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今年もやってきました。
8月9日 11時2分 今年も平和公園に巨大なテントが立ち,たくさんの人が集まって式典が行われています。 出席される方々の高齢化が目立ちます。 あのとき生まればかりの人も還暦を越えているわけですから,当たり前かもしれませんが,それだけの時間が経ったんだなぁ,と未体験者ながら実感しています。 今日は市内の公立学校では登校日になっていて,息子も今学校で平和教育を受けていることでしょう。もちろん私も小学生の頃からそうでした。毎年,被爆体験や世界にいまだ続く戦火の話をたくさん聞かされました。 正直にいうとですね,中学校ぐらいの時は「うざいなぁ」なんて考えていたときもありました。 その時の私にとっては,毎年毎年同じような内容の話を聞かされ,退屈この上ない時間でした。 「もう,終わったことだろう?」 「日本が悪かったんだろう?」 被爆体験の話を聞いて涙を流す人がいる。その涙の意味もわからない。 それでも外見だけは神妙な面持ち。 まだ,人の痛みもわからない,自分のことしか興味がない,ジコチューヤロー,そんな中学生。 で,今。 相変わらずジコチューなところは治ってないのですが(笑)。 そんな私にとっても,最近は,自分の息子,配偶者,親兄弟,そして教え子たちが戦渦に巻き込まれ,生き残ったとしても何十年も苦しみながら生き続けなければならない,そう考えると死にそうな気分になります。 そして,実際にそういう目にあっている人が山ほどいることを考えたら,さらに落ちこんでしまったりします。 かつての自分を恥じ,今の無力さを嘆く。 今年の平和宣言の中で,科学者に対する呼びかけがありました。 「また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。」 私が教職を目指すことになった動機の一つ。 科学の平和利用を教育の場を通して伝えていけないか?無力な自分が少しでもできることはこれぐらいしかなかった。 大上段に振りかぶって,「平和とは!?」なんて叫んで人を納得させられるだけの説得力は持っていませんから,たいしたことはできませんけど。 毎年,いろんな事を思い出させてくれる日です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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広島の子から、小さなころから平和教育がすごいって聞きました。
去年、娘の学校で、近所のおばあさんをお招きして戦争のお話を聞きましたが、事前の知識がないと子供たちにはちょっと難しかったですね。 そういうのに慣れていないので、感想も 「私は戦争とかに遭ったことはないんですけど…」(そりゃそうだ) から始まることが多くて…。 毎年、継続して機会があればいいのでしょうけれど。 (2006年08月09日 14時04分26秒)
こんにちは!
今日はお仕事、お休みをいただきました。 今日は長崎原爆の日ですね。やはり長崎県の学校はそういう登校日があるんですね。知らなかったです。 平和とは・・・・。 簡単なコトバだけど一番抽象的で説明の難しいコトバかもしれませんね。 戦没者の方々が築いて下さった今の平和な日本が、これからもいつまでも平和であるよう願ってやみません。 (2006年08月09日 14時09分04秒)
黒澤映画で一番すきなのは「8月の狂詩曲」です・・・。
ラストの村瀬幸子さんが傘をおちょこにして走るさまが衝撃的でした・・。 あのシーンが原爆の恐ろしさ、哀しさを語っています・・・ 戦争体験者の父は終戦記念日である自分の誕生日を他の人とは違う感情で毎年迎えています・・・。 一生懸命生きましょう・・・。 (2006年08月09日 20時12分20秒)
るー1998さん
他県の人から見ればすごいのかもしれません。 周辺に被爆者の方がふつうに住んでますから、ごく普通のこととしてとらえているのかもしれません。 原爆の遺構もあちらこちらに残ってます。 学校の行き帰りにそんなものを見ながら通学していると、こういうことを普通に考えられるようになるのかもしれません。 (2006年08月10日 11時32分04秒)
shohei0221さん
お、お休みですか。実は私も今年は、えへへ。 「平和」って蜃気楼のようです。 あそこまで行けば手にすることができそうなのに、やっとだ取りついたらまだ先だったり。 「平和」が幻で終わらないように、小さなことでもいいから、一つ一つ積み上げていかないといけないのでしょうね。 (2006年08月10日 11時38分26秒)
アッカタッカさん
お父様の誕生日はそういう日でしたか。 それは特別な感情があるでしょうね。 私の母も原爆投下の時の光と音を体験したそうです。幸い数十キロ離れたところにいたので、直接の被害はなかったようです。 さらに、義父は被爆者ですし、義母も母体の中にいるとき被爆したそうです。そうすると、カミさんも被爆二世、息子は三世、ということになるのでしょうか。 実は今、実家にいるのですが、そんな話をして夜を過ごしました。身近な人が実際にそういう体験をしたことについて、息子はどんな気持ちになったか、ちょっと興味があるところです。 (2006年08月10日 11時48分22秒)
こんにちは。
昔修学旅行(引率)で行きました。 平和祈念像のモデルは、力道山だとか聞いたような覚えがあります。 確か長崎は当初原爆投下の候補地ではなかったんですよね。確か京都からの変更だったような。 日本も唯一の被爆国という歴史があって、今の平和があります。わずか60年でもう忘れかけている人がいるようで心配です。 二度と戦争なんて起こらないことを願っています。 (2006年08月10日 20時58分33秒)
春遠からじさん
核廃絶を訴えている被爆者の方々は「私たちを最後の被爆者にしてください」とおっしゃいます。 決して恨みからではなく、自分たちの苦しみをほかの人に経験して欲しくない、それだけ苦しい思いをしているのだと思います。 犠牲になった人たちのためにも、愚行を繰り返さないようにしないといけませんね。 (2006年08月10日 22時07分44秒) |
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