犬とのコミュニケーション
言葉が通じなくとも、何とか「理解」しようと人一倍努力するのが日本人の「徳」のように思う。しかし「訴求力・アピール」という面では、日本人はいつも苦労する。多くの人は、何とか理解させようと「悪あがき」をする。理解されなくても他者への「包容力」は失いたくないものだ。知らず知らずのうちに「やおろずの神」を信じている日本人はキリスト教やイスラム教の信者より幸せを手にしているのかも知れない。さて、過日零度近い中、認知症の婦人が老犬と一緒に公園で夜をあかし、その温もりで命が助かったのかもしれないとのニュースで多くのブロガの記事も読ませていただいた。犬は人以上に「人を理解」する努力をしている。日本人はそんな「犬と人の歴史」を記している。縄文時代の墓から。徳川将軍の「生類哀れみの令」曲亭馬琴の「椿説弓張月」、「南総里見八犬伝」(読んでないが)渋谷のハチ公。南極のタロー・ジロー。調べればもっとあるであろう。そういえば、本国より人気の「フランダースの犬」私自身も「愛犬との歴史」が頭の中に記されている。誰でもその別れは号泣したと思う。実は6年ほど前、預かっていた17歳のトイプードルが亡くなった。ペットの飼えるマンションならと、知人を通して依頼され預かった犬である。飼い主は喘息治療のため遠隔地で療養していた。何と伝えたら・・・急遽戻った飼い主に遺体を届け・・・・・帰宅後・・・・・・この歳で泣くとは。母の時も、父の葬儀でも泣かなかったのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・犬も泣くことがあるのだろうか。ジュンは泣かせない。言葉が通じなくとも、コミュニケーションは取れる。北側のバルコニーで巣立った小鳩は、巣を作れないようにしたのに行く先がないのかまた舞い戻ってきて、、隙間に・・・・・・・・・ウーン。近づいても逃げ去らない。こちらの心理を読んでいる!?左は10年前に米オハイオ・デートンへ遊びにいき、住宅街のガレージで老婦人たちがセールをしていたので立ち寄り1ドルで購入したもの。右は5年前に出張の帰途、大英博物館で購入したお土産(古代エジプトの犬)。