第六章 安く本を作る方法を考えよう第六章 安く本を作る方法を考えよう■機械の大型化の弊害が、出版物にも 戦後の大量生産、大量消費の波は、出版業界にとっても、無縁ではありませんでした。 印刷や製本の作業が、大型機械化されて、大量生産の体制が作られました。 自費出版や専門書などの小部数印刷は、無視されてきたのです。 何千冊も一度に印刷する機械では、小部数印刷に対応できません。 いまでは、数百冊の印刷と、数千冊の印刷経費が、ほとんど変わらなくなりました。 製本も機械化されて、手作業の占める比率は、以前の十分の一以下です。 いま、受注発注によるオンデマンド出版など、小部数の本が見直されつつあります。 でもまだまだ、個人の手の届く範囲ではありません。 自費出版が花盛りの今日、百冊から五百冊程度の、小部数の本作りに対応できるシステムが、求められているように思います。 ■それでも三百万円は高すぎる 自費出版業者に依頼すると、たいがい三百万円ほどの見積もりのようです。 まず上製本(表紙の硬い本)を薦めます。 さらにカバーも四色のフルカラーを使うのが当然のようにいわれます。 でも本当に、それが必要なことなのでしょうか。 たしかに、店頭で本を手に取ってもらうには、カバーデザインは大切です。 だからといって、装丁の良し悪しだけで、お客さんは本を買っているのでしょうか。 それほど読者は、軽薄ではありません。 やはり中身を見て買うのです。 それなのに、過剰包装ともいえるほど、外観に多くの経費をかけているのが、いまの出版物の特徴です。 少々見栄えが悪くても、中身のいい本は売れると、私は信じています。 個人で出版を考える人にとっては、その本は、一世一代の大仕事かもしれません。 だから、どうせなら最高の本作りを、と考えるのでしょう。 あとあとまで残る本を作りたい気持ちは、よく分かります。 私がこの本で書いていることは、もしかすると、素朴に本を作りたいと思っている人たちの、高揚した気持ちに、冷や水をかけているのかもしれません。 また自費出版業者も、自分たちの置かれた環境の中で、最大限の努力を払って、本を作りたい人たちに、満足を与えているのかも知れません。 私が、この本を読んでいただきたい一番の対象は、本は作りたいけれど、あまりにも敷居が高すぎて、手がでないと思っている人たちです。 本作りのハードルの高さを、下げたいと思ってこの原稿を書いています。 ■出版社の固定経費が膨れ上がった 本の編集や、DTP(パソコンによる印刷データーの作成)作業などは、労働力集約型の仕事です。 どのような業種でもほぼ同じですが、企業が社員を維持するためには、給料の三倍程度の利益がないと不可能です。 まして東京の、それも千代田区や文京区などに、出版社は集中しています。 家賃も高ければ物価も高いところです。 社員の給料が、年間を均してみて月平均五十万円だとして、三倍の利益を得ようとしたらどうでしょう。 一人当たり月百五十万円の利益を確保しなければならないことになります。 月一冊本を作るとしても、印刷原価などに百五十万円の上乗せが必要です。 たしかにこの計算だと、一点につき三百万円くらいは必要という、自費出版業者の言い分も、なんとはなしに分かります。 でも、インターネットを使ったSOHOなどの、在宅パワーを使ってのアウトソーシングなど、労働力集約型の仕事であればこそ改善できる要素が、まだまだあるように思います。 ■さらに、外装にこだわる風潮が拍車をかけた 本を見渡してみると、雑誌や文庫や新書などと一部のシリーズ企画をのぞくと、すべて特別仕様です。 一冊一冊、その都度ゼロから企画して、設計して、建てている家のようです。 とうぜん手間もかかれば、経費もかかります。時間だってかかります。 個性を重んじる出版物といえど、ちょっと行きすぎの感があります。 実は自費出版業者の立場では、そのほうがいいのです。 それぞれが特別仕様ならば、著者であるお客さんに、比較検討される心配が少なくなるからです。 