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カテゴリ:老い
午前の散歩は久しぶりに朝比奈切り通しに出かけた。 鎌倉方面と熊野神社への分かれ道をいつも通り神社に向かう。 本殿のある急な階段から年配者が降りてきたと思ったら、また登っていく。 無言でジュンとついて上がっていったら、往復回数を決めているらしく 狛犬のところに玉石が20個くらい置いてあり、これをひとつ取り本殿下に 投げていた。 今日は午後からSさん宅に出かけ、PCのチェックとプロバイダ&回線の 変更、無線LANについて話をする約束をしている。 早々に帰りたいので素直に戻る。 分岐点で一服。 鎌倉方面から地図を見ながら登って来た人がいるので声をかける。 大仏で有名な長谷から自転車で登り口まで来たそうである。 長谷から登り口までの車道も相当な坂道である。 しばし話をしたら、彼の住む地区の【老人会】はどんどん解散になり いまではひとつのみになってしまったとグチのようなことを聞かされた。 高齢化社会になっているのに何故? 取りまとめ役を引き受ける人物がいないのだそうである。 たまに出てきても、メンバーが極めて消極的ですぐにやる気を 失くすとのこと。 私の父も老人会からの勧誘を受けたときバカにして、「余計に老けるから」と 拒否していたが、母を亡くしてからは入会して旅行やら様々なイベントに 参加していたようである。 都会の老人は現役の頃からコミュニティーに縁が薄く、リタイヤ後は何をして 過ごしているのか?個人主義が過ぎて得て勝手・我がままになるようである。 それゆえ地域連携を試みようとする方が現れても、まとめきれず諦めてしまう。 独りになったその先は「孤独死」である。今ではニュースにもならない。 自治体も頭の痛い問題であろうが、【老人会】に予算をつければ 解決するようなことでは全くない。 なにせ高齢者の方が平均的に金は持っている。 爺・婆のコミュニティーは後に続く世代へ年とともに変わる生活観・知恵を伝える。 爺・婆の個人的な知恵は伝わりにくい。 「個」の爺・婆の話は一方的でコミュニケーションが成立しにくいからである。 個人的な話ばかりで社会性を持った内容に欠けるのかもしれない。 耳が遠くなるせいもあるかもしれない。 ひょっとしたら「耳が遠くなる」という現象は、他人の話を聞こうという努力を しなくなることから始まるのかもしれない。 コミュニケーション能力が衰退すると、ボケ現象が起きるのではないかいな? 日本は世界一の長寿社会だそうだが、これはそんなに自慢できることでは ないように思えてならない。爺・婆がバラバラにただ生きているだけ!? リタイヤするとほっとして開放的になるものだが、年金をもらうのは当然!と 権利をむさぼるのではなく、リタイヤ後の新しい社会参画を意識しないと 若年者を巻き込んで社会全体が崩壊するように思えてならない。 単なる長寿は美徳でも誇れることでもなく、社会の重荷である。 長谷からの御仁と別れて帰宅しようと思ったら、ジュンは勝手に 鎌倉側へ歩を進める。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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