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カテゴリ:言葉
「外交と安全保障をクロフネが考えてみた。」の10/28に【独立の気力なきものは去れ】と題して、鳩山首相の所信表明演説のある部分を痛烈に批判しているブログを、読ませていただいた。 (鳩山演説の一部 →「世界中の人々が、特にアジア近隣諸国の人々が、日本をなんとか救おう、日本に暮らす人々を助けよう、日本の文化を守ろうと、友愛の精神を持って日本に駆けつけてくれるような、そんな魅力にあふれる、諸国民から愛され、信頼される日本をつくりたい。これは私の偽らざる思いであります」) ブログ記事では福沢諭吉の「学問のすすめ」を引用し、「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛う(へつらう)ものなり。常に人を恐れ人に諛う者は次第にこれに慣れ、その面の皮鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ」、と「第一条 独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず。」の一部を掲載していた。 「学問のすすめ」は有名だが、恥ずかしながら一度も読んでいないことに気がついた。 視力が落ち長時間の読書は眼がぼやけてくる。 メガネは4年くらい買い替えてなく、細かな傷が目立ってきたので、昨日買い換えた。 「学問のすすめ」は【青空文庫】で読むことができる。 精読の価値はありそうである。 さて、この引用文を読んでいて「他力本願」という言葉が頭に浮かび、口先ばかりで自らは何もしない知己たちの顔も浮かんだ。あるいは二言めには「政府・役所が支援すべきだ」という方々。 あまりに頼りすぎていては、税収が追いつかない、上がるばかりである。 現役世代は別として、リタイヤした方々は日々時間をどのように過ごしているのだろうか? 私、ボランティアを掛け持ちしているが、それでも時間は有り余る。 現役の頃と違い、「いついつまでに」という強迫観念に駆られることもない。 ゆとりがあれば、**展などに出かけるのだろうが、充足感が得られるとは思えない。 テーマ・目標を絞れば深く勉強を始めるのだろうが、このブログのようにバラバラ状態。 過去の不勉強や言葉の誤解・誤用に身を正す日々。 うっかり【誤用】するところだった「他力本願」。 1 《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。 2 《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。 WIKIではもっと詳細に解説されていたが、難しい。 「他力本願」を誤用した大臣や企業が浄土真宗各派から抗議を受けたことも記されている。 くわばら、くわばら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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