やっぱり幸せだった日々 ずっと忘れません
タラがいなくなってからずっと中止していたのですが、今週はにゃっつとお散歩を再開しました。もう今住んでいる住宅街を散歩できなくなるからです。去年の8月、ひぐらしが大声で鳴いている夕暮れ時から始めて、この日記を始めた頃は、でんでんとにゃっつの写真を撮ってから出かけるのが日課でした。でんでんがいなくなった時は1週間お休みしたけど、今度は3週間も家にこもっていました。にゃっつは大好きな散歩に行けないせいか、以前は日暮れとともに寝ついていたのに、なかなか寝ないようになってしまいました。散歩を再開すると、今日も7時には寝てしまいました。やっぱりお散歩に行きたかったんですね。季節はすっかり進んでいて、あんなに見事だった桜は跡形もなく、街全体が山全体が新緑の緑に、変わっていました。先週末は、欅の大木(でんでんとタラがその下に眠っている)にも、やっと少し新緑が見られました。他の木々よりも時期が随分遅いんですね。今週の引越しの頃は、新緑が一番美しい頃でしょう。タラやでんでんのために家が欲しかったけど、本人達は、ちゃんと朝から晩まで陽だまりでお昼ねできる家だったので、借家でもなんの不足も感じていなかったでしょう。猫は贅沢はいいません。でんでんには、庭や裏山で自然を感じてもらえたし、お日様の大好きなタラは、冬の陽が一番短い時期でも、最後まで夕日に当たっていられた家でした。そして病気のでんでんを抱え込んで、にゃっつが生まれて、家にこもっていたら不安で一杯だったでしょうけど、ご近所の方々の暖かい声をもらえるので、毎日にゃっつと散歩していたんです。この少子化時代に、家の前は夕方になると子供で溢れていました。幼稚園の子も小学生のお兄ちゃんたちと遊んでいました。歩けるようになればもう少しで、にゃっつも一緒に遊べるのにねって、みんなが残念だと言ってくれました。これからもきっとこの街に来るし、成長していくにゃっつを見てもらいに来るでしょう。この家に越してきて、約1年半の間、本当に色々あって、こんなに自分の人生がひっくり返ってしまうなんて、考えてみたこともありませんでした。だからといって、不幸だと思ったことはなく、反対にいつも幸せだなって感じることの方が、何倍も多かったのです。一番綺麗な春を2回も過ごし、大好きな冬の晴天の日々も2回過ごせました。なによりこんなに自然を感じて、毎日がゆったりと暮らせる生活。私の人生の中には今までなかった日々でした。ここはにゃっつの生まれた土地、9ヶ月間、育った家でした。でんでんもタラもいて、にゃっつもいて、みんなで楽しく陽だまりでお昼ねをしたことを、ずっと忘れません。今日はでんでんの四十九日でした。死んでから次に生まれ変わるまでの49日間は、終わったことになるそうです。生まれ変わっても、また私の元へ来て欲しいと思っています。2月26日の写真です。夕日が眩しくてにゃっつは変な顔ですが、タラはかっこよく写っています。 ↓ 明後日は引越しなので、日記の更新は2週間ぐらい休むつもりです。引越し後に、ネットに接続できる時期も未定なので、しばらくご無沙汰するかもしれません。戻ってきたらまた宜しくお願いします。