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第44回日本小児臨床薬理学会学術集会:かいちょーなおもてなし

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Tsuyoshi Nakachi@ 盛会お祈りします。 田中先生、お久しぶりです。沖縄の仲地で…

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静岡のみどころ:徳川の史跡

April 26, 2018
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 静岡の浅間神社の近くにある城北公園の中心部付近、今現在、白い花で真っ白になった木がたくさんです。



 

 モクセイ科、「ヒトツバタゴ」。別名、”なんじゃもんじゃ”。なんじゃ?と思いますが、由緒がまた立派で、徳川関係、水戸黄門関係です。





 なんじゃもんじゃの群生にまたがるように、帽子のような雲を冠った富士山が見えました。。。





















Last updated  April 26, 2018 07:13:35 AM
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September 26, 2017
 学会場からちょっと遠いからな~、と思って、ご紹介しないまま来てしまいましたが、静岡、徳川、と言えば、外せないのが「​久能山東照宮​」。徳川家康公が埋葬(神葬というらしい)され、有名な日光東照宮にはその翌年に移されて(改葬というらしい)います。

 現在の久能山東照宮は、そのふもとにはいちご狩りができる​石垣いちご​のビニルハウスが立ち並び(10月はシーズン前で残念…)、また富士山を一望できる景色が大変すばらしい​日本平​と​ロープウェー​で結ばれていて、静岡の誇る一大観光エリアとなっています。

 ただ、学術集会を抜けてちょっと行くにはアクセスが、、、と思っていたところ、「​無料シャトルバス​」情報が。温泉に入る入らないとは関係なく利用可能なように、新聞には書いてありました。。。

 久能山東照宮は、​ここです​。






Last updated  September 26, 2017 07:12:51 AM
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September 9, 2017
 駿府城跡の石垣とお堀。静岡市に生まれ、長年住んでいる身としては、見慣れてしまっていて当たり前の風景であり、地震で崩落してしまって話題を呼んだ熊本城のような迫力はないかも知れないけれども、市の中心部に近い場所で、市民の心に落ち着きをもたらしているように思います。

 我々市民が一般に”内堀”と称しているお堀は本当は「中堀」であり、正式には「二ノ丸堀」のことを指します。本物の「内堀」は、下の写真、復元された「巽櫓(たつみやぐら)​」付近の内側に、近年発掘されて一部をみることができます。



 「巽櫓」の入り口は、通称”内堀”に架かる下の写真の「東御門橋」を渡って進んでいったところにあります。この東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される桝形門が「​東御門​」なんだそうです。



 西側の「外堀(三ノ丸堀)」に架かる「凱旋橋」付近から見た石垣とお堀。この辺りの石垣は、近代に入ってあまり手が入っていない印象です。整然と組まれていないところに風情と歴史を感じたりします。



 駿府城跡の南側、通称”内堀”と「外堀」の間付近に​静岡県庁​が建ち、さらに「外堀」の外側に​静岡市役所​が建っています。

 この辺りの「外堀」に架かる橋の一つが土橋で、そのまま大手御門に連なっています。奥行きのある石垣が立派だなあ、とは個人的な感想。





 ”内堀”の外周は、中学生の頃の毎朝の部活動のトレーニングコースで、約1.6キロ。「外堀」は、今ではぐるっと一周の外観にはなっていないけれども、だいたい見ながら周れると思います。4~5キロ弱といったところでしょうか。

 駿府城跡付近のぶらり散歩には、​どうやらこのマップ​が便利です。






Last updated  September 10, 2017 05:17:22 AM
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August 26, 2017
 当院の近くに、「さつま通り」と呼ばれるまっすぐにほぼ南北に延びる道があります。ここです

 静岡なのに、なんで”さつま”? 

 そもそもは、やはり病院の近くにある「薩摩土手」がポイント。ここです

 それまで、安倍川の流れは、現在の静岡市の中央を賎機山に沿ってカーブするような向きであったため、大雨になるとしばしば氾濫して洪水を引き起こしていたそうで。今川-徳川の時代に、この流れをまっすぐにすることで、水害から静岡市を護ったと。そのための、土手を築く大工事を、主に薩摩藩からの人員が請け負ったのだそうです。

薩摩土手について、、、
 
 現在の静岡市役所脇にも、そんな歴史を説明する看板があります。



 そして、本来の「薩摩土手」の名残が、「さつま通り」へ。。。当時の命名者、現在個人的に捜索中です。

※2017/8/31、追記。

 薩摩土手のところまで行ってきました。上の話に出てくるお地蔵さんがありました。たびたび洪水を起こすこの川の治水を祈願して、とありました。築かれた土手のおかげで、今では氾濫することもなく、市民に平和な日常がもたらされています。





