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2006.06.20
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カテゴリ:洋書紹介
昨日紹介した本とあわせて読み始めたのが

Paulo Freire のPedagogy of the Opressed

(邦題:被抑圧者の教育学。そのままだな。笑)

大学時代に読んでえらく感動した本。最近になって、続編になるPedagogy of Hopeという本も出した、というのを聞いたので、そっちとセットで買っていま読み直しているところ。

70年代のブラジルの階級社会の下層にいる人々(正式な教育を受けなかった字の読めない大人のプランテーション労働者など)を「開放」するための教育学とは?というテーマ。

「社会は抑圧者(oppressores)と被抑圧者(oppressed)に分かれていて、oppressoresは自分の地位を守るため、oppressedはoppressorの地位に上るために努力している。そういう世界で形作られた教育は、この関係を強めるためのツールでしかないので、oppressedがいなくなることはない。oppressedを開放するには、教育の形そのものを変えなければいけない」

と、まあ、まとめてしまうとこういうことで(下手なまとめ方だけど)。
2つの階級闘争とか、開放=革命って考えが、マルクス主義に即してるんで、内容だけ読んでると今じゃもう時代遅れかも、っていう風に見えるけど。

でも、現代社会と照らし合わせながら見ても、セオリー自体は怖いくらい当てはまる。

例えば男女関係

女性の地位が向上して、今じゃ女性もどんどん社会進出してる、って言うけど、よく見てみると、ほとんどの場面で、女性は男性社会の土俵で勝負するよう教えられ、それを実行することで地位を上げている。

女(oppressed)のグループから離脱して、男(oppressors)の仲間入りすることで、出世できるんだよね。そうやって成功している女性は高く評価されているけど、「家庭で家族を支える」女性の位置は、低いまま。oppressoresの仲間入りした女性が、そんな女性像を否定することで、oppressed組は、余計肩身の狭い思いをしている。

(専業主婦より、未婚で子供のいない女性エクゼクティブの地位の方が断然高い、っていうのが、その象徴だよね)


例えば、日本ではやってる「勝ち組」「負け組」っていう考え方。

思いっきり簡略化していってみると、年収がっぽり稼いで、高級住宅に住んで休暇は海外で...なんていうのが勝ち組。職に就けないニートは負け組。
世間は、「勝ち組になるための教育」に必死で、勝ち組の人たちが書いた本をせっせと読んだり、セミナーに参加したりしてる。同時に、ニートというグループを「定義」して、ネガティブな性質をいっぱいつけることで、「こういう人にはならないように」というメッセージを送り続ける。

「ならないように」って言ったって、社会がこの手のグループをなくすだけの能力を持たないのだから、どうしたって誰かは「負け組」にならなくちゃいけない。「ほら、あのグループはニートっていう負け組だから。ああいう風にならないように、このセミナーに参加しなさい」っていうのが、今の日本の教育風潮のように見える。

ニートというグループそのものをなくすために社会をどう変えるか、とか、もっと過激に、ニートであっても安定した生活と充実した人生を送るために、社会を変えていくには、っていう事を考えるのが妥当なんだけど、それじゃ、せっかく苦労してOppressorsの仲間入りした「勝ち組」は面白くない。

で、社会や教育制度を牛耳るのがこのoppressoresなワケだから、そんな変革には絶対反対するわけだ。

oppressoresがoppressoresになれる所以は、oppressedの存在だから。

男女の例で言えば、男性の側に入ってきた女性は喜んで賞賛し、報酬を与えるけど、未だにoppressedの側にいる女性達に、例えば、育児に専念する母親に部長並みの給料を上げよう、なんて提案は、絶対受け入れない。そんな事をしたら、部長になった人が、「オレ/私は、一生懸命努力して、こんなに偉くなった。おれ/私は他の人とは違う」と、自負できなくなって、プライドの危機に陥るから。



と、Paulo Freireの論からここまで持ってくるのはいささか強引だけど。まあ、彼が言ってる事を今の日本に当てはめると、そういうことになるのでは、と思う。


で、「教育学=pedagogy」の話になるわけだけど、教育に対する考え方は2つあって、

人間が社会のツールになるための教育



人間が、社会を変えるツールとして使うための教育


がある。


前者は、「勝ち組」と「負け組」の両方を作り出すための教育で、「差別化」が目的。
(テストでいい点取った人がいい思いをできる仕組み)

後者は、「勝ち組」「負け組」というグループそのものをなくしてしまうための教育で、これを教えるのがPedagogy of the Oppressedなワケだ。


んじゃ、具体的に、今の日本や世界におけるPedagogy of the Oppressedって、どんなものだろう、というと、これはさすがに70年代のブラジルを語った本の内容をそのまま真似るのは無理。このグローバル競争真っ盛りの時代に、日本だけ「勝ち組」と「負け組」をなくせるワケがないんで、「全世界から資本主義をなくせ」って過激な結論になって、そうすると人類の進歩は止まってしまう(汗)。

でも、このまま資本主義が進んでも、貧富の差は広がるばかりだし、少子化は進むし、資源はなくなるし、戦争は過激になっていくし、結局将来が危ないのは一緒だよなあ。

この辺のジレンマを解く鍵は??なんて事を考えるために、大学時代とはちょっと違った視点でこの本をもう一回よく読みなおしてみたいと思います。

自分の生き方って、どうなんだろうな~。傍から見ると「勝ち組志望の現役負け組」かもなあ。キャリア主義には基本的に反対だけど、お金は必要だし(汗)。

...ここら辺を自身がはっきりさせないと、とても社会の教育については語れんな。


と、「勝ち組の仲間入りするため猛勉強中!!」って人を、困惑に陥れるなかなか良い本なので(!)、読んで意見交換とかしてくれる人がいるとありがたいです(^^)


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Last updated  2006.06.20 20:44:18
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勝ち組脳なし論なんてどうかな?   Hiromi(バイリンガル教育のことなら相談にのります) さん
今の勝ち組って学校で社会でうまくやれた人でしょ!

だけど本当は才能ある人たちはみーんな学校教育からははみ出ちゃった人たちじゃない?

エジソンにしたってダビンチにしたって
今でいうADHDだって言うじゃない?

今の世の中、本当に才能のある人はADHDとか言われて迫害されているのだ。

もったいないことだ・・。

勝ち組の人たちは自分に才能無いから
勉強や社会で管理職になる事に執着するしかないわけだ。

要するに勝ち組なんて脳なしさ・・なんてADぎみのわたしは思うわけ。





(2006.06.21 08:09:14)

Re:勝ち組脳なし論なんてどうかな?(06/20)   junquito55 さん
Hiromiさん

コメントありがとうございます。

学校のテスト作成したり、会社の評価つけたりする人が「勝ち組」にいる人ですから。彼らが「できる」「できない」の定義を決めてるんですよね。

ADHDだって、わざわざそういうカテゴリーを作ってるだけですよね。そういう人に「異常」ってレッテルを貼れば、そうでない自分は「普通」になれるから。

ADHDの人たちが、革命を起こして、偏差値の決め方とか、仕事の評価基準を全部変えちゃったら、面白そうですね(^^)

(同様に、ブスの人がメディアの主導権を握ると、「美人」の定義も変わるはず、なんて。笑)
(2006.06.21 12:51:46)

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