、お腹の赤ちゃんを守るために、動く事をしなかった。


体を動かすと、子宮が赤ちゃんを押し出そうとする。
殺そうとする。。
自分の体なのに、自分の意志では、どうもならない。

絶対安静。1日2回だけ起きることが許された。

面会は主人と、私の両親だけが許可され、

個室で、ひとりで、一つの生命と向かい合っていた。


途中で、主人も、面会が許されなく時期もあったけど、

私は、ひとりではなかった。お腹に赤ちゃんが自分の力で、生きていた。私は栄養を送っただけ。

お腹の中で、赤ちゃんは確かに育っていった。



つわりがひどく、食べてもすぐに吐くので、点滴ばかりの
3ヶ月間だった。

心ない人は、
「そんなに薬ばかりで育っても、大人になる前に死んでしまう」
「体の不自由な子が産まれる」
と言った。

私は、何を言われても大丈夫だった。
一生懸命に生きているお腹の中の子供を守りたかった。

そろそろ、安全期。
退院の用意をする。

3ヶ月間歩いてないので、
まずは、歩く練習。

足を床に置き、歩くと、、剣山の上を歩いているように足の裏が痛い。
人形姫の物語の中で、歩くと足が痛いという表現があった。
まったくそのとおりだと思った。

「お母さんになるんだから、頑張りなさい」
院長の言葉に、一歩一歩、、歩く練習をした。

病院の周りを1周出来るようになり、

ジーンズ姿のまま緊急入院した私は、
マタニティで退院した。

その後も、自宅安静。


9月、女の子が産まれた。

退院の日、院長は「奇跡のようだ」と言われた。
「自分も半分あきらめかけた事があった」とも言われた。



生まれてきてくれて、ありがとう。と思う。



その後、院長から止められたけど、第2子をもうけた。
その時も、絶対安静。

もし、親に何かがあっても、きょうだいで生きていける。
その思いだった。

長女は、大きな病気もせずに、22歳。
長男は、腕白で大変だったけど、21歳。


主人のおじいちゃんが線香の煙で教えてくれた命。
あの線香の煙がなければ、私は、そのまま、流産していた。

おじいちゃんが、心待ちにしながらも、逝ってしまわれた。
おじいちゃん、
子供たちは、ちゃんとやさしく、たくましく育っています。


私は、二つの命が私に託されたと思っている。



誰から託されたのか、私には、それは、人間の力を超えたものとしか思えない。





私の教室に来てくれる子供たち、ひとりひとりが、かけがえも無く大切な子供たち。


そんな子供たちとふれあう仕事を、一生の仕事としている私は、

しあわせ者です。

子供たちが、自分の力で生きていけるようにするのが私の仕事だと思っています。

長いのに、読んでくださってありがとう。

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