 川除地蔵は、​ここです​。






Last updated  August 31, 2017 10:03:14 PM
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August 13, 2017
 徳川家康公が竹千代と呼ばれていた幼少時、12年間も”人質”として過ごしていたのが、ここ「臨済寺」です。「臨済寺」は元々、駿府の地を治めていた今川義元の、お兄さんの 菩提寺なのだそうです。”りんさいじ”とばっかり思っていましたが、今回、”りんざいじ”なんだと知りました。



 竹千代が12年間も過ごしたという由緒からすると、大々的にアピールしていそうですが、市街地から少し離れた住宅地、幹線から、特に目立った案内板もない脇道を入ってまっすぐ行ったその一番奥、賎機山のふもとにひっそりとたたずむお寺です。近所の子が遊びに出かける声がよく響きます。



 お盆の時期ということもあるのでしょうか、家族でお参りに来られた様子の方々を途絶えることなく見ました。

 お寺の門の前に、小規模ですが上品な庭園と池があります。



 蓮の花も咲いていました。

 

  お庭も池も、お手入れが行き届いている印象です。

 今も静かな地ですが、政略的な駆け引きの末に、現代風に言えば小学生から思春期の頃を、竹千代はどんな思いでここで過ごしていたのだろうかなあと、考えちゃいました。

 JR静岡駅からは路線バスで15分、タクシーで10分くらいでしょうか。ここです

※お寺の前にあった看板の案内が、市内の史跡の位置関係の把握に役立ちそうでしたので。。。







Last updated  August 13, 2017 07:28:02 PM
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July 7, 2017
 再三触れている駿府城公園とそこの発掘現場。

2017/5/16 『お城の発掘のお手伝いできます。
2017/6/13 『鶴瓶の家族に乾杯 in 静岡市葵区:再放送あります!

 またニュースになっていました。

軒平瓦、金箔うっすら 駿府城跡天守台で発見 7日から公開
(2017/7/6 静岡新聞/アットエス)

 明治維新を迎え、徳川家康公ゆかりの駿府城は、いったん「荒廃したまま放置されて」いたとあります。その後、学校や病院、役所関係などの公共施設等の用地として活用されて現在にいたっていますが、戦争中は軍隊の駐留地にもなっていたようです。歴史上のある時期、そこにお城があったことさえも忘れ去られるような状況があったのだと思います。

 それゆえ、発掘調査が進むにつれて、地中からびっくりするような物が色々出てきているようです。今度、散歩がてら見に行って、確かめてこなくっちゃ。

 あらためて、ここです






Last updated  July 7, 2017 10:06:10 AM
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July 1, 2017
 出張で、水戸に行きました。テレビの時代劇で有名な水戸黄門こと徳川光圀公と助さん、格さんがお出迎えしてくれます。

 

 静岡にゆかりの最後の将軍、徳川慶喜公の実父は、水戸藩、水戸徳川家、第9代藩主、徳川斉昭公です。水戸の黄門様は第2代藩主。

 慶喜公自身は、幼い頃を水戸で過ごし、御三家と言われた一橋家に10歳で養子に入りました。水戸藩の藩主にはなってはいないものの、慶喜公は黄門様の系譜であり、静岡以上に水戸とのつながりが深いわけです。

 ちなみに、学校で習った”参勤交代”ですが、水戸藩は免除されていたんですって。

 水戸には、道の両側の植え込みに様々な種類のアジサイが咲き誇る、”あじさい通り”があります。

 

 今は、”あじさいまつり”の真っ最中。全国から観光客が集まる季節です。その中心が、保和苑(ほわえん)。下の地図中の④の所。

 

 アジサイで有名な保和苑は、”ぴんころ地蔵さん”で知られる桂岸寺に隣接する庭園、という関係だそうです。



 ちなみに、僕も目指す”ぴんぴんころり”の発祥は、どうやら長野県のようで。提唱者は、大学の大先輩だ!