さらにデザイン料という、値段のハッキリしない請求も起こせます。 自費出版業者にとっては、一回きりのお客さんと思えば、気にもなりません。 毎年家を建て替える人もいませんが、毎年本をだす人もわずかです。 常に、「あなたのための特別仕様で本を作っています」といえば、お客さんの満足度も向上します。 ■厚化粧を落とせば安くなる 特別仕様にしなければいいのです。 本作りのベース部分は共通規格にして、あとはオプションで、それぞれの人の希望を付け加えていけばいいのです。 さらに、本を安く作る方法の一番の方策は、外観にお金をかけないの一言に尽きます。 とくに小部数の本を作るとき、意外と比重の高いのが、カバー代と製本代です。 五百冊から千冊ぐらいの本を作ることを想定して試算してみました。 四色カバーと上製本にするための製本代を合わせると、印刷・製本経費の総額の約半分を占めます。 果たしてそれだけの価値があるのかどうか、私は疑問です。 たしかに本屋さんの店頭で、手に取ってもらえる確率は高くなります。 でも、レジへ持っていってもらうほうがもっと大切です。 厚化粧で振り返ってはもらえますが、気に入ってもらえるとも思えません。 だったら無駄な経費をはぶいて、本を安く作り、定価を下げたほうが、はるかに効果的です。 本の場合、外装よりも中身と値段を比較して、買っているのではないでしょうか。 ■本屋さんの本棚とレジまでの距離は遠かった 「本の棚とレジとの距離は、気が遠くなるくらい、とてつもなく遠いんだよ」 「手に取ったからといって、レジまでもっていってもらえる確率は一%だよ」 「その距離を埋められる本が、いい本なんだ」 「ほかの商品とは違うんだ。意外と衝動買いのないのが、出版物だよ」 「中身に納得してもらえないと、本は買ってもらえないんだ」 新しく編集を手がける新人に、私はこのように言いつづけてきました。 楽しい装丁の本を作りたいのは、当然です。 私も出版人として、いつも念頭にあります。 でもその対価が、大きすぎるように思えるのです。 本棚とレジとの距離を埋める要因としては、効果は希薄です。 ■集中すべきは、本の中身を良くすることでは いまの過剰包装ともいえる装丁と、カバー周りへのお金のかけ方。 ピアノをやりたい子供に、最初からグランドピアノをあてがうようなものです。 傍らのファミリーカーを指し示しながら、「こんなのクルマじゃないですよ。それに比べてどうです、このクルマ」と、高級仕様のクルマを勧めるディーラーに似ています。 もちろん誰だって、高級なほうがいいに決まっています。 ありあまるお金の使い道に困っているような、お金もちならいいでしょう。 超一流に育てたいと思っているなら、何もいいません。 でもこのような華美に溢れた本作りが、当たり前だと思っているところに、落とし穴があります。 さらにいまの自費出版業者のやり方を見ていると、最初から高級車だけを数台見せて、その中から選ばせようとしているようにも感じます。 もっとリーズナブルな本の作り方があるのに、わざと見せないようにしているとすら感じます。 もっともっと企画内容や、本文の文章構成に精力を集中すべきです。 装丁だけで読者に感動を与えることはできません。 やはり中身です。 感動する本が少なくなった理由に、装丁への懲りすぎがあるように思えます。 ■装丁の大切さを否定しているわけではありません 「装丁で目立つようにして、衝動買いをしてもらわないと」 このように、多くの出版仲間に私はいわれつづけてきました。 事実、奇をてらった装丁や、斬新な装丁の本が売れてきました。 装丁やカバーデザイン、タイトルなどにお金をかけた本の存在意義を、否定はしません。 でも私はそのようにしてまで、軽薄な中身の本を売りたいとは思いません。 読者をだましてまで本を売らなければならないのなら、こんな業界くそ食らえです。 やはり私は、企画内容と実際の本の中身そのもので、勝負したいと思っています。 