余多歩き

鹿島昇 偽史の系譜

語り手の事情 鹿島昇

http://www3.alpha-net.ne.jp/users/tkyjnken/esedouwa.htm


エセ同和関係の方々というのは 北朝鮮系の方々も多いという話ですが
金正日の息子が 密入国して 日本でその筋の方々といっぱいあったという噺が メデイアをにぎわしたことがありますが エセ同和の方々に多少その筋の方々がいれば 当然 北朝鮮系のかたも多いだろうなという気もします。もっとも 総連系と民団系でも 同じウリナラでございます。が

さてまえから この手の本は機会があれば 好奇心で読んでみたいなとおもっていたものですが、ネットで見る限りでは 菊地山哉や 三角寛の本のパクリのようです。著作権はどうなっているのでしょうか?

彼のサンカ研究には、写真に出てくる方々は、エキストラだとか、学位論文は金使ったとか、シノガラとは フリーメイソンのパクリじゃないかとか、いろんな風説があるお方ですが。赤穂にいたときに サンカ筋と繋ぎがあったとか、そもそも大分の出からしてとか、明治~大正にかけては 流民が反体制であり、それらのスパイをやっていたのが 彼らしいとか だから妙に協力者がいたのが表にでていないなど いろいろあるのですが、娘の博子さんは、このへんは とぼけた表現をされています。サンカ文字と てきやの符丁の関係とか、

三角寛の復刊が最近までできなかったのは 遺族の寛子さんの反対等があったようですが寛子さんの旦那さんが 映画館の再建のために よからぬ筋と結びついたせいか逮捕された経緯も、このような事情からなんとなく 裏が見えてくるような気がします。

昔も今も 興業は その筋の方々とのお付き合いがあったわけで
三角寛も 寛子さんの評伝を読む限りでは 作家というより 山師という印象を受けるかたです。映画館と劇場を建てるさいには いろいろな筋とのお付き合いが当然 あったとみるべきです。

ところで
>鹿島氏は弁護士でもあり、論理と論証を尊ぶ職業柄、

ボンスケ。
「部落地名総観の主犯格」「最悪の弁護士」と部落解放同盟から
名指しされ、横浜弁護士会から追放されたバ鹿島が「論理と論証を尊ぶ」だと?

とは2ちゃんねるからの収録ですが、もちろん 鹿島信者から これは妄言だというコメントがついておりますが、出版社をつくる場合には、金も必要ですが、当然 儲けないといけない そうしますと ある意味 エセ同和というか はっきり言えば金をせびるための小道具にもったいをつける噺が欲しい。新国民社がなぜ つくられたのか いくつかの理由がありますが、ふたむかし前の総会屋出版と似たロジックが使われている印象がありますね。

鹿島先生も背中に紋々しょっていて その筋との付き合いがたくさんあったかたのようですが。

http://www.infact-j.com/kashima/ryakureki.htm


こちらが 鹿島昇センセイの経歴なんですが、最近でていた この人の評伝を立ち読みしながら考えたことがありまして、すこし整理してみました。

この方の評伝の中にさらっとでてくるのが、かの八切止夫に あなたのネタ本は?と聞かれたというシーンがありますが、鹿島センセイは特にないといわれたようですが、評伝を見た限りでは 

かの八切止夫

木村鷹太郎
小田実センセイ推挙の黒いアテナも、どうも今のところは
この人の本を読んでいるような気がしますが 

さらに
柳田國男
肖像画を見る限りでは、江戸時代の茶人のようなかつこうをしていますし、民俗学というと おとなしそうな学問のように 一般的には見えてしまいますが。桃太郎という誕生の本では、昔話の講釈のつもりなんですが、どう考えても 応神天皇はいなかったということになっているようにしか聞こえません。当時としては どうだったんだろうと思います。

http://www.tabiken.com/history/doc/C/C172C200.HTM

また毛坊主考では 本願寺教団(当時の大谷家は皇室と親戚でした)で 親鸞の血脈の相対化(浄土真宗はいかにして誕生したかについて)で 当時としても かなり危ない論文のはずです。

他にも 政治的にかなり 危ない立場にあったので、性の問題を取り上げないでいただけでなく、後半はかなり無難な研究に取り組んだのでしょう。
そのために、民俗学自体が 矮小化された学問になってしまったようですが、60年~70年安保のころから 柳田さんのみなおしが始まり(ただ 冷静に見られる時代になった)、歴史学と民俗学の融合が試みられている時代になってきているわけです。

