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カテゴリ:老人問題
ライカ病というのがあるそうです。何でも、カメラの数そのものが少なくて、プロをうならせるメカを持っていて、フェイスが良くて、取引性(株みたいに乱高下があるとか)があって、ドイツ産で、一貫性(ポリシー)があってと外形的に見ても、何か価値のありそうなもののようにみえるから不思議です。実際、ライカは高くて、カメラが好きと言うだけでは、とても手が出ません。写りが良くて、値段も安くて、レンズも優秀でライカには決して劣らないと思われるレンジファインダー国産カメラは、あまたあります。でも、日本人はこれらには目もくれず、ライカを漁るように買い求めるのです。
これらの違いは、いったい何なんでしょうねえ。 第一に考えられることは、日本人の外国ブランド志向です。日本も昔は手作業の商品が沢山売られてました。たとえば、万年筆にしてもエボナイトをくりぬいて丹念に精巧に制作されてましたし、時計も機械式の修理の効く物が殆どでした。しかし、その技術の総てを外国から輸入していたため、国民の観念としては、より一歩、先達の製品を尊重したのではないかと思います。 第二に、カメラの歴史性にあります。カメラが初めて生産されたのはドイツだそうです。そしてそれが軍需生産に組み込まれると、目を見張る発展を遂げるようになります。カメラはスパイ用として、戦況報告用として発達していきます。ドイツはいち早くそのような国情にあったのではないでしょうか。 第三に生産体制の一貫性とアフターケアにあります。ドイツは本当に心情として無骨な国ですね。世界(特に日本)のカメラ製造技術が飛躍的に発展して、今や電子化された製品があまた出回っている中、一眼レフが遅まきながら製造されたり、デジタルカメラがつい最近製造されたりで、でも、形は、ライカM型を基本にしているようです。そして、客のことを考えて、いつでも修理が出来る態勢にあるようです。ちなみに日本製品は10年が目処のようです。わたしの愛着を受けた製品がそのために何度かふいになりました。 第四にカメラ造りのポリシーがあります。日本は、ドイツのレンジファインダー機、ライカにその座を譲り一眼レフに技術投入を始めたことです。その頃から、日本のレンジファインダー機は衰退を始めたそうです。ドイツではメインがライカM型で一眼レフはあくまでもサブのような機がします。 写真家は、ライカレンズの優秀性を強調します。何でも、ライカレンズは色再現、グラディエーション(階調)ぼけ味(ぼけた中にもしっかりと芯があると写真家は表します)、堅調性に優れているそうです。何年型の35ミリレンズだといって映り具合を比較して、フレアーが出ても「その出方が素敵だ」なんて、まるで我が子のようにほめあげるのです。 私は、写真家ではありませんから、ぼけはぼけなりに、堅調は堅調なりに適当なところで妥協してますが、レンズに対する評価は、絵に対するものと酷似してます。私はピカソが好きではありません。色遣いも私にはきついものがあります。でも、評論家はピカソを偉大な画家としました。私の中では、ピカソは、偉大な画家でも何でもありません。普遍性でもってものの価値を計るとき、多数決原理が働きます。専門家の意見でもって、ものの価値を計るとき独断に陥る危険があります。 ライカをこれほど神格化する必要があるのでしょうか。でも、私は、ライカに関する本を沢山持ってま~~す。そして、嘆かわしくも、私も、とうとうライカを買ってしまいましたーー。 [PR]雑誌「毎日が発見ネット」を、年寄りのための百貨店七階売り場で取り扱っております。是非、お立ち寄り下さい。 [PR]秋の花売り場を、年寄りのための百貨店七階売り場で取り扱っております。是非、お立ち寄り下さい。 [PR}人気blogランキングへ参加してます。クリックをしていただければ有り難いです。 [PR]楽天市場クリスマス特集へ。お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 28, 2006 12:53:59 PM
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