大東亜戦争の背景を知るための読書
訪問してくださる方へ。今日は長いです。いままで書こうと思っていたネタをほとんどすべて連ねています。 パスしてください。高校生の頃、「菊と刀」を読んだ。菊と刀―定訳 (現代教養文庫 A 501) [文庫] ルース・ベネディクト (著), 長谷川 松治 (翻訳) 欧米:キリスト教の「罪の文化」、対して日本の「恥の文化」。日本の庶民文化・風習にまで言及し、変わりつつあった私の高校生時代の日本からは、ちょっと昔の日本が見えた。あれから ン十年! (綾小路きみまろではありません。)こんな本に出会った。抄訳版 アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21) [新書] ヘレン ミアーズ (著), Helen Mears (原著), 伊藤 延司 (翻訳)以下 Wikiから抜粋ヘレン・ミアーズは、1920年代から日米両国が開戦する直前まで東洋史・地政学を研究し、二度にわたって中国本土と日本を訪れ調査した。太平洋戦争中はミシガン大学、ノースウェスタン大学などで日本社会について講義していた。連合国軍占領下の日本ではGHQの諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして、戦後の労働基本法の策定に大きな役割を果たした。帰国後の1948年(昭和23年)にアメリカ本国で出版された。 著者自身より同書を贈られた女性翻訳家原百代は、CIE(民間情報教育局)に日本での翻訳・出版の許可を求めたが、却下された。原の訳書は『アメリカの反省』の邦題で、講和独立の翌1953年(昭和28年)に、文藝春秋新社で出版されたが埋もれた著作となっていた(新訳版の訳者もあとがきで、後で知ったと記している)。腰巻には「マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた」とある。「菊と刀」が戦中の日本(人)研究書であるのに対し、「アメリカの鏡・日本」は終戦直後に書かれたものである。真珠湾攻撃のあと、米議会は対日戦争を満場一致で議決・・・ではなく、一人の議員が民主主義の良心を示すために反対票を投じた話をどこかで読んだ。ヘレン ミアーズは終戦後のアメリカの反省を著したのかもしれない。 さて、アメリカ側からしてみれば「太平洋戦争」だろうが、支那事変から始まる、今思えば腰が抜けるほど広大な地域での戦争は、日本からは「大東亜戦争」とよんだほうが理解しやすい。(もともと大東亜戦争とよんでいた。)大東亜戦争の前段階での日中戦争(互いに宣戦布告しなかったため「事変」といったらしい。)は、昭和の頃まではあまり著作がなかったような気がする。(私が関心がなかっただけかも知れない。)あれから ン十年! こんな本にも出会った。 暗黒大陸 中国の真実 [単行本] ラルフ タウンゼント (著), Ralph Townsend (原著), 田中 秀雄 (翻訳), 先田 賢紀智 (翻訳) * 戦前の日本の行動を敢然と弁護し続け、真珠湾攻撃後には、反米活動の罪で投獄されたアメリカ人外交官がいた! 元上海・福州副領事が赤裸々に描いた中国の真実。1933年にアメリカで出版したものの完訳。中国の戦争宣伝の内幕―日中戦争の真実 [単行本] フレデリック・ヴィンセント ウイリアムズ (著), Frederic Vincent Williams (原著), 田中 秀雄 (翻訳) * 内容(「BOOK」データベースより)宣伝工作に巧みな蒋介石軍に対し、いかにも宣伝下手な日本人 アメリカに対するプロパガンダ作戦の巧妙さ―ラルフ・タウンゼント(『暗黒大陸中国の真実』)だけではなかった!日中戦争前後の中国、満洲、日本を取材した米人ジャーナリストがいた!日米関係の悪化を懸念しながら発言を続けたウイリアムズが訴える真実とは?―。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)ウイリアムズ,フレデリック・ヴィンセント1890年生まれのアメリカ人。死没年は不明。少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。日中戦争の起る前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヵ月から4年という不定期刑を言い渡される戦争すなわち殺し合いに正義なんぞ無意味だろうが、互いが思い描く「秩序」を求めて最終手段に訴える「戦争」、あるいは「武力の均衡を図る」行為はなくならないと思う。平成の今は台頭する中国の軍事力強化、北朝鮮の核・ミサイル、イランの核開発・・・核・軍事力を増強しなければならない理由が私にはわからない。しかし、現実には中国は南シナ海をフィリピンと争い、尖閣は自国領土だとわめき始めている。非公式には沖縄も・・・日本国憲法の前文には日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。とある。多くの人が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」には疑問符をつけるだろう。諸国民というより、平凡な庶民は平和を愛する。が、国家・政権は利益・地位保全を追求するあまり、しばしば平和を忘れる。庶民の私は軽佻浮薄に「戦争反対!」なんぞと叫ぶより、多様な歴史を学ぶ。おまけ。鎖国時代には戻れないが、明治維新前後の日本は・・・逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) [単行本(ソフトカバー)] 渡辺 京二 (著) 「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊。1999年度和辻哲郎文化賞受賞。 「逝きし世の面影」は読みやすく読み辛い。ただいま2割ほどの道程。封建時代は戦国時代を駆け抜けた徳川家康が願った平和な時代だったのだろう。私が受けた暗い封建時代の歴史教育は間違っていたのかしら。そいえば、「歴史教育」では最近こんな報道もあった。「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石更迭後の1951年5月3日、朝鮮戦争における中国海上封鎖戦略について上院軍事外交共同委員会で、They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security. (日本は、資源の供給を絶たれることにより、1,000万から1,200万の失業者が発生することを危惧した。日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分がその脅威から逃れる必要に迫られてのことだった) と答弁した。