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カテゴリ:高校受験
ふわふわしている中3生を見ていると何十年か前の自分がフラッシュバックします。
部活が夏休みまで食い込んだこともありすっかり脱力してしまい何をするでもなく8月は終わってしまいました。 まあ周りも勉強してなさそうに見えたんですよね。 問題も格段に難しくなり夏前は320点くらいは取れていた実力テストが9月には270点くらいになってしまいました。 takedとかmakedというレベルです。 それでも休みの日は友だちと柏に遊びに行ったりしてぶらぶらしていました。 テストは隠して成績については家では喋りませんでした。 三者面談の紙は恥ずかしかったです。親も恥ずかしかったと思います。(以下のようなフォーム) 下妻一高 希望者 一覧(8名) 1. 457点 2. 451点 3. 441点 4. 435点 5. 430点 6. 421点 7. 418点 8. 278点←ここに私の名前のハンコが押してある なぜ下妻一高なのかというと祖父の兄姉の孫たち(私より5、6歳上の人たち)が下妻一高から筑波大に行っていたのでなんとなくそんな流れです。自分の意思は特にありません。女子の少なさとかは入ってから初めて知り愕然としました。 うちは分家の分家の分家の分家みたいな家なので成績が伸びてからは親父がまた妙なライバル心を出して「筑波じゃおもしろくねえ。もっと難しいところにしろ。」とか言い出したのには呆れました。 祖父は長兄絶対の時代の何番目か子どもで放っぼり出されて岩井にやってきて父も地べたを這うような暮らしだったらしく。曽祖父はほとんど働かず短歌を作ったり薬草を煎じたりして遊んでいたらしいです。 そんなわけで中3の初秋はそれまで覆い隠していたもろもろの状況がばれて父親に何十発も張り倒されてブロック塀に叩きつけられてようやく目が覚めた感じでした。 塾をいまの場所に移すちょっと前に息子のスマホを粉々に粉砕したお父さんがいてオッと思いましたが意外と効果がありました。 勉強を始めたのは10月11日です(当時の体育の日の次の日)。 「整理と研究」だったでしょうか、今でいう「新研究」みたいな本をノートにまとめて5教科1か月で終わらせました。 今でも変わりませんがだいたい25単元程度なのでちよんうど1か月あれば終わります。 学校から帰ると即で机に向かっていました。 塾で教え出してからの実感と一致するのですがまとめ本1回で380点くらいにはなります。 前にも書きましたが当時は茨城新聞の朝刊に毎日問題が載っていてそれを夜に解説してくれていたので毎日欠かさずやりました。(塾の先生ではなく水戸の方の中学校の先生が作問し解説もしてくれていました。) 過年度の問題を収録した電話帳のような冊子を自分で茨城新聞社に問い合わせて取り寄せて解いてみました。 これが実に効きました。 当時「教研テスト」と言われていた実力テストと現場の教員の方がどういう関係にあったかは全く知らないのですが同じ問題が出る出る。 そりゃ問題を知っているのだからできますよね。 合法的カンニングみたいなものです。 年明けからは実力テストも500点に接近しました。 高校に入ってまもなく行われた実力テストで2位だったのには驚きましたが、もっと驚いたのは全国的にはそれでは「ゴミ」か「塵」みたいなものだということでした。 高1のときは前年と打って変わって毎朝3時半に起きて勉強していましたが苦労だと思ったことはありませんでした。 田舎で小さな塾をやるのであればなにもあんなに勉強することもなかったとは思うのですが学習内容のおもしろさと全国順位の出るおもしろさにとりつかれてうっかり勉強してしまいました。 ほどほどにしておいたら全然別の人生だったと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.08.19 03:32:23
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