 そして、桂岸寺に隣接して、徳川光圀公が創設した常磐共有墓地があり、旧水戸藩の藩士のお墓が並んでいます。その中に、水戸黄門のテレビドラマの中で登場する”格さん”のモデルとなったと言われる安積澹泊のお墓もあります。お墓の写真を撮るのはどうにも気が引けたので、案内板の中央右寄りをご参照ください。



 安積澹泊は儒学者であり、光圀公を助けて「大日本史」の編纂に主導的役割を果たしたと言われています。通称は”覚兵衛”。テレビドラマの中では、”助さん”こと助三郎と共に”ご隠居”を護る武術の達人、”格さん”こと格之進として登場していましたが、本当は”覚”さんだったのか。。。

 「大日本史」の執筆で光圀公を支えた儒学者・覚兵衛の姿をモデルに、日本全国を漫遊するご老公を護り支える格さんのイメージが定着していったのでしょう。

 ちなみに、2011年12月まで42年間も続いていたTBSのテレビ時代劇の定番、「水戸黄門」が、学術集会のある本年10月からBS-TBSで連続ドラマとして復活するそうです!

 年号や人名や事件を丸暗記するだけの教科としての歴史はどうにも興味を持てずに学生時代を過ごしたが、”たどってつながる”歴史はおもしろい。静岡の慶喜公から水戸の格さんまで、たどり着くことができました。






Last updated  July 1, 2017 05:00:08 PM
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June 16, 2017
 小さい頃はそんなに気にも留めなかったのですが、静岡は徳川家とのつながりがとても深いらしい。最近はいろいろとイベントがあったり、テレビドラマ等で取り上げられたりということもあって、あー、そーなんだ、と思いながら今さらながら気づくことがたくさんあります。

 小さな頃から見慣れていたのは、駿府城公園の中に威風堂々と建っている徳川家康公像。あらためて写真を撮りに行って、駿府城本丸跡だったんだと、初めて知りました。手にしているのは鷹。



 ここです

 比較的新しいと思うのが、JR静岡駅前、国道1号線に面した位置、静岡市美術館の真ん前に建っている像。美術館の目印にもなっている葵の御紋がちょうど背景になっています。駿府城公園の像と、顔立ち、体型は似てます。



 ここです

 徳川家康公の幼少時、”竹千代”だった頃の像は、JR静岡駅の北口を出て、左手、タクシー乗り場方向に進んでいくと、すぐ見つかります(学会場のホテルアソシア静岡は北口を出て右手側)。イベントや季節によって、赤やお茶色の服を着せられているのを見たことがあります。こどもながら、凛々しい顔と姿勢です。

  

 ここです






Last updated  June 17, 2017 10:26:28 AM
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June 10, 2017
 よく出てくる静岡浅間神社、地元での通称「おせんげんさん」の近くの住宅街に、4階建てのマンションよりも背の高い大きな木が忽然と現れます。

 

 「アガティス」という名前の木だそうで、写真左側のマンションの駐車場にあたる場所に生えていて、このマンションの名前にもなっています。その近所に昔あった、最後の将軍・徳川慶喜公のお屋敷の敷地に元々は生えていたものを、この場所に移植したのだそうです。さらに元々は、九州地方の大名から寄進されたものだそうで、道理でこの土地にしては一本だけ雰囲気の違う木だなあと。江戸時代に九州から静岡まで、こんな大きな木をどうやって運んできたのかしらん、などと考え込んでしまいますが、きっと当時は小さな苗木だったのではないかと推察。

 木のそばには説明の看板が。。。



 マンションを建てた会社のHPに同じ内容が掲載されていました。

マンション名の由来

 マンションのイメージビデオもあったりして。。。

 ここです






Last updated  June 10, 2017 06:04:07 AM
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May 31, 2017
 江戸幕府第15代征夷大将軍、いわゆる最後の将軍、徳川慶喜公は、私の前任の地、常陸水戸藩の第9代藩主、徳川斉昭の七男として生まれました。将軍としての在職期間は1年と数日だったとのこと。戊辰戦争を経て、駿府、のちに改め静岡の地に謹慎されていましたが、それを解かれた後もそのまま30年近く居住しています。書、画、写真にいそしみ、自転車にもいち早く乗るなど、趣味の人だったようです。

 静岡に、慶喜公が住まわれていたお屋敷の跡があります。引っ越しもされていて、下の写真、現在はポケットパークになっている場所は、その引っ越し後の場所。駿府城公園から北西へ徒歩5分の地点です。



 ちなみに、パークの奥、写真左上の青い屋根の建物は現在眼科医院で、そのご両親様の代では産婦人科を開業されていましたが、僕はそこで産声を上げました。。。





 水戸といい、駿府といい、産声といい、慶喜公に勝手に親近感を覚えている次第です。

 ここです






Last updated  June 10, 2017 06:00:39 AM
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