田村栄太郎
アウトローや交通史の研究で名高い 在野の歴史家です。その方面での研究は評価が高いですが。物議をかもした忠臣蔵は就職運動だった説、日蓮の調伏はパフォーマンスだったという説。また秀吉、勝海舟の論考の評価も待たれるところ。八切止夫も、ネタ本に使い、今もネタ本に使用している人も、影ながら多いです。

菊地山哉
菊地山哉
日本の特殊部落等の著作のある在野の研究家、怪しく評価されがちなのが残念です。

菊地山哉Re[2]:ただ 事実と違うのは どうか? eba3515さん
くれどさん
>もともとは 土木関係のお役人で 郷土史家ですが、土木関係なので、考古学的な立場から あの当時 学問として 固まりつつあった 被差別関係を やり では部落民とは 誰か というなかで アイヌについても調べたのではないかと見ています。
>八切本人は 否定していますが、菊池先生の本、日本の特殊部落を かなりネタ本にしています。
なるほど、そういう流れですか。役人から研究者に成ったという例ということでは柳田と一緒ですか。
菊池山哉のアイヌ関係本については読まなくてはいけないのですが、いまだ買ってもいません。高いというのが最大の原因ですが。
この当時は日本の先住民は何かというのが流行って、しばしば古代の蝦夷アイヌ関係の本が出ていましたね。 (2005/02/12 04:18 PM)
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Re[1]:ただ 事実と違うのは どうか? くれどさん
eba3515さん
>くれどさん

>菊池山哉、知っています。彼は『蝦夷とアイヌ』とか『蝦夷と天ノ朝の研究』とか書いていますので古代蝦夷関係の人かと認識していました。本業は被差別部落の方でしたか。彼の評価は最近急激に高まっています。

>>この弟子筋の方にとっては どうも 一部の筋から 胡散臭く評価されているのが、残念のようで、西垣内さん(大田竜の友人)が 彼のことがよくわからないとか 子孫もいないとか 事実無根のことを書かれたから きちんと評伝をかかないといけないなとも書かれています。

>こういう評価もあるとは知りませんでした。
>評伝といえば、2004年8月に前田速夫『余多歩き―菊池山哉の人と学問』(晶伝社)が出ているようです。
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もともとは 土木関係のお役人で 郷土史家ですが、土木関係なので、考古学的な立場から あの当時 学問として 固まりつつあった 被差別関係を やり では部落民とは 誰か というなかで アイヌについても調べたのではないかと見ています。
八切本人は 否定していますが、菊池先生の本、日本の特殊部落を かなりネタ本にしています。 (2005/02/12 08:52 AM)

この本の中で 著者の田中紀子氏が 菊地先生のことをきちんと書いておかないといけないなと感じたのは、 1980年の 歴史と現代という雑誌(たぶん かの新国民社版)の中で、西垣内堅祐という弁護士のセンセイが 菊地先生の息子が 当時 まだ現在なのにも関わらず、故菊地山哉のことが まったくわからないという でたらめも甚だしい文章が書かれていたことによるものからだそうです。(陰謀論に入り込みやすい人が 本当はうそつきといういい見本です)

前田速夫『余多歩き―菊池山哉の人と学問のほうは 立ち読みした程度ですが、やはり弟子筋にとっては 三角寛や 八切止夫と同じ扱いをされているのが 相当 心外のようなことがかかれていました。

新左翼系の連中に持ち上げられそうな印象を 持ちますが、彼の部落論を読むと いい意味でのアマチュア的というか 変なイデオロギーに染まっていない方だなという印象を持ちます。柳田國男の場合には 悪い意味での官僚的な部分や 変なイデオロギーに利用されやすい部分は確かにありますが。

彼のアイヌ研究についても、この本の中で多少 ふれられています。結論としては 蝦夷とアイヌは まったくの別物というのが 彼の結論のようです。復刊されたものは 蝦夷とアイヌというタイトルですが、元本は 蝦夷と天の朝の研究という本です。こちらで 私は読みました、ある程度 大きな大学の図書館なら あるのではないかと思いますが さて

さて 話は変りますが、先日 三船サン演じるところのヤマトタケルの映画を見ました(三船さんが、女装して 熊襲の族長を襲う直前に、族長が 三船さんをみて 綺麗だ というのは かなり 無理がありますが)

この中で 明らかに熊襲、それから 東国の蝦夷たちは アイヌ風の服でしたが

よく 東国の地名は アイヌ語を語源だ、いや朝鮮語の語源だ、という論が出てくる場合があります、私は単なるゴロあわせではないかとおもうのですが、このあたりは 現在 どう定説でとらえられているのでしょうか?

