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日常の小さな幸せ

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SunnyJune

SunnyJune

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Oct 14, 2005
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カテゴリ:家族
私がよく行くサイトに、ある新聞社の掲示板があります。
今日は「生まれて来る前の話」というトピを読みました。
なんか、泣けてしまった…。

そこで、今日は、私と母親のことをお話します。

あまり、楽しい話ではないので、
気が向かない人は、読まないほうが良いと思います。
特にぜんさんは、この間、城ヶ崎に連れて行ってもらったときに、お話したばかりですね。
読み飛ばしてしまってください。


私が中学一年生のとき、学校から帰宅したら、妹が泣いていました。
「お姉ちゃん、お母さんがね、出てっちゃった。」泣きながら、私に言いました。

妹は持っていた封筒を、私に渡しました。

母らしい、何の模様もない縦長の白い封筒。
その中には、離婚届と、一枚の便箋。

世の中には、いろいろな便箋があるにもかかわらず、
やはりこれも、母らしく白いシンプルな縦書きのもの。
「疲れました。子供たちをよろしく。ありがとうございました。」
といったような簡単な文章が書いてありました。


その後、家裁で協議離婚。
母は、いなくなる時に、家の権利書と保険証を持っていってしまったのです。

私の父と母が結婚する前に、母は近所のお琴の先生の養女になりました。
お琴の先生は、土地や家を相続させる人がいないので、国に持っていかれるくらいなら、と私の母を養女にしたのです。
そして、東北から集団就職で出てきた三男坊の父を、婿養子に置いたのでした。

だから、住んでいた所の土地は全て母名義。
家だけは、立て替えた事もあって、半分父名義。
だから、もう、その家には住む事はできません。
母が家出した直後から、知らない男性が、家の周りを計測に来たりしてました。


離婚後も母親は、うちから持っていった保険証でサラ金からお金を借りようとしたり(サラ金から融資をする前の確認電話で判明。)、
わけのわからない個人情報が記載されたビラ(その中には父親の名前や職場情報も)をどこかのビルの屋上からばら撒いたりと、
非常に困った事を続けてくれた人でした。

母親がいなくなってから、私と妹は、交互に父親のところと、母方の祖母のところを半年毎くらいに、行ったりきたりしてました。
私が祖母と住んでいる時は、妹が父と暮らし、
妹が祖母と住んでいる時は、私が父と暮らしました。

どちらかの家に2人が偏ってしまうと、祖母と父の関係が崩れてしまいそうだったから。

祖母は自分の娘が出て行ったのは、私の父に甲斐性が無かったからだと、全て私の父のせいにしてました。

確かに、当時はバブルで、周りは羽振りを利かせている人たちがいる中、
私の父は地方公務員で、全然パッとしてない。
見た目も、良くない。年は母親の10歳上で、お見合い結婚。
こつこつがんばる、地味な父親。

派手な生活ではなくても、
母親さえ、考え方を変えれば、十分に幸せな生活だったはずなのに。

父親の事を悪く言う、祖母が、大嫌いでした。
自分の娘がかわいそう、と言ってのける祖母は、なんて頭が悪いのだろう、と思ってました。
今となってみると、全てを私の父親のせいにして、精神状態を保っていたのでしょうね。



私が高校1年生の時です。
もうクリスマスも終わって、年越し間近な頃、静岡の伊東警察署から電話がありました。

「遺体が見つかりました。
恐らく、あなたのお母さんだと思います。
確認に明日、来てください。」

と、私が直接、警察の方に言われました。

父親と、祖母と、私と妹の4人で伊東の警察署へ行きました。

警察の人の説明は:
釣りをしていた人の目撃状況では、
城ヶ崎の崖の上で女性が灯油をかけてから火をつけ、そのまま海に落ちていった。
一緒に飛び込んだ人がいると、証言はあるが、そちらの遺体は見つからず。

自殺ということになった。
遺書もないし、本当に自殺かどうかは、私にはわかりません。
わかる必要も、ない。

遺体は、少し、焼けてはいたものの、
はっきりと、私の母親だとわかりました。

蒸発してから、一度も姿を見ることが無かった。
写真を見ることもめったに無かったのに。
警察署の遺体は、すぐに母親だとわかってしまいました。


母親が蒸発する前の事が、あまりうまく思い出せないのです。
優しい母親だった気もするし、
恐い母親だった気もする。
多分、両方。
でも、どっちの母親の事も思い出せない。

母親がいなくなった直後は、
捨てられたというショックと怒りと寂しさと、
もうこの家に住む事ができないという、現実的な問題で、
母親の事は、考えないようにしていたら、
いつの間にか、母親の事を思い出せなくなってしまったらしいです。

同時に、人を信用できなくなってしまいました。
母親でさえ、12年間育てた実の子供を捨てられるのだから、と。

だからといって、心を閉ざしていたわけではないのですよ。
普通に人と接する事もできるし、どちらかといえば、話し好きで、ニコニコして、人当たりが良い方だと思われるほうだと、自分では思います。
少なくても、そう思われるように、努力はしています。


私が言う、「信用しない」という事は、具体的に言うと、
「裏切られても、怒らなくなる」
「元から、人に期待をしない」

どんな事があっても、「所詮は人間、仕方がないこと」、で終わらせてしまう。
人間関係に、深い付き合いを、求めないようにしてしまう。
ある意味、いつも幸せな気持ちでいられるかもしれません。

私の妹も、ちょっと人間不信気味。
彼女の場合は、「所詮、母親にすら、捨てられる位の人間なんだから、私は。」
と、自分のことを、自分の中で卑下してしまうそうです。
彼女の方が、私よりも傷ついていたのかもしれませんね。

同じ状況を生きてきたにも関わらず、
妹は自分の中に、
私は人間全般の心の中に、
母親のとった行動の答えを、見出そうとしているらしいです。


私の付き合っていた人に、フィアンセがいる事が判った時も、
「仕方がない、所詮、彼も人間だから。彼が私とデートしていたのは、きっと心に魔が差したんだろう。」
で、自分自身に決着をつけてしまう。

今、私の夫が浮気をして、出て行ってしまうようなことがあっても、
「仕方がない。所詮、夫も人間だから。」で、終わらせてしまえると思う。

その反面、自分が母親のような事をしてしまうのではないかと、時々不安になったりもする。
自分自身も、信用しきれない。
「私は絶対、母親のようにはならない。」と思いながらも。

娘を見ていると、理由もなく、泣けてくる時があるのは、その信用できない自分が、自分でかわいそうになってくるからなのかも。

悲劇のヒロインみたく?嫌だなぁ。
私には、にあわないぞ。


さて、今まで、城ヶ崎には近寄れなかったんです。
いつかは、行ってみようと思いながらも、もう少し待ってからと自分に言い続けてはいたのです。

先月、そんな事とは知らなかったぜんさんが、偶然連れて行ってくれた所が城ヶ崎。
思った以上に、高い崖に、びっくりしました。
こんなところから、うちの母親は飛び降りたのかぁ、と。

ぜんさん、連れて行ってくれて、どうもありがとう。
いつか行こう、と思いながら、結局16年、行かなかった。
もし、こんな機会が無かったら、結局、一生行かなかったかもしれない。


今日の日記は、ちょっと重かったですね。
最後まで読んでくれた人、どうもありがとうございました。
恐らく、私みたいな経験をされた方というのは、私が思っている以上にたくさんいると思います。
私も同じだよー、という方がいたら、教えてくださいね。

あー、なんか、すっきりした。
今日も、がんばろう!





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Last updated  Oct 14, 2005 11:56:19 AM
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