先日、暮らし宿 お古の看板猫であるマロが、息を引き取りました。
家族が揃っている時を、選んでくれました。
マロを可愛がってくださったご近所さん、お友だち、お客さん、お世話になりました。
ありがとうございました。
私が東京にいた頃、兄の仕事先に迷い込んできた子猫が、マロでした。
茨城の街中出身、実はシティーボーイ。
オサレな名前にしようと「マロン」と西洋風に名づけましたが、飼い主の呼びやすさ優先で、いつの間にか、和な眉毛の名前に。
ここに一人で暮らし始めた時、先代の看板犬であったチョコとマロと一緒だったので、寂しさを感じたことはありませんでした。
マロは、顔の大きい猫でした。
人に指摘されて、初めて気づきました。
なぜこんなにもキャラクター的なんだろうと疑問に思っていました。
シュッとした猫的シルエットが、明らかに欠けていました。
マロは、ひたすらマイペースな猫でした。
五右衛門風呂のフタの上が定位置で、風呂のお湯を飲む。
風呂のお湯は、汲みたてでなくてはいけません。
少し冷めたお湯、NG。
小さめの桶に少なめに汲むと、顔が入らないので、NG。
時には、桶に汲んだものではなく、自身が首を伸ばして飲むことにこだわることも。
シッポの先がお湯に浸かっていても、気にしない。
子ども達がお風呂に入ると賑やかになるので、渋々フタから下り、皆んなが脱いだ服の中に潜り込み、顔だけ出してぬくぬく寝ていました。
お客さんが来ても、全く気にしない。
あまりに動じないので、お客さんが気を遣って、マロがいない半分だけフタを開けてお風呂に入られることも。
ご協力、ありがとうございました。
フタがズレて落下しても、体が乾けば、何事も無かったかのように、定位置に。
幼い子ども達にシッポを掴まれても、ニャー!と嫌がるだけで、引っ掻くことはしませんでした。

木くずを頭からかけられても、無。
初めてのお産後、心身共に不安定になっていた時も、玄関前ではいつものように日向ぼっこをしているマロがいました。
冬が近づくと太り、夏になると痩せる。
環境に順応し、何があっても、マロはマロ。
ただ、動物には厳しく、新入りイビリをしていました。
今いる2匹の犬をシャーっと威嚇したり、引っ掻いてみたり。
でも、相手が自分よりも体が大きくなると、何事も無かったかのように、添い寝をしていました。
あの子の締まりのない寝顔、
意味もなく呼んでもとりあえずニャアと鳴く返事、
太り過ぎのお腹をこすって、無理やり風呂場に入ってくる姿。
ご主人を亡くされた方が、
「どこか旅行にでも行ってるんじゃないかと思ってしまうんよ。」
と、おっしゃっていました。
今、その言葉の意味を、実感しています。
マロのことだから、フラリと散歩に行っているんじゃなかろうか。
お風呂の戸を開けたら、いつものようにフタの上で寝ていて、薄目を開いてニャァと鳴く。
けれど、いない。
二度とあの姿を見ることはなく、肩に抱き上げることもできない。
マロは、お墓の下で、眠っている。
その現実を目の当たりにする度に、いたたまれなくなる。
頭と心が、かみ合っていません。
しばらく、マロス症候群は、続きそう。
2歳の娘が、無邪気な声で、
マロは天国に行ったんよねー。
お星さまになったんよねー。
と、私の心に教えてくれています。
今日も、満天の星空を見上げてマロ星を探し、
お風呂の戸を開けます。
マロを可愛がってくださった皆さま、
本当に、ありがとうございました。