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カテゴリ:高校受験
入学試験は「学習指針」としての役割も持っています。
だから昨年は県教委が自分たちで採点しきれないような無理な問題を作って自爆したにもかかわらず、今年の受験生はそれに対応すべく1年間努力してきたわけです。 全問選択式の神奈川県の問題をやってみたところ形式はどうあれ「問題がきちんと作られていれば」学力は点数に正しく反映されるんだなということはわかっていました。 けれどもあなたたちが無茶を求めるものだから生徒たちは黙々とそれに合わせようとしてきたのです。コロナの影響で楽しめない日々の中にあっても。 県内、みなさん同じだと思います。 予告なき急な方針変更のあとの予告なき急な方針変更ってなんなんだ? どこまで生徒を弄べば気が済みますか? 今回の入試の出来不出来ということは生徒それぞれ異なるでしょうけれど仮に出来がよかったとしても「割り切れなさ」は全員に残ったのではないかと思います。 誤りを改めたというよりは自分たちの保身のために曲げてはいけない志を曲げてしまった。 教育者としてそのことを恥じる気持ちはないんでしょうか。矜持。 生徒に対して仁義礼智信を欠くというのは採点ミス以上に罪深いことです。 さて来年です。 今年の入試が「誤った信号」にならないように祈ります。 もちろん私は先々のことも考えて英作文も国語の記述も合同や相似の証明も社会や理科の記述もやっていきます。 それが全国の趨勢でもあります。 というか県教委は全国に先駆けたつもりだったはず。 困ったことに学校実力テストというのは「ここまで模すのか」とあきれるほど県立入試を模してきます。 結局、新3年生は「全く英作文を書くことなく」、「国語の記述をすることなく」、「漢字の書き取りをすることなく」、「数学の証明記述をすることなく」来年の県立入試に臨むことになりそうです。 こういう極端なことにならないためにも各科目少しずつでも「文章を書く」ことを残さなくてはいけなかったと思います。 もちろん学力はいくらでもマークシートで試すことはできます。 それはそうなんですけれども一昨年、昨年、今年の一連の出題の不可解さについては採点ミス問題とは別に一県民として説明を求めたい気持ちでいっぱいです。 そもそも自分たちの採点能力を測れてさえいれば避けられた問題なんですよ、これ。なにかの外部要因で起きているわけではないですからね。 もう少し第三者委員会に対しても主張すべきは主張して生徒を守ってもよかったのではないかと思います。 市販される県立入試過去問集はだいたい5年分、または6年分収録されますが、過去5年の問題を並べたときの連続性の無さはあまりに醜いものです。 土浦一高も水戸一高も都立日比谷や県立浦和、横浜翠嵐といった公立進学校と伍していきたいわけでしょう。 今年は英・国が没問になって理・社で決まってしまいそうですし。大学受験に向けて茨城県、それで大丈夫なんでしょうか。 昨年も思いましたが入試の統括ディレクターのような人はいないんでしょうか。 県教委は巨大組織ですからなかには優秀な人もいるはず。そういう人ってどこかに埋もれて燻っちゃうでしょうか。 やれやれ、何をどうしたいんだか、私にはさっぱりわりません。県民のみなさんも同様だと思うのですが、そう言ってしまうのは私の思い上がりなのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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