また 蝦夷の捕虜が 日本全国に 動かされた記録がありますが、蝦夷を アイヌと解釈されるかたは あれを どうかんがえておられるのでしょうか?



2005年02月13日 
Re:蝦夷と古代王朝の研究 再読(02/13) eba3515さん
>よく 東国の地名は アイヌ語を語源だ、いや朝鮮語の語源だ、という論が出てくる場合があります、私は単なるゴロあわせではないかとおもうのですが、このあたりは 現在 どう定説でとらえられているのでしょうか?

エミシとアイヌがどのような繋がりがあるのかについては、未だ論争の最中で決着は付いていないようです。有力なのは、7世紀以降の文献に表れているエミシは、日本民族に紛れ込んだのと、プロト・アイヌと呼ばれる人達に二つに分裂したということでしょうか。
そのプロト・アイヌが現在のアイヌの先祖と云われています。

東北地方の先住民は、古代にはエミシ、中世にはエゾ、近世にはエゾと呼ばれていて、近世のエゾはアイヌであることは確実で、中世のエゾも断片的に残されている文献史料から、毒矢を使うこと、戦い方などから、これもアイヌであると考えられています。
古代のエミシと中世のエゾとの関係がはっきりしていようです。

エミシと言っても、文化的に三分割出来ます。宮城や山形、新潟地方では東国と同質の文化、北海道道南地方は、北方系の民族の文化、青森・秋田などは
両系統を持っていて、稲作や土器は南方系統、言語や葬送、宗教等は北方系統が強いと云われています。一口にエミシと言っても、様々な文化があったのですが、大和朝廷がそれらの相違がわからなかったのか、ひとくくりに史料に「蝦夷」と書いてあるので考古学の成果がなければ区別して捉えることが出来なかったようです。一般的に、大和朝廷は自分たちは「華」であることを強調するためにエミシを殊更「夷」として蛮族視して史料に書き残したと説明されていますが……、こんな昔に中国の華夷秩序の日本版をはたして大和朝廷が考えていたのか疑問に思っています。

(2005年02月13日 19時44分)
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Re[1]:蝦夷と古代王朝の研究 再読(02/13) eba3515さん
続きです。
東国に近い文化を持っていたエミシは日本民族に同化され、北方系統に近い文化を持っているエミシは、現在のアイヌ民族へと繋がっていったのではという仮説が今のところ有力です。その根拠は、詳しくは知りませんが、現在のアイヌ文化と古代エミシの文化が似ている箇所が有ったためたでしょう。言語的、宗教的に。
また、このほかにも、日本民族が東北に移住した人びとも「蝦夷」と中央からは呼ばれていました。
金田一の東北アイヌ語地名研究、そしてそれを拡大発展させた山田秀三の研究が言語学的には優れている-つまり語呂合わせではない-という評価みたいですけど、僕は言語学の研究手法についてよく知らないので、どこまでが語呂合わせのレベルで、どこからが学問的な手法なのか見分けが付かないです。それなので、言語学の人が評価している論文を信用するしかないです。
>また 蝦夷の捕虜が 日本全国に 動かされた記録がありますが、蝦夷を アイヌと解釈されるかたは あれを どうかんがえておられるのでしょうか?
これも上記の理由で説明出来ると思います。古代エミシはアイヌのみの先祖ではなく、日本民族にも混入されたと考えられると思います。(2005年02月13日 19時48分)





そして これになります。


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=ffckdcbfma4oi4baqa4aba4imha4bfa4na4aba1a9&sid=1835396&mid=12115

このほかにも 契丹古伝を初めとして 当時の満州から朝鮮半島にかけての 意味不明の古伝(翻訳したとありますが、意味不明の漢文なら たんにあん当てはめというところでしょうか)が 戦前は 日本が朝鮮半島を領土にしていいという根拠にされましたが 今は逆に韓国では解釈されているようです。そんなところが鹿島先生の発想のベースになっています。

元ネタの一つでもある 3万円もする本も 由緒は こんなもんでして
関連する 大韓民国在郷軍人会日本支部(もしくは統一教会)のひもつきが見え隠れします。
新国民社に、この支部のカンバンがでているというのは、八切止夫流
の皮肉でしたが

