余多歩き

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2010年10月21日
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外部との交渉は 社交的な児玉誉士夫 機関の運営は剛胆な吉田彦太郎 計画立案は知恵者の高源重吉という三人の集団指導体制だった 終戦の日の八月十五日 児玉 高源はすでに帰国しており 海軍上海派遣軍参謀部は 吉田に物資の処理を委託した

吉田によると 上海を中心とした華中や華南には 当時の金で 数千億分に相当する海軍の物資が散財していた 吉田は手のつけようがないので そのまま 現地の中国人にまかせて一旦 帰国した

八月二十日 上海に飛ぶ新聞社機の便があったので 高源がこれに便乗して上海に向かった 同二十五日 金やダイヤモンドなど 貴重物資三十二億円分を海軍機に満載して上海飛行場を飛び立とうとしたが 機は重さのため浮揚することができず 滑走路の端までいってトンボ返りを打ち破損してしまった

高源は積み荷を別の爆撃機に積み替えて上海を発つが 大阪の飛行場に着陸の際 またもひっくり返って機体は使用不能になった さらに別の軍用機に積み替えて東京まで 運んできたという 当時 軍用機は飛行場に幾台も遊んでおり 使い放題であった

児玉誉士夫がA級戦犯容疑で巣鴨拘置所に拘留された後 児玉機関の留守を預かったのが 吉田である 吉田は 元児玉機関員や元海軍の軍人約百人を集めて 緑産業という会社を設立した
自動車工業や 証券会社 サルベージ 炭鉱など 戦後の産業復興を目指した会社である 上海から運んだ資産を その原資にした
本社は 銀座の緑ビルに置いた

ある日 緑ビル三階の社長室に 鳩山一郎が訪ねてきた 許斐氏利と 一緒に明治大学や 大化会の右翼運動で暴れ回ったころの文部大臣が鳩山で その頃から 面識があった 鳩山の目的は 自由党創設のための資金の相談だった 昭和龍虎伝より その件を引用する

吉田は即座にいくらでも出しますよと気軽く返事した
鳩山は笑いながら
吉田君 これだけだよ いいかね
と人差し指を一本出して見せた
ほう それでいいですか
吉田は一本を一億円とみた 当時の彼にとっては それは決してむずかしい金額ではなかったからだ ところが鳩山は いや 君 百万円じゃないんだよ と手を振った
一億円でしょう
きみ そんなに要るもんか おどかすんじゃないよ

鳩山は一千万円を要求したのである 当時の一千万円は 今の五億円近くに相当するだろう 鳩山自由党はこの資金をもとに発足する 昭和二十四年秋 児玉誉士夫が 出獄してくると 吉田は児玉に相談して 緑産業を解散する 上海から持ち帰った三十二億円の大半は使い切っていたという

特務機関長 許斐氏利 著 牧久 より









最終更新日  2010年10月21日 23時27分45秒
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