テーマ:★留学生活★(629)
カテゴリ:留学-学習編
再びディスカッションの話題。というか、授業中に発言すること一般に関して。
英語コンプレックスの強い日本人としては、実はかなり英語が話せていてもクラスの前で発表するのは気がひけると思う。(もともと、高校生くらいになると、手を上げて発言なんてだっせー、っていう傾向が広まって、発言すること自体が苦手になる人が多いかもね。) 私も、アクセントがヘンだし、間違いも多いし、突っ込まれるとやだなー。って変なプライドがあって、ほとんど発言しない生徒だった。 ある日、社会学の講義で教授が言う。 「この間のOffice Hour(生徒が教授のオフィスで個人的に質問をしたりできる時間)にD君が来て、ためになる話をしてくれたので、ここでみんなにも聞いて欲しい」 200人の生徒の前に出てきて話し始めたD君は、はじめは英語とは分からなかったくらいすごい訛りのメキシコ人。正直「わ、私よりひどい」とほっとしたものだ(←根が暗い)。 ところが。話はメキシコチアパス州で起こっている武装蜂起について。2000年に始まった闘争の歴史を簡単に説明し、その特徴をそのとき授業で扱っていたセオリーに当てはめ、政府はこうするべき、アメリカはこうしないとだめ、と、自分の見解を簡潔に話す。 はっきり言って、めちゃ面白い。というか、今やっているトピックの内容が、教授の説明より分かる。聞いているみんなもノートを取り出す。 話を聞きつつ、文法チェックなんかしていた自分も、その堂々とした様子に圧倒。 一通り話が終わると生徒からも質問が出たが、意地悪な突っ込みは一切なし。純粋に、説明の中で不明確だった点を挙げていく。その全員が「君の見解はすばらしい」とほめるのを忘れない。 それで、なんか吹っ切れた感じがした。実際海外の学生や移民の子が多いこのキャンパスは、英語の不得意な生徒に関してかなり寛容で、訛りを笑ったり、細かい文法間違いを指摘するような意地悪君は少ない。なのに自分だけが「英語が母国語でない」ことに対し、必要以上に神経質になっていたと思う。 (スピーチレベルでの)英語が上手くない、ということは、自分が思っているほど他は意識してない。「あ、外国人なんだな」と思うくらい。逆に、最初の授業で思いっきりしゃべっておけば、「英語がちょっと下手なやつ」という風にみんなに認めてもらえて、以後発表する時にそれほど抵抗がなくなるもんである。 というか、話してしまえば「下手だけど話せる人」と思ってくれるが、発言しないままだと「英語が分からない」と思われ、授業外でも相手にもされなくなるし、誰かと組んでやるプロジェクトが出た時、パートナーになってくれる人がいなくなる。こっちのほうが怖いと思うなあ。 要は最初の一歩。後日、まずは15人程度のディスカッションクラスで一番自信のあるトピックになったとき発言してみた。そのクラスの後で、いつも一番発言している女の子が「すごくいいポイントだったね。感動しちゃった」といってくれた(もちろん、初めて発言した自分を元気付けてくれる意味もあったんだろうけど)。 それが励みになって、小クラスでは一時間に一回(それでも一番発言数は少なかったけど)、でかい講義では一学期に一回を目標に、意識して発表するようにした。それで、自分の存在をクラスに知らしめた、ということはないのだけど、自分自身が気持ちよかったし、授業が楽しくなった。 ただ、それ以上はどうしても無理。どうしてか、というと、これは今度は「恥ずかしい」とかの問題じゃなく、「何を言っていいかわからない」という域に入ってくる。 この話題については次回に、ということで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.04.10 21:27:28
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