|
カテゴリ:高校受験
3年生は今週から中学校の三者面談が始まっていることと思います。
私が中学校の先生なら、こんな騒がしい年でもありますし、入学試験は申込から発表までできるだけつつがなく終わってほしいと考えます。 志願先変更の相談とかその手続きとか不合格とかできるだけ面倒を避けてほしいところです。 志望ランクを全員が2つくらい下げて誰も落ちずになんの問題も起こらずに無事終了してくれればそれにこしたことはありません。 しかし、生徒各個人にとってはそうはいきません。 これから1ヶ月半が最も学力の伸びるときです。最後の実力テストの点数さえあてになりません。 弱気の虫が生徒にも保護者にもあれこれ囁きます。 「一高に行って240位よりも二高に行って30位の方がよくないか?」とか。 「ランク下げた方が指定校推薦を取りやすくないか?」とか。 しかし、そういう選び方をした場合、二高に行っても240位、指定校推薦も思うように取れないということの方が多いように思います。 私のいまの商売なら、別にどの高校でもどの大学でも関係ありませんでした。それは事後的なことでありまして。 しかし、なかには、「その高校に行ってなければ、その大学へは行けず、その大学へ行っていなければその仕事には就けず」という人も少なくありません。 多くの地方小都市の旧制中学系高校と同じように下妻一高も10年後、20年後には「昔は優秀だったらしいよ。」という高校になってしまうかもしれません。 しかし、現在、および現在までの数十年、県西地区やつくば地区の中学校、小学校で教員に石を投げれば必ず何個も下妻一高の人に当たります。 彼らの、彼女らの高校時代の成績なんて、それこそピンキリキリで、赤点累積で「お前は脳みそあんのか。あー。」なんて言われてた人たちが少なからず(現在なら問題になっているであろう類の放言が次々と飛んでいました)、学校の管理職や教育事務所の偉いさんになっています。 その一方で「国立の医学部に行けたんじゃん?」というほどに高い成績だった人が村の分校のような小学校で現場に立ち続けています。 まずは一高に潜り込む。 私の弟も高校合格はギリギリでしたが、高校→大学→会社(所得)と中学のときの最後の頑張りが現在の生活につながっています。 私は守谷に従姉妹が2人いたのですが、姉は猛烈な勉強の末に難関高校から難関大学へ行って相応の相手と結婚して、高級住宅地でupperな暮らしをしています。その子どもはお受験。 妹の方は東洋大牛久から東洋大。夫も東洋大の人で埼玉県の郡部の町役場に勤めています。従姉妹は同じ町の福祉作業所で指導員をしています。こちらの子どもは小学校まで山を越えて1時間以上かかるようなところで野育ち。 どういうかたちが幸せなのかはわかりませんが中学を出るときの選択によってあとがいろいろと変わってきます。 後悔のないように、誰かのせい、何かのせいにしないような「自分の選択」、「自分の勝負」をしてほしいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.20 01:54:40
コメント(0) | コメントを書く
[高校受験] カテゴリの最新記事
|