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2005/11/07(月)11:25

「天災」の影に隠れている「人災」

新聞など拾い読み・政治関連?(291)

 というタイトルを目にしたのは実は2日付けの地元紙の随想欄。神戸大学大学院教授 ロニー・アレキサンダー氏によるものです。そのまま引用させて頂きます。  『最近、多くの犠牲者をだす「天災」が頻発している。昨年末に起きた大地震と津波。先日のハリケーン・カトリーナやグアテマラでの水害。パキスタンでの大地震。各被災地の映像をみるだけでも、10年前の恐怖感がよみがえってくる。どうにかして、役に立ちたいと思うが、被災地の多さに圧倒される。  次々に起こってくる「天災」。地球が怒っているかもしれない。しかし、「天災」の犠牲者の多くは、もっとも地球に傷をつけていない貧困層の人々であり、そしてその多くが女性や子どもだ。自然の力は無差別に発生するが、人間社会の不平等によってその影響が違ってくる。「天災」は、「人災」的な側面の存在を否定できない。  戦争は「人災」だ。けれども、環境の劣化や天然資源の枯渇、限られた資源への競争などが戦争の一原因になる。戦いの様子や犠牲者数、避難民の状況は報道されるが、「危機」にならない限り、過酷な「日常」生活を強いられている一般住民の姿は、メディアに取り上げられることはほとんどない。  一方、毎日毎日、5秒毎に一人の5歳未満の子どもが栄養不足を原因に亡くなる。一日に約2万5千人だ。私が勤めている神戸大学でいうと、学部・大学院・付属小学校・教職員の人数に相当する数だ。国連世界食糧計画によると、大人に必要とされる一日分の2千百カロリーを約33円で提供できる。食料が生産されていないわけではない。分配の問題だ。私たちの飽食は、「天災」が「人災」になる原因のひとつかもしれない。  パキスタンの地震の犠牲者は4万人を上回った。そのうち、栄養不足のため、助けが来るまで耐えることができなかった子どもはどれぐらいいたのだろうか。次々に起こる「天災」に気を配りながら、日常的に栄養不足・飢えのために苦しんでいる人々にも目を向けたい。』  配食サービスで使う大きなガス釜。最初は樹脂加工がしてあって、ご飯粒など全くくっつかなかったのに、やはり5年も使うと段々とくっつく様になってしまう。一粒の米から一体どれ位のご飯が出来るんだろう?なんて正確な数字は知らないけど、一粒たりとも無駄には出来ない。  昨日、一日中降り続いた雨のせいで、等身大紙相撲大会 三原場所は中止。それでも姪たちを含め制作に加わった皆さん、お疲れ様でした!  朝から母を眼科医院へ連れて行っていたらもう、こんな時間。。。そろそろ出勤タイムとなりますので。。。

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