|
カテゴリ:カテゴリ未分類
本日、小学生の娘が卒業式を迎えました。
とても素敵な卒業式でした。 2年前の娘は、何をするにも私の2~3歩後ろに 隠れるようにたたずんでいるばかりでした。 誰かから声をかけられても、決して声を発しようとはしませんでした。 その頑固なまでの意志の強さが、今少しずつ 違う方向で、発揮されつつあります。 以前の私なら、娘が一人で行動できるか・・・ 一人で人前で話せるか・・・といつも心配していました。 でも、今日の卒業式では、何の心配も無く 娘を信じて見守ることが出来ました。 私自身にも、子どものすべてを受け入れられる気持ちが 備わったように思います。 PTA代表としての祝辞も、何とか無事に述べられました。 途中で涙が溢れそうになり、声が詰まりましたが・・・ その時中学生の卒業生がにっこり微笑んでくれました。 子どものそんな優しさに助けられていること、 私はこの学校に来て随分感じてきました。 ただ・・・ひとつだけ残念に感じたことがありました。 式の始まる前、私は来賓控え室にいました。 その時、来賓の言葉を述べる病院の先生と 養護学校の校長との会話が耳に入りました。 来賓の先生は、卒業生ひとりひとりについて、 簡単な質問をしていました。 そして、「前校では不登校だった」という説明を聴いた先生は 「それは家庭的に何か問題があったのですか?」と質問されたのです。 それは、たぶん素朴な疑問であっただけのことかも知れませんが、 私には、とても耳に残る言葉でありました。 不登校児=家庭に問題あり という世間の冷たい風当たりは、 それを経験した者でなければ感じ得ることは出来ません。 そのために多くの親たちが自分自身を責め、苦しんで孤立していることも 確かです。 世の中に、全く問題のない家庭なんて無いのだと思います。 それはまた、一人ひとりの人間が完全なものではないのと同じです。 不登校児もその親も、なにか特別な存在のように思われがちですが、 私たちも、一人の人間として、この地球上で暮らしている・・・ そのことになんの変わりもありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年03月18日 16時34分21秒
コメント(0) | コメントを書く |