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ちょっと本を作っています

ちょっと本を作っています

第六話 なぜかスキー書

第六話 なぜかスキー書




スキー場の夜はふけて

この年の参加者も200人以上はいました。

夜のパーティもいつしかディスコパーティに切り替わっていました。

30代半ばになっていた私は、もう親父扱いです。

「それじゃ、○さんのは盆踊りだよ」なんて冷やかされて踊っていました。


「今晩は」と声を掛けてきた女性がいます。

小学館の女性編集者でした。

「あれ、○ちゃんも来てたの?」

「うーん、私は仕事よ」


テレビ情報の週刊情報誌の副編集長をやっている女性です。

聞くと、奥志賀高原まで取材に行くそうです。

カメラマンなどスタッフを引き連れていました。


「ワールドカップの取材よ」

「それが何で志賀高原なの? 場所が違うんじゃない」

確か日本で始めてワールドカップが開催された年です。

「奥志賀にスキー用具の整備やワクシングの先生がいるのよ」

「ワールドカップの舞台裏ってテーマでまとめようと思って」

「明日の予定なんだけど、みんなに会いに来たのよ」


ヒマを持て余していた私です。

若い連中にはもう付いて行けません。

「オレも連れて行ってよ。面白そう」



杉山進さんとの出会い、そして林壮一さん

翌日の昼近く、奥志賀高原のスポーツハイムというロッジに着きました。

杉山進さんはスキー界の大御所です。

確か現在は、SIA(職業スキー教師協会)の会長です。


取材が始まりました。

実演をするのは林壮一先生です。

当時、林壮一さんは奥志賀のスキースクールの主任でした。

エッジの調整、ソールの研磨、ワクシングと手際よく撮影です。


一通りの取材と撮影が終わりました。

そうなると、でしゃばりの私は黙っていられません。

「あのー、私、スキーが上手くならないんですが道具のせいですかね」

「ありますよ、そういうことって」

林壮一さんとの掛け合い漫才のような会話が延々と続きました。


帰ろうと思ったら、もうバスもありません。

「すみません。タクシーを呼んでもらえますか?」

「ムリですよ。呼んでも来るまでに2時間はかかりますよ」

「いいですよ。ボクがクルマで送って行きます」



またまた一冊、本の企画がまとまった

送ってもらうクルマの中での話です。

「今日説明して頂いたようなことの本は出ていますか?」

「三浦敬三先生と土方先生の本ぐらいかな。ちょっと古いけど」

「何で古いんですか?」

「スキー用具ってどんどん進歩しているでしょう」

「整備のやり方も変わっていくんですよ」


その翌日の夜行バスで東京に帰りました。

帰着は翌朝です。

そのまま会社へ直行です。


「明日、取材に行きます。志賀高原へ。スキーの本を作ります」

「えっ、スキーに行ってきたんじゃないの」

編集部長の常務は目を白黒させていました。

こんなときの行動の速さだけは誰にも負けません。

林壮一さんに電話して、ロッジも確保してもらいました。

夜行バスも確保して、その足で志賀高原にユーターンです。


出迎えた林壮一さんは大喜びです。

初めての自分の本が出来るのですから、当然と言えば当然です。

でも杉山進さんはそうでもありませんでした。

失礼ですが、堅実かつ着実を絵に描いたような性格の方です。

忙しいこともあって、なかなか時間をとって頂けません。

しかたないので昼間はスキーで遊び、夜は飲んでいました。



オジサン、写真集なんて売れないよ

スポーツハイムはスキーヤーズベッドです。

私と同じ部屋にあと二人の人が同宿していました。

お一方はいいお年のようです。

毎晩三人で雑談に花を咲かせていました。


「ボクの写真集を出したいんだけど」

お爺さんが話しかけて来ます。

「売れないですよ、写真集なんて」

「ムリ、ムリ。止めたほうがいいですよ」

そんな話を幾晩もしていました。


「杉山校長が、ぜひお出で頂きたいと言っているのですが」

あれどうした風の吹き回しだろうと、いそいそ出かけました。

校長室にはワインと料理が用意してありました。

杉山校長と並んで、くだんのお爺さんが座っています。


「いやー、あなたが奈良原先生とお知り合いだとは知らなくて」

めったに笑わない杉山進さんがニコニコしています。



とんでもないお爺さんだったのだ

「私がオーストリーに行っていたとき、お世話になったんですよ」

杉山進さんは日本人で初めてオーストリーの国家検定に受かった人です。

聞くと奈良原さんという方は世界的に有名な写真家でした。

日本人の海外旅行が制限されていた時代に欧米で活躍されていたそうです。

奈良原さんから、面白い人がいますよと言われて私を呼んでくれたのです。


もうここまで来れば一気呵成です。

トントン話は進みました。

それにしても奈良原一高さんを知らなかったとは恥ずかしい。

帰ってから何冊か写真集を買い漁りました。

朝日新聞社や岩波書店から何冊も出版されていました。


「写真集なんて売れないですよ」

「止めたほうがいいですよ」

奈良原さんも人が悪い。

教えてくれないんだもん。

ニコニコしながら私の話を聞いていたんですよ。



第七話 退職、そして創業


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