また いわゆる大室天皇については
こんな背景があるようです。

もともと電波な人だったんですが、山口県熊毛町田布施町在住の
大室近祐(平成8年没)という人の裁判で弁護人に選任された事で
大室氏と知り合い、大室氏から大室寅之祐(大室氏の大叔父)が
睦仁親王(孝明天皇の皇子)を殺害して明治天皇になった、という話を聞かされ、
大室寅之祐=明治天皇説を自費出版したのが始まりです。
もともと大室近祐氏は、地元でも有名な詐話氏でして、
「田布施の和田喜八郎(東日流外三郡誌の作者)」と呼ばれていました(藁)
大室氏は一時あの古田武彦氏にも接近しましたが、古田氏は「私の専門外」と相手にされませんでした。しかし鹿島氏らとは意気投合し、大室氏曰く、
「ワシの顧問弁護士」と大変気に入られていたようです。しかし大室氏にとって、鹿島氏は唯一の自己代弁者であり、鹿島氏にとっては、ネタの提供だけでなく、金銭面での最大のスポンサーであり、鹿島氏、大室氏の利害の一致という点で結びついていたのが真相です。もっとも鹿島氏は平成8年に大室近祐氏の死後の相続問題が泥沼化し、長男の大室照元氏、次男の大室弘樹氏双方が告訴する事態になりました。鹿島氏は大室弘樹氏の弁護人に選任されましたが、鹿島氏が作成した大室近祐氏の遺言状について、
「遺言書は無効」とする判決が平成12年11月に山口地裁から下され、
そのショックが大きかったのか、平成12年の12月15日に
心不全でお亡くなりになりました。合唱。
60 :原田 実 :03/06/23 23:18
>>349 >>351 >>353 >>359
364 :全土日 ◆qR2CHzz.Xo :03/06/26 19:55
原田実先生、はじめまして。
2chネットウォッチ板在住の「全土日」と申します。
上記349-351の「鹿島狂信者」氏ですが、この人物(以降はG氏と呼びます)は、「大室寅之祐=明治天皇」を言い出した大室近祐氏の親族であり、
自分は天皇家に連なる人間だと発言して失笑を買っております。
(竹下義朗「帝国電網省掲示板」参照)しかし上記掲示板にて、G氏はたびたび罵倒発言や掲示板荒らし行為を繰り返したため上記掲示板への書きこみを禁止され、さらに2ちゃんねらーの巧妙な誘導に引っかかり、
住所、氏名、家族構成、学歴(早稲田大学中退)などを自ら暴露しております(笑)ちなみにG氏は日本史掲示板にて「大室寅之祐が明治天皇になったと言える」という。スレッドを八回以上立てていますが、最近はすっかり飽きたのか、「邪馬台国はどこですか」スレッドにて、
邪馬台国は西都原にあった、畿内論者はバカ、などと
何度も何度も投稿(実際はコピペ荒らしですが)するので、
「西都くん」「西都厨」「西都バカ」などと呼ばれております。

気が向いたら、HNを「日本@名無史さん」にして、G氏をからかってやって下さい(笑)
365 :日本@名無史さん :03/06/26 22:35
原田さん。ヤフー板にも参戦してください。
http://search.mb.yahoo.co.jp/search?p=%C5%EC%C6%FC%CE%AE&M=&sid=


366 :原田 実 :03/06/28 14:56
>>362
明らかな偽書をもてはやす人が記紀の史料批判云々といっても
説得力ないと思うのですが。特に鹿島さんの場合、その立論に三郡誌を根拠とすることが多かったのですから、何をかいわんや、というところです。
そもそも素性がある程度判明している史料よりも現代人の偽書の方と親和性が高い古代史像など、現代人の妄想の産物としか言いようがないでしょう。>>364
おかげさまで事情がわかりました。20年近く前の話ですが、冨士文献研究家の加茂喜三氏に同行して、
生前の「大室天皇」のお宅をうかがったことがあります。
「大室天皇」の家(御所というべきか?‘^^)は大きな紙に殴り書きされたメモやイラストが屋内いっぱいに山積みで、
「大室天皇」自らそれを広げて、その家の場所が世界文明発祥の地で、宇宙の中心であることを力説しておられました。
当時の「大室天皇」からすると明治天皇の出自などはもはや小さなこと、という口ぶりでした。
367 :原田 実 :03/06/28 15:06
「大室天皇」の書き物のあの膨大な紙の山を思えば、和田氏が一人でダンボール20箱分の書き物をしたというのも、
不可能ではなかったことがあらためて実感されます(和田家文書も大部分は清書なしで書き飛ばしたものです)。
349-351の方が「大室天皇」のご親族なら、あの膨大な書き物をきちんと保管しておられるのでしょうか。
鹿島さんの受け売りよりも、「大室天皇」ご宸筆の歴史論・宇宙論の方がはるかに面白いような気もします
(もっとも常人?


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