「親殺し」という通過儀礼
80年頃に起きた予備校生による両親を金属バットで殺害した事件以来、子どもによる「親殺し」が頻発している。「親殺し」というのは、深層心理学で使われる言葉のひとつである。本来、自立を前にした子どもの「心の中」で行われるべき「親殺し」という象徴的なことが、現実の世界で行われてしまうことに、事件の悲劇がある。*********母性には、二面性があり、ボジティブな面は、観音様やマリア様のように子どもを包み慈しむ面。ネガティブな面は、鬼婆や魔女のように子どもを縛り食い殺してしまう面。子どもは、思春期にさしかかると、心の中で、自分を飲み込もうとするネガティブな母性と闘うという、通過儀礼に遭遇する。反抗期といわれるのも、その闘いの一面の表れである。思春期頃の子どもたちの夢には、化物や怪物と闘う、というモチーフがよく現れる。これは、心理学者のユングが英雄神話と呼んだ「竜退治」のモチーフであり、古今東西に遍在する。日本では、『桃太郎』や『一寸法師』がその例である。鬼を退治して、宝物を得たり、お姫様と結ばれる、というストーリーが典型とされている。西洋では、ドラゴンを退治すると捉われていた姫を救出して結ばれるというものだ。この鬼や竜というのが、自分を飲み込もう、食い殺そうとするネガティブ・グレートマザー(否定的太母)の象徴である、とユングは説いた。母親がしつこく「ああしなさい、こうしなさい」と子どもに言うのは日常的な光景である。自分も子どもの折、それに辟易しウンザリした記憶がある。今で言う、「ウザイ」「ウットイ」ことこのうえないのが母親のネチネチした物言いだ。ついでに言えば、父親であっても、同様に子どもに「まとわりつく」ような物言いや「うざい」態度を示す男親は、「機能的」には全くネガティブ・グレートマザー(否定的太母)そのものなのである。「外聞が悪い」だの「世間様に恥ずかしい」だの、つい御託を並べる父親や祖父は男であっても、子どもの心には自分を「飲み込み個性を殺そうと迫ってくる」鬼婆なのである。*******健常な子であれば、心の中で鬼や竜を退治して、象徴的な「母殺し」をして、適度な反抗ていどで現実の親とは折り合いをつけることができる。しかし、自我が脆弱であったり過敏・繊細であったり、またストレスにより疲弊した子は、時折、親の「自分を飲み込み、殺そうと迫ってくる」態度を、恐ろしい侵襲感として受け取って、「やられる前に、殺す」という現実とイメージとの意識が混濁がして、行動化(acting out)となることがある。☆☆☆(^(エ)^)ゞ