もっともっと本の中身について、意見を交換して、読者が飛びついてくるような本を作りたいのです。 個人がお金をだす自費出版本だって、読んでもらって初めて、その本の価値がでてくるのではないでしょうか。 さらにそれだけの中身のある本なら、少しぐらい装丁に凝ってお金を使っても、相乗効果が期待できるでしょう。 まずは内容ありきです。 「ボロは着てても心は錦~」。 水前寺清子の歌が聴こえてきそうです。 ■安く作る方法は、いわばプレハブ建築に似ています 私の小さいころ、五階建ての公団住宅がつぎつぎと建ち並びました。 戦後の急増する住宅需要にあわせた、規格住宅の増産でした。 その後、快適な生活を求める人は、郊外型マンションへと移っていきます。 一方で戸建住宅も変化していきます。 プレハブ住宅の登場です。 より安価、より快適な住まい作りは、プレハブ住宅となって発展していきます。 それも掘っ立て小屋のような住宅から、高級仕様の住宅へと移っていきました。 どちらも最初は、最低限の機能と、空間を確保することから始まっています。 さらに多様なオプションを付け加えることで、満足感を提供してきました。 本作りも同じです。 まずは最低限、なおかつ満足できる規格品の提案です。 それでも本は、住宅以上に、アイディア一つで個性を演出できると思います。 まずは私の提案する、基本のプレハブ設計。 それが三十八万円でできたこの本です。 ■規格を決めたら、次には「同時進行」です 単品で作ろうとすると、特注と同じことになります。 同じような本を同時に作るとセットする料金が軽減できます。 それも二点か四点か、あるいはそれ以上がいいのですが偶数の単位です。 同時に、同じ規格の本を印刷・製本します。 用紙も一括発注です。 特に、表紙の印刷と加工を同時におこなうところで、大幅に経費を削減できます。 この本も、別の同じ規格の本と一緒に、印刷・製本しました。 装丁(本の大きさ、ページ数、使う用紙)は同じでも、表紙のデザインやレイアウトは、独自性を追求します。 ただ、表紙に使う二色の組み合わせと、判型や用紙だけが同じなのです。 マンションのように入れ物は同じでも、内装はオプションが可能です。 まして本ですから、それぞれの著者の個性がものをいいます。 苦労するといえば、原稿の締め切りを合わせることかも知れません。 そのためには次にだしたい原稿のストックを作っておきます。 ■この本と同じ程度なら五十万円もあれば充分です 今回の出版物は、一般書に多い四六判という判型です。 本文ページは160ページに収めました。 経費のかかるカバーは無くして、表紙にはPPと呼ばれるビニールコーティングを施しました。 本文は一色だけれど、表紙は二色印刷です。 印刷部数は千冊です。(これくらいは売らないとね) 編集はお手の物ですから、私の場合は、編集費はかかりません。 このやり方だと印刷・製本・用紙などで三十万円程度です。 諸雑費を入れても三十八万円也です。 私でなくても、編集費や雑費、管理費などを計算しても、誰でも五十万円もあればこの程度の本はできあがります。 ただし自費出版業者のように固定費や利益を上乗せするとこうはいきません。 希望があれば、カバーを付けたり四色刷りにしたり、厚表紙の上製本にするなど、オプションで付け加えていけばいいだけの話です。 個々のオプションを付け加えることが、どの程度の料金アップになるのか、確かめながら進めましょう。 それこそ、一つひとつの作業を加えることの、費用対効果を考えて判断すればいいのです。 ■ちょっと先を越されたかな 個人の立場で、本作りを考える場合の採算性を紹介してきましたが、出版社が自社企画を考えるうえでも、厚化粧を取りのぞいて、中身で勝負する出版物が求められています。 そのことに少し触れさせてください。 一昨年、光文社からペーパーバックスシリーズが創刊されました。 編集長は、山田順二。私の知人です。 創刊当時、外国人記者クラブのバーへ呼びだされました。 「すべて横組みですよ。これからは横組みが中心になりますよ」 「アメリカのペーパーバックス、あれがいいんですよ」 「余計なとこに経費をかけたってしょうがないでしょ」 「あれ、やりたいんですよ。もう、イメージはバッチリですよ」 ほかの相談で私を呼びだしたはずなのに、夢中になって話していました。 まさに私のイメージする安く作る本と同じです。 四六判、カバーも無く、無駄な経費は一切かけていません。 このシリーズも、創刊から一年ぐらいは、けっこう苦戦したようです。 でも内容をビジネス書に特化した段階から、急速に売上げが伸びてきました。 いまやビジネス書の新刊コーナーの、主役に躍りでています。 先日、日経新聞に時の人ということで、山田編集長が、顔写真入りで紹介されていました。 「やったね。おめでとう」 外国人記者クラブのバーで会ったときの、彼の上気した顔を思いだしました。 ■出版社自身が原点に戻らなければ 「机一つに電話一台あれば、出版社はできる」 私が出版業界に飛び込んだころ、このように聞かされました。 それほど小さな事業だという例えです。 その後出版業界は変貌しました。 寡占化は、出版業界においても無縁ではありませんでした。 規模が拡大して、個性と独創性が失われました。 いまや、組織を維持することに汲々となっている出版業界です。 効率化の動きは、金太郎アメのように、同質の出版社を生みだしました。 会社の所在する地域も集中していれば、やっていることも同じです。 業界人の行きつけの飲み屋も同じなら、住んでいるところさえも似ています。 「出版業界は村社会だから」といわれつづけてきました。 それでも以前は、同じ志をもつ人たちの、共同体の良さがありました。 いまは、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった有様です。 志は、そして夢はどこへ行ったのでしょう。 個性と独創性、独自の課題の追求は、その出版社の存在意義そのものだと思うのですが、いつからそのことが忘れられたのでしょうか。 ■総合という名の陳腐な「一般出版社」 独創性を求めるなら、そして個性を大切にするなら、異質であるべきです。 神保町や本郷周辺にたむろしているようでは、たかが知れています。 生活の安定と高収入を求めるなら、職種を変えたほうがいいでしょう。 常に最高のものを、さらには常に自分らしさを追いかけることなしに、創作事業は成り立ちません。 それも著者との一体感なしに、出版事業はあり得ないと思います。 著者はお客さんではないのです。 スポンサーでもありません。 まさに身内の仕事仲間だと思います。 自費出版や協力出版の名目で、著者の犠牲の下に本を作って、何ができるのでしょうか。 出版業界の荒廃以外に、生まれてくるものはないように思います。 ■だったら、一人出版社を始めよう 事務所経費も人件費もほとんど無くせば、本の製作経費が半分です。 事業を維持するための運転資金もいりません。 もちろん個人出版が基本です。 一緒に夢を求める人を探せばいいのです。 本当の意味での、経費折半で利益折半です。 それが可能だと思います。 私は下町・両国に流れ着きました。 家賃の安いのが一番の理由です。 いまのインターネット社会を考えれば、山の中でも、僻地でも仕事はできます。 事実、ヨーロッパの出版社は、ほとんど郊外に拠点を設けています。 個人出版をお考えの方、相手の会社の建物を見てください。 自費出版業者の家賃や固定経費まで負担することはないですよ。 本は、著者と編集者の熱意で作るものです。 出版社の規模や外観でなく、本屋さんやインターネットショップで売るものです。 いまや出版社のブランドさえも意味をもたなくなりました。 このあとご紹介しますが、本を作りたいあなた自身がブランドなのです。 そしてただ一人の出版社をやっている、私自身がブランドです。 出版社の社名の重みは、過去のものとなりつつあります。 第七章へとつづく |